【WEB限定連載】義功和尚の修行入門——体当たりで掴んだ仏の教え〈第15回〉大噴火の犠牲者の御霊に語りかける

 

小林義功和尚は、禅宗である臨済宗の僧堂で8年半、真言宗の護摩の道場で5年間それぞれ修行を積み、その後、平成5年から2年間、日本全国を托鉢行脚されました。毎回ハラハラドキドキの当連載、今回は雲仙から福岡への行脚です。

お婆さんの姿を借りた仏さん

 割烹料理店の若主人が

「寝れればいいんでしょ」

と嬉しそうに報せてくれた。

1杯のうどんでどれほどの儲けになるか。知れている。にもかかわらず、商売の損得を離れて探してくれた。その行動に駆り立てたものは何か?

 また、センターの宿伯料1,000円は格安である。サービスはそれだけで十分である。にもかかわらず、女将さんがおにぎり、牛乳、茹で玉子を朝の食事にと提供してくれた。損を承知で施しをする。理屈ではない。その行為に走らせるものは何か? 

 仏教では我を忘れて他に施すを仏という。この割烹料理店の若主人、センターの女将さんは自分の利害分別を超えて、その上で行動している。その姿は仏ではないか。僧堂の修行者、お悟りを開いた高僧は数多(あまた)いるが、そればかりが仏ではない。

 そんなことを思いながら、朝の冷気の中ひたすら歩いていたら、視界が開けた。野原が大きく広がっている。はるか西に見える山並のどれかが雲仙だろう。店もなければ家もない。

 舗装された道路の前方に人影が見えた。お婆さんが3人である。何をしているのだろう。バス停の標識が見える。そうかバスを待っているのか。近づくとその3人のお婆さんが次々喜捨をしてくれた。お婆さんの姿を借りた仏さんが居られたのだ。感謝、感謝。

惨状をこの目で

 私がわざわざ鹿児島から島原を目指して来たのには理由がある。平成2年3年に掛けて雲仙普賢岳の大噴火。その深江町の惨状を自分の目で確かめたかったからである。

 始めて遠望した普賢岳の山頂は地表がむき出しになり大きな岩がゴロゴロ転がっている。湯気だろうか・・・。白煙が数箇所から立ち上ぼり溶岩が流出した斜面は地層が露(あらわ)になり、そこから火砕流の堆積地が大規模に広がっている。今ではその火砕流の上に道が出来、舗装された国道が走っている。その距離は歩いたら40分。3キロはあるか。ここが一面火の海とは・・・凄まじい。

 3年半から以前になるか、山頂から噴出した真っ赤なマグマは、何千度という高熱を放って、山肌の急斜面を舐めるように下降した。この日、被災地深江町の大地が燃えた。まさに火炎地獄であった。

 その現場に、今私は立っている。その国道から普賢岳の方角を眺めると電信柱の頭ばかりが点在し、家屋は軒まで埋まり屋根しか見えない。

 この悲惨な光景は私の想像をはるかに越えていた。圧倒的な火力に逃げ惑う43人の犠牲者とその絶叫が私の目と耳をかすめていく。その痛ましい御霊(みたま)を前に語りかける言葉もない。ただただ合掌し般若心経を繰り返し繰り返し唱えることだけが、私の出来るただ1つの行為であった。

 この衝撃は私の心の奥深く沈潜した。そして、何かが弾け深刻な疑念となって飛び散った。何故、深江町が襲われたのか? 一木一草はおろか、何故尊い住民の生命まで奪ったのか? 被災者の絶叫と親族の悲嘆を思うと、我々はただただ泣きくずれるばかり。テロもない殺人もない、この平和な大地に何故? 悪人だから善人だからという仏の倫理道徳もない。その非情の大剣を抜き払ったものは何者か・・・。

 この荒廃した死せる大地を目の前に、僧たる者どう仏を説いたものか? 私の迷いと悩みは一段と深化した。

有明海に沿って佐賀。福岡県夜須町に至る

 夜須町に来た時は夕方であったが、まだ明るかった。行き交う人に旅館を聞くと、この夜須町にはないという。3人が3人とも返事は同じである。次は桂川(けいせん)町であるが手前には冷水(ひやみず)峠が控えている。峠は山である。そこを越える。ほぼ20キロ。何時になるか。曇天とはいえ明るいが夜も間近かである。

 不安になって公衆電話を見つけて電話帳を丹念に調べた。しかし、夜須町に旅館はない。

「どうする」

といって、これといった妙案もない。歩き始めた。雨がポツリポツリ降り出す。網代笠は雨を弾くので頭が濡れることはない。しかし、肩から下は水を含む。早速、雨具を取り出しリュックの上から羽織った。膝までかかる大きなものだ。そして、また歩き始めた。

 ただ目ばかりはキョロキョロと四方を探る。ガレージがある。シートを張っただけだが。あの空間でも雨は凌げるが・・・とは思う。橋はないか。あればその下で・・・とも思う。

 しかし、寒い寒い。そのままどのくらい歩いたか。前方に太い煙突が見えた。大きい。○○油脂という文字も見える。工場だ。近くに来て門から覗くと左手に宿直室らしい建物がある。六枚嵌(は)めた透明のガラス戸から中も見える。畳の部屋が一間。洗濯物も掛かっている。

「ここなら泊めてくれるか」

 期待は膨らむが人がいない。ならば工場をとドアに手をかける。簡単に開いた。中には機械が並んでいるばかりだ。人はいない。また、門のところに戻った。雨の中で15分ほど立っていた。しかし、人の来る気配もない。ジィーとしているのも辛いし寒い。諦めて、また歩き始めた。

つづく

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小林義功

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こばやし・ぎこう――昭和20年神奈川県生まれ。42年中央大学卒業。52年日本獣医畜産大学卒業。55年得度出家。臨済宗祥福僧堂に8年半、真言宗鹿児島最福寺に5年在籍。その間高野山専修学院卒業、伝法灌頂を受く。平成5年より2年間、全国行脚を行う。現在大谷観音堂で行と托鉢を実践。法話会にて仏教のあり方を説く。その活動はNHKテレビ『こころの時代』などで放映される。著書に『人生に活かす禅 この一語に力あり』(致知出版社)がある。

〈第16回〉缶コーヒーの温もり

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