2018年11月21日
小林義功和尚は、禅宗である臨済宗の僧堂で8年半、真言宗の護摩の道場で5年間それぞれ修行を積み、その後、平成5年から2年間、日本全国を托鉢行脚されました。毎回ハラハラドキドキの当連載、今回のお話からは、厳しい寒さの中に人の温もりが伝わってきます。
言い出せなかった一言
雨の中、先に進むとサッシの会社があった。国道は高台なので、眼下に見える。建物の窓という窓から、蛍光灯の明かりが洩れている。2階の事務室だろうか。中に男性社員がいる。それを確認した。
「今度こそは・・・」
玄関のベルを押した。
「どうぞ」
とドアが開いた。パリッとした作業服を着た社員が立っていた。私は雨具を脱いで中に入ると、先導して事務所の中央にあるストーブの傍に椅子を用意して、坐るようにと促してくれた。そして、姿を消した。どうやら社員は一人らしい。宿直か?
ややあって、ガラガラッと喧しい音がした。自動販売機だ。まもなくその社員が戻って来た。
「寒かったでしょ。どうぞ」
と缶コーヒーを差し出してくれた。ところがその缶がやけに熱い。左右の手のひらの上で何度も転がした。少しさめたところで口に含んで飲みこんだ。するとその温もりが体の血管を走る。それが鮮明に分かった。そうか体が冷えていたのだ。この時分かった。それにしても、寒いだろうと機転を利かせて温かい飲み物を提供してくれた。その御心遣いには嬉しくて、フト目頭が熱くなった。
ストーブの赤い炎が暖かい。しばらく行脚の話をしていた。しかし、宿泊の話を切り出す勇気がない。ついつい話を逸らす。
「桂川町までどのくらいかかりますか」
「クルマで20分です」
次の町に着くのは9時か、それを過ぎるか。焦ってはいるが、言葉が出ない。自分では情けないとは思うが・・・。時間はドンドン過ぎる。もう待てないギリギリだ。と・・・その時、
「分かりました。有難う御座いました」
お礼の言葉が咄嗟に口をついて出てしまった。
有り難い、仏さまのご縁
再び雨の中・・・、一時休んだお陰で体力は回復していた。国道は山に入りくねくねと右へ左へ曲がる。街灯がないから樹木で囲まれた道路は闇である。見えるのは足元だけ。時々駆け抜けるクルマのヘッドライトが前方を照らす。その一瞬の情景がイメージとなって頭に残る。すると道が何やら見えて来る。不思議だ。
降りしきる雨は網代笠と雨具でどうにか防いでいるが白衣の裾、脚絆から下はびっしょり。錫丈を持った手は雨に曝されたまま・・・。とにかく寒い。休むことも出来ない。ただ黙々と辛抱強く重い足を引きずっていた。
どのくらい歩いたものか。ようやく登り坂が終わって峠に出た。視界が急に明るくなった。すると前方に女性が傘を差して立っている。距離があるからまだ小さいが・・・。こんな雨の中、夜ふけの山の中で・・・。しかも、その女性は和服だ・・・。10メートルほどまで接近したか。その女性が傘を片手に私の方に向かって小走りで来た。
「どちらまで行かれるのですか」
「桂川町です」
「えっ、まだまだ遠いですよ。私の家に来られませんか?」
「はい」
とっさに返事をした。
「ちょっとお待ち下さい」
といってその女性は引き返すと緑の公衆電話で話を始めた。こんなところにも電話があるのだ。周囲を見るとどうやら建物もある。すぐ戻って来た。
「父も了解しましたので、どうぞお乗り下さい」
軽自動車が止めてあった。坂道で私を見つけ、ここで待っていたらしい。雨具を脱ぎ、網代傘とリュックを後部座席に積み込んだ。錫丈、これが長い。入るか? 運転席と助手席の間から横に寝かせて後部座席の背もたれの上に置いたらギリギリ何とか収まった。雨の降る中だ。急いで乗り込み、出発した。ワイパーがせわしく動く。腹の中では『助かった。助かった』と叫びが湧き上がる。ホッと一息ついたところで
「有難う御座います」
とお礼を申し上げた。
すると和服の女性が
「私の師匠が寒行をしまして、御一緒したことがあるんです」
と御自分の体験のお話を始めた。師匠は御僧侶。歳末助け合いの托鉢をしたらしい。その時の行を思われ、私に声を掛けたという。これもご縁か・・・。仏さまのご縁か。有り難い、有り難いと思いつつ、耳を傾け相槌を打っていたが・・・。膝の辺りに冷たい風が吹き付けて来る。寒い。とにかく寒い。『この寒いのに、何でクーラーか?』不審に思いつつもジッーと我慢をしていた。10分も走った頃か、その冷気が温風に変った。
『あれ、何だ! 如何したんだ・・・』そうか、皮膚が氷のように冷たくなり、麻痺していたのだ。その皮膚が回復してヒーターの風が温かいと感ずるようになったのだ。そういうことか。疑問も解消し、ようやく緊張が解け気分も安らいできた。