2018年11月28日
小林義功和尚は、禅宗である臨済宗の僧堂で8年半、真言宗の護摩の道場で5年間それぞれ修行を積み、その後、平成5年から2年間、日本全国を托鉢行脚されました。毎回ハラハラドキドキの当連載、今回は見知らぬご婦人の温かいもてなしに心がホッとします。
地獄・極楽は紙一重
フロントガラスを叩き付ける雨をワイパーが左右に弾きながら、国道から脇道へ。見えるのはヘッドライトに浮かぶ風景だけ。降りしきる山の中をクルマは走る。しばらくして急な坂をグイッと上がる。そこに旧家があって、その庭でクルマは止まった。
「ここです」
私はドアを開けるとすばやく後部座席の荷物を一度につかみ玄関から土間に入った。壁に錫丈を立て、上がり段に雨具、網代笠、リュックを置いた。私はその脇に腰を下ろすと、ビショビショの脚絆と行者足袋、靴下を脱ぐ作業を始めた。すかさず和服の女性が新品のタオルを数枚運んで来た。それで濡れた足を丁寧に拭っていると
「この部屋にどうぞ」
と障子がサッと左右に開いた。その部屋に入ると蛍光灯がまぶしいほど明るい。天井や欄間、柱や畳といった和室に家族の温もりが伝わってくる。今のわが身はと思いつつも・・・。ともかくリュックをその部屋に移した。
「お風呂が沸いていますので、すぐお入り下さい」
といって姿を消した。
私はリュックから着替えを出してお風呂場に行き、濡れた衣や白衣などを脱いで籠に入れた。そして、体を洗い、早々に湯船に浸かるとその温もりが全身の毛穴から滲み込んでくる。助かった。このご縁がなかったら・・・今頃どこをさ迷っていることか。ゾッとする。地獄極楽も紙一重とはいうが。運命とは分からないものだ。有り難い、有り難いと感激していた。
すると
「洗濯しますからお着物を預かります」
外から女性の声がする。
「は~い」
返事をするとガラガラと脱衣所の戸が開いて、脱いだ衣や着物などをそっくり持って行ったようだ。
行動がテキパキとして小気味が良い。そう、このお風呂にしてもそうだ。
私がこの家に到着した時には、すでに風呂の用意が出来ていた。ということは、峠で電話をした時に寒いだろうからと指示を出していたのだ。その思いやりと手際の良さにはほとほと感心し、感謝と同時に感服した。
お風呂を上がって部屋に戻るとまた声が掛かる。
「お食事です。こちらへ」
居間だろうか。御家族と一緒に食事を頂いた。食卓にはご馳走がいっぱい並んでいる。それを頂きながら話も弾んで賑やかな楽しい一時であった。見ず知らずの修行僧に手を差し伸べ、その上歓待する。そのお礼にといって私には何もない。『僧侶の出来ることは・・・お経』と思い、食事を終えて
「こんなにご接待を頂いて有難う御座います。是非お経を上げさせて頂きたい」
と申し上げ、仕度をして仏間に入った。
立派なお仏壇である。その前の座布団に据わり、ロウソクや線香に火をつけていると、グウッと何かが胸に込み上げてくる。思わず瞑目合掌した。それから軽く頭を下げ、立ち上がり三礼した。御仏と御先祖様さまのお位牌に一生懸命お経を上げた。私の声は良く通る。精一杯声を張り上げ、その音声に感謝と御礼の気持ちを込めた。またこの御家族に・・・。
終わって自分の部屋に戻ると部屋いっぱいに布団が敷いてあった。ふっくらと高く盛り上がっている。清潔でお客さま用のものだ。照明を消して布団にもぐりこみ。ジィーと横になっているとあり難い、あり難い、あり難いという言葉が次々湧き上がる。それが心地よいリズムとなり音楽となって私の疲れた体を癒した。
心が跳ねる、踊っている
翌朝はすっかり雨は上がり太陽が上がっていた。食事を頂きお礼を申し上げると、昨日の洗濯物をキチッと畳み、重ねて持って来られた。『あれ、スッカリ乾いている。雨だったのに・・・』と思いつつ、着物や衣に手を通した。クリーニングから戻って来た洗濯物のようだ。パリッと乾いている。それから上がり段にリュックを移し靴下、脚絆を付ける。これも乾いている。さらに土間においてある履物に足を入れると『あれー これもだ。サラーとして気持ちがいい』。
その理由が知りたくなって思い切って訊ねた。
「この履物は如何したんですか」
「洗濯機で洗ってから乾燥機で乾かしたんです」
「ハッ」
と息を呑んだ。まだまだ乾燥機も一般には珍しいその頃のことだ。ドロドロの履物まで至れり尽くせりのご接待。胸がポッーと熱くなった。家族のお見送りを受け、深く御礼を申し上げて出発した。
暖かい日差しは格別である。歩いていると昨夜のご縁が、思いがポッポッと浮かんでくる。火にかけた鉄瓶が、楽しい音色をチンチン奏でるように、昨夜の思い出のひとつひとつが宝石のカケラとなって光を放ち、私の心を癒して幸せにする。この幸せとは・・・雨や寒さから免れたから、お腹を満たし暖かい布団にくるまったから。それもあるがそれだけではない。心が跳ねる。踊っている。その豊かな楽しい心がそこには満ち満ちている。