【WEB限定連載】義功和尚の修行入門——体当たりで掴んだ仏の教え〈第5回〉厳しくも温かい師匠の導き

小林義功和尚は、禅宗である臨済宗の僧堂で8年半、真言宗の護摩の道場で5年間それぞれ修行を積み、その後、平成5年から2年間、日本全国托鉢行脚を行うという大変ユニークな経歴の持ち主です。義功和尚はどういうきっかけで仏道を志し、どのような修行体験をしてこられたのでしょうか。WEB限定の当連載では、ご自身の修行体験を軽妙なタッチで綴っていただきました。今回は、弟子を追い込み成長させようとする、厳しくも温かい師の思い出です。

会話が苦手な私に法話の指命

 最福寺は一日中忙しい。しかし、本堂では罰を命じられて三礼している修行者もいる。180回、360回、もしくは1000回と。1人ならまだしも、1度に3人ということもある。罰を受けた者は三礼と引き換えに自分の仕事を放棄する。その仕事は罰を受けない者が負担する。つまり、仕事が増大するが、罰は受けたくはない。プライドにかかわるから。ここらが修行者の面白い心理である。

 師匠はだらけた人間が嫌いだ。1人でもだらけた人間がいると道場の雰囲気が変わる。行が死ぬ。それを恐れて、ボウーとしていたり、ミスをすると鉄槌を下す。しかし、締め付けて絞り上げるばかりではない。弟子の能力を見抜くカンが卓越している。眠っている才能を引き出して徹底して活用する。そうしたことがしばしば見られる。それは必死で炎に立ち向かう護摩行の精神を実際の生活に実現する行でもあるからだ。

 護摩行の後で法話をさせるのだが、私はよく指名された。人との会話を苦手とする私を鍛える為であったか? 当時の私はその理由を考える余裕もなく、これも修行と言われるままにしていた。

 百萬枚護摩行を成満(じょうまん)した最福寺は鹿児島市平川町にある道場である。本来は鹿児島市紫原(むらさきばる)にある高野山真言宗最福寺が本家である。師匠はその住職であり、平川町の道場は師匠が建立したものである。

 ですから、紫原の最福寺でも毎月先祖供養をする。1日と15日には道場には留守番を残して弟子が紫原の寺に集まる。そして、師匠が導師となり御供養をする。何時のことだったか・・・御供養が終わると「義功、法話」と指名された。護摩行の時の法話には師匠はいないが、この紫原では師匠の面前でするので緊張する。ひるんでもたもたしておれないので、すぐ始めた。そして、ともかく無事に済ませたのだが、師匠が「次・・・」と。なぞの言葉をつぶやいた。私には不覚にもその意味が分からない。本堂はシーンと静まり妙な雰囲気が漂う。師匠を見ると怒ってはいない。???・・・「そうか、次の法話をしろ」という指示かと。そこで改めてお辞儀をして次の法話をするとお客さんの反応も上々。終った時にホッとして下がろうとすると「次」とまた催促。お客さんはどっと笑った。一つ二つは用意しているが、三つ目となると何を話すか・・・。準備もしていないので困ったという表情や仕草がモロに現れる。本堂に詰めているお客さんたちは大喜び。師匠も御機嫌である。

 妙なことになった。ここは腹を据えてと覚悟を決めまた法話を始めるが、冷や汗ものである。それでも何とか格好をつけた。そこで有難う御座いましたと、締めくくる。するとまた「次」と要求する。「え~」、もはや頭はパニックである。私がギブアップする迄とことん追い詰める。このいじめに耐えられないようでは最福寺には居れない。5回ほど続いたか「もう、いい」とようやく師匠の許しが下りた。これが師匠独特の鍛え方である。これは私に限ったことではない。弟子の特性を見極めるとこの手法が炸裂する。行はあくまでも行である。その行が現実の生活の中で活かされなければ意味がない。それが最福寺である。

自分の体が動かない……

 こうした修行を4年から5年と続けていた。何の作務(さむ)だったか、竹を伐ろうと・・・梯子といっても4、5段。それを竹に掛けた。多少ゆれても大丈夫だと3段上ったところで、ギーコ、ギーコ、ノコギリで引いていた。竹も梯子もゆらゆら揺れる。フトした弾みで足を踏み外すと落下。尾骶骨を敷石にしたたか打ちつけ息が止った。口からも鼻からも呼吸が出来ない。寝転んだままジッとこらえた。何秒続いたか酸欠のため、苦しくなり限界に迫った。その寸前気道が開いた。空気を腹の底まで大きく吸い込んだ。もう大丈夫だと・・・立ち上がろうとしたが腰が動かない。「あれ~如何したんだ? 自分の体が動かない」。そのまま寝ていると次々人が集まって来た。それからは大騒ぎ、「動かすな! 救急車を呼べ!・・・」と。病院に直行した。

 レントゲンなど、検査の結果、診断は第三腰椎の圧迫骨折だから重いものを持たない、走らない。静かに病院生活をして下さいとのこと。それだけである。注射もなければ点滴もない。道場では一日中動き廻っていたが、ここでは一日がそっくり自分の時間になった。

 そこで、ゆっくり出家した原点に立ち返り、その動機を再び確認した。そして、この修行で答えが出たか? 思いつくままにじっくり検討を始めた。この荒行を繰り返すことで自分という人間が変ってきていることは事実である。いろいろ勉強になったことは確かだ。ただ、私自身の問題はといえばまだまだ。出家した原点が解決されなければ何の為の出家か・・・困ったことだ。
                  
 大学時代にはこれを解決しようとヨガ道場で1週間の断食をしたことがある。家に戻って、さらに10日間挑戦した。これでも答えが出ない。ならば21日間だと断食をした。結果は同じ。その後、出家して禅宗に7年半。ここにも見切りをつけた。また、最福寺に来て高野山での修行もした。その真冬の行が始まる前に、密かに桶で100杯の水行。そして、1000杯までかぶった。しかし、答えは出ない。そして、最福寺の荒行。うーん、もう1つ何か?

つづく

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小林義功

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こばやし・ぎこう――昭和20年神奈川県生まれ。42年中央大学卒業。52年日本獣医畜産大学卒業。55年得度出家。臨済宗祥福僧堂に8年半、真言宗鹿児島最福寺に5年在籍。その間高野山専修学院卒業、伝法灌頂を受く。平成5年より2年間、全国行脚を行う。現在大谷観音堂で行と托鉢を実践。法話会にて仏教のあり方を説く。その活動はNHKテレビ『こころの時代』などで放映される。著書に『人生に活かす禅 この一語に力あり』(致知出版社)がある。

〈第6回〉保障された衣食住を断ち切るという決断

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