【取材手記】93歳の現役トライアスロン選手が語る、何歳になっても溌剌と生きるヒント〈稲田 弘〉

~本記事は月刊誌『致知』2026年6月号 特集「人間を磨く」に掲載のインタビュー(常に夢を持って挑戦し続ける【世界最高齢の現役トライアスリートの流儀】)の取材手記です~

〝鉄人〟の素顔

今年1月半ばの寒風吹きすさぶ昼下がり。取材は稲田さんが一人暮らしをされている千葉のご自宅で行われました。

「どうぞ、いらっしゃいませ。散らかっていて申し訳ありませんが」。そう稲田さんに案内されリビングに赴くと、目の前には練習用のバイクやトレーニング用具がずらり。その景色からは、90代の坂を上りながらも毎日トライアスロンに真剣に向き合われる稲田さんの姿がありありと目に浮かぶようでした。

稲田弘さん、93歳。世界最高齢の現役トライアスロン選手にして、世界最高齢のアイアンマン世界選手権完走者のギネス世界記録を持つ〝鉄人〟です。稲田さんが挑むアイアンマンレースとは、水泳3.8キロ、バイク180キロ、ラン42.2キロの総距離226キロを17時間以内に走破する、世界一過酷なトライアスロンと称されています。

運動不足解消を目的に60歳で水泳を始めた時はカナヅチだったといいますが、毎日プールに通い詰めるうちに水泳の虜に。70歳からトライアスロンに挑戦すると、絶えざる自己鍛錬を重ね、79歳から9年連続でアイアンマンレース世界選手権に出場。80歳と83歳(80-84カテゴリー)、85歳(85-89歳カテゴリー)で世界チャンピオンに輝きました。93歳となったいまなお自らの心身を磨き高め、挑戦を続けています。

凛々しい佇まい、ハキハキとした若々しい口調、眩しく光輝くような眼差し……とても93歳とは思えないバイタリティーに満ち溢れている。稲田さんにお会いした印象は、まさにそのひと言に尽きます。2時間に及んだ取材中も常に背筋をピンとされ、淀みなく話される姿から、「生涯現役」とは何たるかを感じ入りました。

加齢は人間の宿命ですから、抗っても仕方ありません。でも、落ちていく速度を少しでも食い止めることはできる。僕の場合は、どれだけ競技を続けられるかということを念頭に置き、常に筋肉に意味がある動きをしようと苦心しています。いわば、24時間トライアスロン漬けの生活です。

稲田 弘(いなだ・ひろむ)
昭和7年大阪府生まれ。30年早稲田大学卒業後、NHKで放送記者として活躍。平成4年難病になった妻の看病のために定年退職後、運動不足解消を目的に水泳を始める。14年トライアスロンに初挑戦。24年アイアンマン世界選手権初完走、80-84歳カテゴリーでコースレコードを樹立。30年アイアンマン世界選手権85-89歳カテゴリーで世界チャンピオン、コースレコードを樹立。24、30年の年代別での優勝はギネス世界記録に認定。現在も現役最高齢選手として活躍中。著書に『やれば出来る』(徳間書店)がある。

いまなお現役であり続ける理由

人並外れたエネルギッシュさを誇る稲田さんですが、なぜ93歳のいまなお現役であり続けることができるのでしょうか。本誌の内容を抜粋してご紹介します。

この年になると、よく「矍鑠とされていますね」と言われますけど、筋肉も骨も瞬発力も持久力も、急速に衰えてきているのが自分でも日々分かるんです。

僕にとっては80代前半が体力的にも、精神的にも絶好調でした。2012年、80歳でアイアンマン世界選手権を初完走した時なんて、早くゴールし過ぎてゴール地点に観客が誰もいなくてね(笑)。

2016年と2018年にも完走したものの、徐々に余裕がなくなっていました。さらに追い打ちをかけるように、コロナ禍でレース自体が中止になった。

80代前半をピークに少しずつ衰えてきていると、飄々と語る稲田さん。実際、ようやくコロナが収束し、ハワイで開かれたミドルディスタンス(総距離131キロ)の大会に2年連続で出場されましたが、タイムオーバーとコースミスで失格になりました。

それでも、稲田さんの心を鼓舞するのは、世界各地から寄せられる声援だといいます。

でもね、僕がレースに出たら、現地の人からの声援が鳴りやまないんですよ。「ヒロム!」「ジャパン!」って言ってさ。そういう応援を聞いたら、格好よく走らないと。応援が競技を続けるモチベーションになっているんです。

背中を押されるどころじゃなくて、手を引っ張られるような。とにかく足を動かそうという思いに駆られて、一所懸命走っているうちに調子がよくなるんです。

インタビューの終盤には、こうもおっしゃっています。

僕は自分のためじゃなくて、世界中の人々の期待に応えたいという一心で走り続けています。

大和魂といいますか、日本人としての誇りを見せたいという思いですかね。それが走り続ける何よりの原動力になっているんです。

自分のためではなく、世界中の人々の応援や期待に応えたい一心で走り続ける稲田さん。70歳からトライアスロンに挑戦し、いかにして世界の頂へと上り詰めたのでしょうか。その背景には、スポーツ音痴だった幼少期、難病を抱えた最愛の奥様と最期に交わした約束がありました――本記事では全4ページにわたって、一つひとつのエピソードを詳らかに紹介しています。

↓インタビュー内容はこちら!

◇24時間トライアスロン漬けの生活
◇スポーツ音痴の学生時代 カナヅチからの挑戦
◇「私ができない分も頑張ってね」
◇世界中に拡散された1枚の写真
◇日本人としての誇りを見せるために走り続ける

健康長寿の秘訣は、20年以上変わらない食生活

「人生で一番大事だと思うものは何でしょうか」との弊誌の問いに対する稲田さんの言葉が忘れられません。

常に夢を持ち続けることですね。僕が自分自身を鍛え上げようと思うのも、夢があるから。

何事もやればできるんです。夢を掲げて挑戦し、絶えず心身を磨き高めることで、人はどこまでも成長できると実感しています。

まさに人生の真理を突いた金言です。最後に、ここだけの取材秘話として、「食生活で気を遣っていることはありますか」と質問を投げかけた際の稲田さんのお話を本誌未収録の内容を交えてお伝えします。

〈稲田〉
日々の食事も体にいいものを摂取できるようにこだわっていて、20年以上ほぼ毎日同じものを食べています。

朝は2種類のスープをつくっていて、一つは栄養価が高い旬の食材を中心に、12種類の野菜だけを使ったもの。特に気を遣っているのは、とにかく煮過ぎないようにすること。野菜に熱を加えることでビタミンがスープに溶け出しますが、あまり火にかけ過ぎると栄養素が壊れてしまいますから。

もう一つはタンパク質が摂れるスープ。豚肉や鶏肉といった肉類と貝類、青魚をメインに、にんにく、きのこやイモ類を加え、食感のある素材も入れて飽きないように工夫しています。

味つけは、野菜スープがコンソメで、仕上げに黒酢とトマトケチャップを目分量で入れたら出来上がり。一方のタンパク質スープは鶏ガラがメインで、仕上げに味噌を少しだけ入れます。

盛りつけは器にすり潰したゴマを敷いて、スープをなみなみと注ぐ。さらにシナモンなど体にいい香辛料をかけていただきます。

これは余談ですが、元テニスプレーヤーの松岡修造さんがインタビューで自宅に来た時、野菜スープを食べて「おいしい」と。ペロりと平らげちゃって、僕の分がなくなっちゃった(笑)

朝はこの食べるスープに加え、ハチミツとブルーベリージャムを塗ったライ麦パンや果物も欠かさない。

昼は軽く済ませ、夕食には発酵食品を積極的に摂るように心掛けています。豆腐や揚げ、ワカメ、貝類、エビを入れた具だくさんの味噌汁に、DHAが豊富な青魚、納豆キムチ、漬物、梅干し、生卵をかけた玄米ご飯です。ご飯はあえて冷やご飯にして栄養価を高めています。

この食生活のおかげで練習の疲れも残らず、体が維持できていると思います。これらもすべて、トライアスロンをするため。トライアスロンは僕にとっての生きがいであり、健康の秘訣そのものなんです。

絶えず自らを磨き高め、限界に挑戦し続けてきた稲田さんの歩みとそこから紡ぎ出された至言の数々には、何歳になっても溌剌と生きるヒントが凝縮されています。

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