2026年03月06日
鎌倉・室町時代以来、約500年間技法が途絶えていた「乱れ映り」を現代に再現し、刀剣界最高峰の賞である「正宗賞」を受賞した刀匠・河内國平氏、84歳 。刀鍛冶の道一筋に60年歩み続けてきた河内氏に、修業時代を振り返っていただきながら、物事に向き合う上での心構えを語っていただきました。
(本記事は『致知』2026年3月号 トップインタビュー「人間ではなく仕事を前に出せ」より一部を抜粋・編集したものです)
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修業とは〝構〟をつくること
──刀鍛冶の修業にはどのように向き合っていかれたのですか。
<河内>
宮入昭平という人をひと言で言うと、日本の最後の職人だと思います。日常生活や精神がちゃんとしていないと、いいものはつくれないという考えで、日々の生活態度にすごく厳しかった。仕事場は信州にありましたが、入門したばかりの弟子の仕事は、庭掃除と使い走りで3年間は土日祝日関係なし、休みはなかったですね。
また、仕事場に落ちている一本の釘を跨いだり、針金の切れ端を捨てたりしただけで、「これは鉄だぞ!」と真っ赤な顔をして烈火の如く怒りましたね。本当に怖かったな。要は、鉄を扱う人間として、釘一本でも粗末にすればいい仕事はできないということです。
──ああ、釘一本の扱いから徹底的に教えられた。いまも大事にしている師の言葉はありますか。
<河内>
さっきの「人間が前に出るな、仕事を前に出せ」は宮入親方がよく言っていた言葉ですが、親方は難しいことは何も言わないんです。寝食を共にしながら、とにかく親方のやっていることを体で覚えていく。特に印象に残る言葉はありません。それでも刀鍛冶の仕事は何もかも親方に教わった。
私がいいかげんな仕事をすれば親方が笑われるなと、いまだに思うし、いつでも頭の中には親方が居る。それに優れた鑑定家が見れば、これは宮入の弟子の仕事やとすぐに分かりますから、いいかげんな仕事はできない。その意味では、細かい迷いはあっても、刀鍛冶をやめようというような迷いは、いままで一回もなかった。本当にいい親方に巡り合えたと思います。
──宮入師匠のもとでは、どれくらい修業を重ねられたのですか。
<河内>
刀鍛冶になるには、文化庁から許可を得ている刀鍛冶のもとで5年以上修業し、研修会(美術刀剣刀匠技術保存研修会)を修了しなければいけないと決められているんです。その条件を満たせば出たい人は独立させる。僕は親方のところに5年間居て、1972年、30歳の時に独立しました。
でも僕は、技術を教えるのはそれほど難しくないと考えています。ただ、人生の「構」、刀鍛冶としての「構」ができるまでには、10年くらいかかると思っています。
──刀鍛冶としての構。
<河内>
刀をつくる技術だけ覚えて出ていくような器用な人間は、長い目で見ると、人として不誠実な仕事をしたり、長続きしなかったり、やっぱり本物の仕事はしていないように思いますね。
下手な人間は、何でも覚えるのに時間はかかる、愚直に丁寧に仕事をするしかない。そもそも仕事以外のことにまで頭が回らん。でもその分、人間としてのあり方まで含めて、刀鍛冶としての「構」が体の中にきっちりできるんです。この「構」ができれば一人前、どこに行っても刀鍛冶としていい仕事ができるようになる。
▼インタビュー内容はこちら▼
◆「仕事が好き」より「仕事場が好き」
◆運命に導かれ刀鍛冶の道へ
◆修業とは〝構〟をつくること
◆さらなる進化を求めて貪欲に学び続ける
◆幻の技法「映り」に挑む
◆本当の伝承とは、一流の仕事を残すこと
◇河内國平(かわち・くにひら)
昭和16年大阪府生まれ。関西大学在学中から、考古学者の末永雅雄氏に師事。卒業後、刀匠・人間国宝の宮入昭平(のち行平)氏に入門し、相州伝を習う。47年に独立、奈良県東吉野村に鍛錬場を設立。59年刀匠・人間国宝の隅谷正峯氏に入門、備前伝を習う。61年日本美術刀剣保存協会会長賞、62年文化庁長官賞など受賞多数。62年無鑑査認定。平成22年卓越技能者表彰(現代の名工)。技法の途絶えていた「乱れ映り」を再現したことなどが評価され、26年刀剣界最高峰の「正宗賞」受賞、同年黄綬褒章受章。令和元年旭日双光章叙勲。
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