【取材手記】東洋古典のすすめ 境野勝悟×安田登×白駒妃登美

~本記事は月刊誌『致知』2026年2月号 特集「先達に学ぶ」に掲載の鼎談(人生を拓く東洋古典の名著)の取材手記です~

東洋古典を味読し、人生の糧にしてきたお三方が語り合う

東洋古典を味読し活学してきた東洋思想家・境野勝悟さん、能楽師・安田登さん、歴史エッセイスト・白駒妃登美さん。お三方の鼎談「いまこそ若い世代に伝えたい 人生を拓く東洋古典の名著」は、2025年11月17日(月)、雲一つない清々しい秋晴れのもと、お茶室や庭園のある自然豊かな境野さんのご自宅兼私塾にて行われました。

鼎談会場となった和室には、境野さんが揮毫した屏風や書が飾られ、また外からは鳥のさえずりが聴こえてくるなど、まさに東洋古典をテーマに語り合うには絶好の雰囲気でした。実際、お三方とも最初から最後まで話題が尽きないという様子で、一人が話をすれば、それに二人が呼応するというように、とても有意義かつ深い内容の鼎談になりました。

特に境野さんは御年93歳とは思えぬバイタリティで場をリードし、盛り上げてくださいました。

話題は、AI(人工知能)と東洋古典の関係、日本人にとって和歌はどのようなものか、日本文化と西洋文化の比較、日本語の特徴、老荘思想とノーベル賞、世阿弥や松尾芭蕉が残した言葉など、多岐にわたりましたが、どれも核心を突くものばかりで、東洋古典の魅力、東洋古典の持つ力がストレートに伝わってきました。

これから東洋古典を学ぼうという若い方はもちろん、古典の理解をもっと深めたい方にもたくさんの気づきが得られる鼎談です。

出逢いが東洋古典の扉を開く

境野さんは東洋思想家、安田さんは能楽師、白駒さんは歴史エッセイストと、歩んできた道も、心の支えにしてきた東洋古典もそれぞれですが、共通しているのは「出逢い」によって古典の世界に導かれてきたということです。

お三方は東洋古典に目覚めたきっかけを次のようにお話しくださいました。

〈白駒〉
私が古典を大好きになったきっかけは、高校の古文の授業でした。古文を担当する先生が民俗学者の折口信夫先生の流れを汲む方で、『万葉集』の一首を1時間かけて教えてくださるんです。

例えば先生は、奈良時代の歌人である大伴家持の「春の苑紅にほふ桃の花下照る道に出で立つをとめ」という恋を予感させる華やかな歌と共に、「家持はその3年後、同じ季節にこんな歌も詠んでいるんだよ」と、「うらうらに照れる春日にひばり上がり心悲しも独りし思へば」という悲しみに満ちた歌を紹介してくださいました。

大伴家の衰退が進んでいったことなど、いろいろ背景があるとは思いますが、人生の喜び悲しみに接して人間の心のあり方はこれだけ変化していくんだ、千年経っても人間の心は同じなんだって、生きる勇気をいただいたんです。 
〈安田〉
……東洋古典に目覚めるきっかけになったのが、高校で大漢和辞典の編纂に携わった経験のある素晴らしい漢文の先生に出逢ったことです。その先生にお願いして漢文研究会をつくっていただいたのですが、「せっかくだから」と、漢文を訓点、返り点のない白文で読ませるわけです。

そして高校、大学を卒業した私は教員の道に進んだのですが、5年ほど経った頃、同僚の誘いで初めて能を観にいったのです。その舞台で聴いた鏑木岑男先生の謡に魂が震えるほど感動して、すぐに電話で「お稽古をしてください」とお願いをし、教員をしながら稽古を続けるうちに、気がつけばプロの能楽師になっていました。

ですから、いま考えても、もし高校時代に漢文の先生に出逢わなければ、私は漢文や古典に関心がないまま生き、教員や能楽師になることもなかったと思います。

〈境野〉
私は本当に東洋古典が大好きで、93歳のいまも学びは尽きないのですが、どうしてこんなに好きになっちゃったのか、実はよく分からないんですよ。ただお二人のお話を聞いていて、いまふっと思い出したのは、大学を出てから教員として就職したキリスト教系の栄光学園での体験です。

栄光学園では、ヨーロッパの神父さんが20人くらい教えていらっしゃったのですが、当時は、よほど日本について関心があったり、日本語がしっかりできる人しか日本に来ることはできなかったようなんです。ですから、日本のことで分からないことがあると、私にいろいろ質問してくるんですね。

その度に自分で一所懸命調べて答えていたのですが、神父さんたちはいつも「日本はすごい」「日本は深い」「ヨーロッパにはそういう考え方はない」などと言ってびっくりするんですよ。それで私は、わあ、日本の歴史や文化ってすごいんだと気づいたんです。

東洋古典には先人たちの素晴らしい知恵、言葉が鏤められています。しかし皆さんも体験したことがあるかと思いますが、例えば、学校の古典授業が眠気を誘うものであったり、いたずらに知識ばかりを求めるような授業であれば、どんなに東洋古典の教えが魅力的であっても、「よし、古典を自分で勉強してみよう」という気にはならないかもしれません。お三方の体験は、人生における出逢いの大切さを改めて教えてくれます。

不滅の輝きを放つ古典の言葉

東洋古典との出逢いに始まり、鼎談はどんどん核心へと進んでいきます。

白駒さんは『万葉集』や『源氏物語』を、安田さんは松尾芭蕉の『おくの細道』や世阿弥の言葉を、境野さんは同じく『おくの細道』、そして老荘思想を主に取り上げ、ご自身の体験談と併せて語ってくださいました。

例えば、安田さんは、よく知られる世阿弥の「初心」を漢字の成り立ちから紐解かれています。

〈安田〉
私は能を大成した世阿弥の言葉も、正確には伝わっていないのではないかと思っています。

例えば、世阿弥のよく知られている言葉に「初心忘るべからず」がありますが、「初」という漢字は衣(ころも)偏(へん)に刀と書き、着物をつくる布地に鋏(はさみ)を入れることを表しています。ですから、「初心」は自分の心に鋏を入れる、過去の自分をどんどん切り捨てて変化していけという意味で世阿弥は使っているんです。「老後の初心忘るべからず」とも言っていますから、九十歳、百歳、生きている限りは過去の自分を切り捨てていけと。

一般的に、「初心」といえば、「最初に抱いた志、目標をずっと忘れず大事にする」というような意味に理解されているかと思いますが、世阿弥はこの言葉で、90歳、100歳になっても、過去の自分をどんどん切り捨てていく、つまり何歳になっても変化していく、成長し続けていく大切さを説いているのです。人生100年時代といわれるいま、世阿弥の言葉はますます輝き、私たちに生きる指針を与えてくれることでしょう。

白駒さん、境野さんが紐解く『万葉集』や老荘思想の教えにも、いまを生き抜くヒントが満載です。鼎談全文は2026年2月号「先達に学ぶ」P20~をぜひご覧ください!

 本記事の内容 ~全10ページ~
◇視点を持って、古典に向き合う
◇AI時代だからこそ求められる古典力
◇日本は祈りと和歌の国である
◇神父さんとの交流で日本の素晴らしさに気づく
◇大きな命の中で生かされている
◇日本語に秘められた〝共話〟の力
◇遊び心が人生を拓く力になる
◇人間の幸福とは、心が安らかであること
◇『おくの細道』を能の物語として読む
◇無用之用―老荘思想が教えるもの
◇初心とは変化し続けること
◇造化にしたがひ造化にかへれ
◇先達の歩んだ道を倦まず弛まず歩み続ける

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