2025年11月17日
高校男子バスケ界で10度の日本一に輝く福岡第一高校男子バスケットボール部。この強豪を31年前に創部したのが、現在もチームを率いる井手口孝監督です。全国制覇までの軌跡は決して一路順風ではなかったといいますが、いかにして苦境を乗り越え道を切りひらいてきたのでしょうか。創部期を振り返っていただき、ゼロから強豪校へと育て上げた監督の流儀に迫ります。
対談のお相手は、高校女子サッカー界で全国最多となる17回の日本一に輝いている常盤木学園高等学校の阿部由晴監督です。
(本記事は月刊『致知』2025年11月号 特集「名を成すは毎に窮苦の日にあり」より一部抜粋・編集したものです)
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心の支えとなった名伯楽の言葉
〈阿部〉
私がサッカー部を立ち上げたように、井手口先生も福岡第一で男子バスケ部を創部された。そこも共通している点ですね。
〈井手口〉
そもそも私が30歳の時に中村学園を離れる決断を下したのは、ここにいてもあと20年はマネジャー的な立場が変わらないと察したからです。国体で一緒に仕事をすることもあった福岡第一高校女子バスケ部の監督から勧誘を受け、籍を移しました。
ところが、夏頃になると監督との関係がギクシャクしてしまい、最初の1年間はバスケ指導に満足に携わることができませんでした。監督の道は諦めて、審判として生きていくのもいいかもしれない。そう考えていましたが、男子生徒に促されて土曜日の自由時間にバスケ講座を開いたところ、100人以上の生徒が集まってきたんです。
当時は男子バスケ部がなかったので、思い切って校長に相談すると、無事に許可が下り男子バスケ部を創部することとなりました。1994年、31歳の時です。
〈阿部〉
紆余曲折を経て、自らのチームを持つことになった。
〈井手口〉
とはいえ、創部後も苦難の道は続きました。厳しい練習に耐え兼ね、50人ほどいた部員がどんどん減っていくわけです。最終的に残ったのは選手5人、マネジャー2人の計7人でした。
さらに体育館はバドミントン部とバレー部で埋まっており、土曜日の自由時間しか使えない。だから毎日バスを運転し、母校や知人が勤める公立校を回る。朝は誰も使っていないと聞きつけるや否や、バドミントン部とバレー部の顧問に気を遣って掃除という名目で朝練を始めました。「掃除しろ」と声を張り上げながら、小声で「そこでシュート打っとけ」と(笑)。
そうやって闇雲に練習していくうちに、顧問の転勤などが重なってバレー部とバドミントン部は部員が少なくなり、気づけば男子バスケ部だけになっていたんです。
〈阿部〉
きっと、井手口先生の熱量が勝っていたのでしょうね。
〈井手口〉
僕も阿部先生と同じように、創部当時から「日本一になるぞ」と口うるさく言っていました。創部期を共に駆け抜けた7名は僕の戦友です。彼らが卒業する時に「いつか日本一のチームになって、うちの卒業生になってよかったと思える部にする」と約束したことは、常に心に留めていました。
何より支えになったのは、日体大の大先輩であり、能代工業高校バスケ部を33回の全国制覇に導いた加藤廣志先生の言葉です。
中村学園に勤めていた頃、インターハイに出場した教員しか参加できない日体大の同窓会に出席させていただき、加藤先生にお会いしました。加藤先生は僕と隣にいた同級生の名札を見てこうおっしゃいました。
「これからは君たちの時代だ。頑張りなさい」
この言葉には痺れましたよ。励みになりましたし、いまだに思い出すだけで身が引き締まります。
福岡第一で男子の指導を始めた時も、真っ先に会いに行ったのは加藤先生でした。加藤先生に教わった、高さの不利にスピードで打ち勝つスタイルは、いまだに福岡第一のベースになっています。
〈阿部〉
私も全日本女子ユースという全国大会で3年連続優勝した際、自分へのご褒美として加藤先生に会いに行ったことがあります。加藤先生は温かく迎えてくださいましたが、なぜか勉強しに来たはずの私がずっと喋っている。加藤先生はどんな人からでも学ぶ力が強いんですよね。つまり、絶えず自己を磨き高めていた。一流の指導者とは何たるかを教わりました。
常盤木学園高校女子サッカー部監督の阿部由晴さんと、福岡第一高校男子バスケットボール部監督の井手口孝さんは共に『致知』の愛読者。お二人は部員も数少ない創部時から日本一のチームづくりを志し、窮苦の日々を乗り越えて幾度も全国制覇に導いてきました。挫折や失敗をいかに受け止め、前進し続けられるか。スポーツに留まらず組織を率いる優れた指導者の秘訣がそこにあると感じます。
本記事の内容 ~全9ページ(約13,000字)~
◇言葉の持つ力 『致知』は聖書のようなもの
◇心の扉を開くにはとことん付き合うこと
◇出逢いによって導かれた指導者への道
◇強い人間というのは我慢のできる人間
◇心の支えとなった名伯楽の言葉
◇監督は観察者でなくてはならない
◇常勝チームの秘訣は当たり前を積み重ねること
◇苦難は神様が与えてくれた試練
◇負けを知っているから強くなれる
◇ピンチはチャンス 失敗は必然
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◇井手口 孝(いでぐち・たかし)
昭和38年福岡県生まれ。62年日本体育大学卒業後、中村学園女子高校に赴任。平成6年福岡第一高校に就任し、男子バスケットボール部を創部。創部5年目にインターハイ初出場。16年インターハイ優勝。過去インターハイ優勝5回(平成16年、21年、28年、令和元年、4年)、ウインターカップ優勝5回(平成17年、28年、30年、令和元年、5年)を数える。著書に『できるさ。』(青志社)『走らんか!』(竹書房)がある。
◇阿部由晴(あべ・よしはる)
昭和37年秋田県生まれ。60年東北学院大学卒業後、教員免許を取得するため仙台大学に編入。同時期に地域少年団のサッカーコーチを経験し、指導者としてのキャリアをスタートさせる。複数の学校の教職を経て、平成7年常盤木学園高等学校に赴任、サッカー部を創部。5回の全日本高等学校女子サッカー選手権大会優勝をはじめ、これまで17回日本一に導く。著書に『なでしこの父』(エイチエス)『常盤木式女子力の育み方』(ベースボール・マガジン社)がある。
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