2025年10月18日
「ハサミ一つで世界を変えた男」と称されたヴィダル・サスーンの下で研鑽を積み、27歳の時に世界の美容史に残るヘアスタイル「BOX BOB(ボックス ボブ)」を発表。その後表参道で「PEEK-A-BOO」を立ち上げ、喜寿を迎えるいまなおサロンに立つ川島文夫氏。氏の底知れぬ情熱はいかにして育まれたのでしょうか。原点となった師との出逢いを振り返っていただきました。
対談のお相手は、数々の師との邂逅を糧に、独創的な料理で日本のフランス料理界を牽引し続けているフランス料理の巨匠・三國清三氏です。
(本記事は月刊『致知』2025年10月号 特集「出逢いが運命を変える」より一部抜粋・編集したものです)
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全身に電流が走るような衝撃を受けて
〈川島〉
そもそも僕が美容師を志したのは、16歳の頃でした。幼い頃からものづくりが好きだったこと、人との結びつきの中で何かをしたかったこともあり、髪を切ることで人の顔を変えられる美容師の道で勝負しようと思ったんです。
僕が青春時代を過ごした60年代後半は西欧文化がドッと日本に入ってきた時代でしたから、自然とアメリカに強い憧れを抱いていました。海外で活躍する美容師になるには、いち早くアメリカの文化に触れたほうがいいんじゃないか。そう思い立ち、高校は入学後8か月でやめて、美容専門学校に進学しました。卒業後は在日米軍施設・グラントハイツ内の美容室で働きながら英語を学びました。
そこで働く仲間が海外に渡る姿を見る度、アメリカへの思いは募るばかり。ただ、当時はベトナム戦争の最中で、アメリカに行けば招集されるかもしれないと思い、隣のカナダに降り立ったんです。1968年、19歳の時です。
〈三國〉
伝手はあったんですか?
〈川島〉
何一つない(笑)。どうにかなるだろうという安易な考えで飛び込んだんです。トロント市内のサロンを何軒か回り、断られても「雇ってくれるまでここを動かない」と店の前に居座る。三國さんと同じやり方で個人経営の小さなサロンに入れてもらいました。
そこで数か月働いた後、大手百貨店内のサロン「グレンビー」にスタイリストとして採用されました。面接の時に「何ができる?」と聞かれて「何でもやります」と答えた通り、床拭きなどの雑用からカットの仕上げまでこなす。自然と店主から重宝されて、指名客を次から次へと与えてくれました。
こうやってカナダで2年ほど働くうちに成長できた半面、次第に違和感が生まれていったんです。
〈三國〉
違和感、ですか。
〈川島〉
当時はトロントの高級マンションに住み、仕事終わりにホームパーティーばかりしていました。でも、ハラハラしたり、ドキドキしたりすることがない。こんな生ぬるい環境に安住していいのかと、疑問が拭えなかったんです。
そんな時、僕の働いていたサロンに、トロントの「ヴィダル・サスーン」のスタッフが講習会をしに来ました。それまでもサスーンの革新的な作品は何度か目にしていたものの、サスーン流の技術を見た瞬間、全身に電流が走るような衝撃を受けたんです。
「この技術の源流を、本物をこの目で確かめたい」。居ても立っても居られなくなって、翌日チケットを買ってロンドンに飛びました。サロンに休暇を申し出たところ、店主は快く受け入れてくれ、ヴィダル・サスーンのマネジャーまで紹介してくれました。僕も本当に出逢いに恵まれましたね。
〈三國〉
生で見るヴィダル・サスーンのサロンはいかがでしたか。
〈川島〉
当時の美容室は長い時間をかけてスタイルをセットする場所だった一方、サスーンの店はアトリエ風の工房のような空間が広がり、精緻なヘアカットで斬新なデザインがつくられていく。いままで見たことのないサロンでした。
ここでなら死んでもいい。それぐらい魅せられた僕はカナダへ帰る飛行機のチケットを破り捨て1970年、21歳の時にヴィダル・サスーンの門を叩きました。
チケットを破った時は流石に震えましたよ。20代の身軽な時期じゃないと、ポーンとロンドンに渡るなんてできないですよね。もっとうまくなりたいという気持ちが、不安に勝っちゃったんです。
本記事の内容 ~全10ページ(約14,000字)~
◇35年以上にわたり親交を深めてきた道友
◇すべての人を平等に綺麗にしたい
◇8席の即興料理店「三國」に懸ける思い
◇世界に負けるな 自分に負けるな
◇人の嫌がる雑用が道を拓く
◇運命を変えた〝料理人の神様〟との出逢い
◇〝厨房のモーツァルト〟から学んだこと
◇「ハサミ一つで世界を変えた男」との邂逅
◇ヘアデザインは偶然ではなくテクニックで成り立つ
◇どんな大波でも真っ直ぐ突っ込めば沈まない
◇人間が休む時は死ぬ時
◇いい美容師である前にいい人間でなければならない
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◇川島文夫(かわしま・ふみお)
昭和23年東京都生まれ。高山美容専門学校卒業。カナダの美容室勤務を経て、46年ロンドンの「ヴィダル・サスーン」に参加。48年東洋人初となるアーティスティック・ディレクターに就任。美容史に残るヘアスタイル「BOX BOB」を発表。52年「PEEK-A-BOO 川島文夫美容室」を表参道に開店。現在もサロン勤務を行いながら、日本全国・世界各地を行脚して技術指導に励む。著書に『プロフェッショナルの極意』(髪書房)がある。
◇三國清三(みくに・きよみ)
昭和29年北海道生まれ。15歳で料理人を志し、札幌グランドホテル、帝国ホテルにて修業後、49年駐スイス日本大使館料理長に就任。ジラルデ、トロワグロ、シャペルなど世界的な巨匠の下で修業を重ね、60年東京・四ツ谷に「オテル・ドゥ・ミクニ」開店。平成19年厚生労働省より卓越技能賞「現代の名工」受賞。27年仏レジオン・ドヌール勲章シュヴァリエ受章。令和4年「オテル・ドゥ・ミクニ」閉店。7年黄綬褒章受章。9月、四ツ谷に「三國」開業予定。著書に『三流シェフ』(幻冬舎)など多数。
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