2024年08月30日
いなぎ苑の入居者の方々に寄り添いながら、童謡、唱歌を歌う玉田氏
昭和を代表するコーラスグループであるボニージャックス。レパートリーは世界各国の民謡、黒人霊歌、ジャズから、日本の民謡、童謡、唱歌を中心に数千曲を数え、凛々しい歌声、美しいハーモニーで多くの人々の心を癒やし、魅了してきました。そのリーダーとして90歳のいまも現役でステージに立ち続ける玉田元康さんに、過酷な満洲からの引き揚げ体験、グループ結成のいきさつ、充実した人生を生きる要諦を伺いました。
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原点は早稲田大学での出会い
<――玉田さんは旧満洲でお生まれになったそうですね。>
<玉田>
親父は熊本県天草の出身なのですが、旧満洲で事業に成功した親戚から「来ないか?」と声を掛けられたのをきっかけに、高校を卒業する前に現地へ渡っちゃったんです。それで親父は満洲で結婚し、私たち六人きょうだいは全員満洲生まれの満洲育ちなんですよ。
<――終戦までずっと満洲にいらっしゃったのですか。>
<玉田>
親父は時々子供を連れて本土に戻っていましたけれども、私だけ連れていってもらえず、本土の土を踏んだのは戦後でした。
で、終戦後、日本に引き揚げるのが大変でね。満洲にいた日本人の多くは、中国の大の港まで行ってそこから引き揚げ船に乗っていたのですが、親父たちは、「朝鮮半島を通ったほうがいい」と鴨緑江を下って海に出て、38度線手前で上陸して現在の韓国に入ったんです。でも38度線を越える時の検問で、金品などを身ぐるみ剝がされたんですよ。当時僕は小学6年生でしたが、その時のことはいまでもよく覚えています。
<――その大変な状況から、よくぞ日本に戻ってこられましたね。>
<玉田>
皆で野宿しながら港まで移動していったのですが、食料がありませんから、大人たちが農家のところに行き、お芋だのなんだのをもらってくるんです。ある時、あげられるものはないと言われたのですが、私と姉がぼーっと立っていたら、かわいそうだと思ったのかな、その農家のおばさんがお芋を持ってきてくれました。子供ながらに、「ああ、これが乞食って言うんだ」って思いましたよ。
もちろん途中で亡くなる人もいてね……。苦労して港まで辿り着き、引き揚げ船で博多に上陸した時の感慨は大変なものでした。
<――その後、どうされたのですか。>
<玉田>
引き揚げ後は親父の郷里の天草に戻りました。親戚が農地を持っていたので、父はそれを借りて百姓をし、しばらく食うや食わずの貧乏生活が続きました。でも両親は子供たちの教育はきちんとしなくちゃっていう思いが強く、学校には行かせてくれました。学費は満洲時代に購入していた山林を売って出してくれたようです。
僕は親の言うことは聞くし、優等生で勉強はできました。それで姉や従兄が学んでいた早稲田大学に行きたいと、一所懸命勉強して入学することができたんです。
<――早稲田大学グリークラブにはどうして入ったのですか。>
<玉田>
音楽教師の道に進んだ姉や妹がいたこともありますが、僕は変声期に声が低くなり、バスで通用するんじゃないかと漠然と考えていたんです。それで大隈講堂で行われた入学式に出たら、早稲田大学グリークラブが校歌を歌ってくれましてね。「これだ!」と、その足でグリークラブに入部しちゃった。以後大学に入ったのか、グリークラブに入ったのか分からないほど合唱に熱中していきました。
<――プロになるのには、何かきっかけがあったのでしょうか。>
<玉田>
大学を卒業する前に、プロの登竜門であるラジオ番組『青春ジャズ大学』に出たんです。すると、ジャズ歌手で審査員の笈田敏夫さんにえらく褒められて、プロにならないかと言われたんですよ。
ただ、紹介された早稲田の先輩で演奏家・司会者の小島正雄さんを訪ねると、「合宿をして百曲レパートリーをつくってからまた来なさい」とおっしゃるんです。
<――実力をつけてプロになれと。>
<玉田>
大学を卒業した1958年4月から、メンバーの知人宅の離れを借りて合宿が始まったのですが、お金もないので鹿嶌は牛乳配達、僕は進駐軍のキャンプで歌ったり、皆でアルバイトをしながら特訓し、レパートリーを増やしていきました。それを半年ほど続けて小島さんに認められ、プロデビューすることができたんです。
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◉『致知』2024年7月号 特集「師資相承」に掲載、
玉田元康さんのインタビューには、
◆結成66周年、いまも現役
◆早稲田大学で合唱に出合う
◆九十歳のいまが一番幸せ
◆命がけの引き揚げ体験
など90年の体験から得た珠玉の教えが満載です。記事全文はこちら
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◇玉田元康(たまだ・もとやす)
昭和9年旧満洲安東市生まれ。終戦後に日本本土に引き揚げ、父の郷里・熊本県天草で過ごす。高校卒業後、早稲田大学に入学。早稲田大学グリークラブで研鑽を積み、33年コーラスグループ・ボニージャックスを結成してプロデビューを果たす。37年日本レコード大賞童謡賞、49年芸術祭大衆芸能部門優秀賞、58年日本レコード大賞企画賞、平成11年日本レコード大賞功労賞など受賞多数。現在はNPO法人日本国際童謡館に所属。