2025年07月27日
富山大学附属病院で国内初となる膵臓・胆道の専門チームを牽引する外科医の藤井 努氏。外科の常識に違和感を抱きながら、通常10%に満たない5年生存率という膵臓がんの常識を覆し、多くの患者を救ってきた氏の歩みをご紹介します。対談のお相手は同じく富山大学附属病院の膵臓・胆道の専門チーム・内科医の安田一朗氏です。
(本記事は『致知』2025年3月号 対談「かくしてがん治療の常識に挑んできた」より一部を抜粋・編集したものです)
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外科の常識に違和感を抱いて
<安田 >
以来一緒に膵臓がん治療に取り組んできましたけど、藤井先生は、そもそもなぜこの難しい分野に進まれたんですか?
<藤井>
格好いい理由があるわけでは全くないです。私の地元は愛知で、父親は高校の教師をしながら無花果をつくる兼業農家でした。医者とは縁のない家なんです。
<安田>
へえ、ちなみに私も地元は愛知で、父親は小さな町工場の社長でした。ガソリンスタンドに洗車機がありますね。あの部品なんかを製造する町工場ですよ。
<藤井>
ああ、それは初めて聞きました。まあともかく、何科に進まなくちゃいけないとか、医療に対するしがらみが一切なかった。これはよかったですね。
<安田>
同感です。
<藤井>
地元の名古屋大学医学部に進み、いろんな分野を見る中で、自分が携わった患者さんが、病気が治って元気に帰っていかれることにすごく幸せを感じたんです。それで、一番患者さんが多そうな消化器外科を選びました。
1993年に医学部を卒業して、県内の病院で脱腸や盲腸といった手術の経験をひと通り積みましてね。目が向いたのが消化器外科の最高峰、一番難しいとされる膵臓と胆道の手術でした。当時はいまより治療が難しくて、手術しても手術しても、ほぼ全員が2年も生き延びられず亡くなりました。
<安田>
あぁ、2年未満で。
<藤井>
他の外科の先生には「何でそこに行くの?」「膵臓なんて手術したって無駄じゃない、どうせ治らないんだから」ってよく言われましたよ。膵臓の手術って早くて6~7時間、長いと10数時間はかかります。その分、患者さんの体に負担がかかるので術後も問題が起きやすい。管理が大変という意味でも、外科医の中で〝外れくじ〟の分野でした。
それでも、実際患者さんに接すると、皆さん何とか治らないかと必死でいらっしゃる。当然治せるようになりたいと思いますよね。
幸いだったのは、名古屋大学病院で働きながら、膵臓がん治療の第一人者・中尾昭公先生に就いて学べたことです。中尾先生は、門脈という重要な血管に浸潤したがんを手術可能にする術式を編み出し、大勢の命を救われている方です。救えないと言われた命が救えるようになる。弟子に一から十まで教える方ではなかったですが、いいお手本を見せてもらいました。
<安田>
なるほど、よい先生に恵まれたんですね。
<藤井>
それともう一つ、膵臓がんに取り組む上でよかったのが、人の話を素直に聴けないという私のひねくれた性格です(笑)。
膵臓がんは、患部を切除した後に膵液が漏れて膿が溜まったり、その液が血管を溶かして大出血が起きたりと、深刻な合併症が起こることが通説として知られています。こういうケースでは、中尾先生にも「こういうもんだ」と諭されましたが、私は相手が誰でも鵜呑みにせず「本当にそうか?」といつも疑っていました。
<安田>
ああ、鵜呑みにしない。
<藤井>
もっと根本的に、もっと安全に治す方法があるんじゃないかと。世間の常識はそうかもしれないけど、目の前の患者さんは必死で私たちに助けを求めておられるわけですね。医者が「そういうものか」と納得してしまったらそこで終わりですよ。
その頃から、他の医者が取るのを諦めるような膵臓がんを取りにいき、また低侵襲(体への負担が少ない)の術式を考えるようになりました。膵液の漏れを防ぐため、膵臓や胆管と空腸の繋つなぎ方を一人で研究して2014年、46歳の時、術後の膵臓を再建する新しい吻合法(Blumgart変法)を確立しました。これを行うことで合併症は圧倒的に減りました。
<安田>
素晴らしい。
<藤井>
学会では散々、クレイジーだと揶揄されました。めげずに実際の手術で繰り返してデータを取り、五年生存率がこれだけ上がりましたというところまで辛抱強く発信していると、だんだん「藤井先生の言う通りにしてみます」という声が聞こえてきましたね。
◇藤井 努(ふじい・つとむ)
昭和43年愛知県生まれ。平成5年名古屋大学医学部卒業、小牧市民病院研修医。18年名古屋大学大学院修了、医学博士。米国マサチューセッツ総合病院(ハーバード大学)に留学後、21年名古屋大学第二外科(消化器外科学)助教。同講師、准教授を経て、29年より富山大学消化器・腫瘍・総合外科(第二外科)教授。30年9月より富山大学附属病院膵臓・胆道センター長。
◇安田一朗(やすだ・いちろう)
昭和41年愛知県生まれ。平成2年岐阜大学医学部卒業。岐阜市民病院を経て、10年岐阜大学病院。14年医学博士、ドイツハンブルク大学エッペンドルフ病院内視鏡部留学。岐阜大学第一内科講師、同准教授を経て26年帝京大学消化器内科学教授。30年6月より富山大学消化器内科(第三内科)教授。同年9月より富山大学附属病院膵臓・胆道センター副センター長。
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