「苦を忘れるために夢中になる」——人間国宝・坂東玉三郎さんが語る人生の本質

現在、女形の歌舞伎役者の生きる世界を鮮烈に描いた映画『国宝』が興行収入10億円を突破する大ヒットを記録しています。歌舞伎といえば、『致知』2014年8月号にて〝稀代の女形〟と称えられる「歌舞伎女方」人間国宝・坂東玉三郎さんに表紙を飾っていただきました。2012年に人間国宝になられた坂東玉三郎さんは、いかにして小児麻痺の後遺症という身体的ハンディキャップを乗り越え、歌舞伎界の女形の最高峰に位置するに至ったのでしょうか。これまでの苦難の道のりを振り返っていただきながら、人生の本質とは何かを語っていただきました。
(本記事は『致知』2014年8月号 特集「一刹那正念場」より一部を抜粋・編集したものです)

各界一流プロフェッショナルの体験談を多数掲載、定期購読者数No.1(約11万8,000人)の総合月刊誌『致知』。人間力を高め、学び続ける習慣をお届けします。
1年12冊の『致知』ご購読・詳細はこちら※動機詳細は「③HP・WEB chichiを見て」を選択ください

技術は伝えられるが道は教えられない

――平成二十四年には人間国宝になられました。

<坂東>
責任が重くなりました。そうやって認めていただいたことは本当にありがたいことですが、何かにつけてそれが重いですね。国宝の方がたくさんいらしたり、 あるいは私たちの養父の時代のよ うに俳優もたくさんいらっしゃっ た頃は責任も分散されていたでしょうけれど、いまは歌舞伎俳優が少なくなって、さらに女形で主役をやれる人も少なくなりました。

――国宝も、いまは女形では玉三郎さんお一人ですね。

<坂東>
はい。そういう意味で「責任の重さ」を感じます。

ただ、「国宝」というのは通称でしてね、正式には「重要無形文化財保持者」です。後進の指導にあたるのが主な役割で、それに対して国からも予算がつきます。

お話をいただいた時は自分には相応しいものではないと思いました。ただ、「後輩のために受けてほしい」と言っていただき、歌舞伎の将来のためにはお引き受けせざるを得ないと思いました。

――玉三郎さんが先輩から受け継いできたものを、今度は後進へと継承していかれるわけですね。

<坂東>
そうなんですけれども、いまの環境・・・・・・・社会環境というよりも芸道を修行する環境が、やっぱり我われの頃とは違いますから、 伝承が難しいことも確かです。

――ああ、環境が違いますか。

<坂東>
全然、違います。

同じく重要無形文化財保持者になった竹工芸の藤沼昇さんも、木工芸の灰外達夫さんも、認定されてのご挨拶でそれぞれが伝承が難責しい時代になったとおっしゃっていましたが、特にお狂言の山本東次郎さんの一言が秀逸でした。

「技術は伝えることができるけれども、なかなか道というものを伝えられない時代になった」

道というものを伝えにくくなった、道というものはこうだと言っても、そこを伝え難くなった、とおっしゃっていましたが、本当にそのとおりなんです。

ああ、なるほど、そこだなと思いました。踊りの技術は教えられるけれども、芸道に対してわき目も振らず進んでいくことは数えられないし、そういう生き方が本当に難しい時代になりました 。

女形はしっかりした修行と生活がなければできないものです。技術も大事ですが、品格は特に大事で、それはやはり私生活やお稽古事への姿勢からでき上がってくるものだと思います。昔のように師匠と弟子がともに暮らし、生活全部が修行ということがなくなりましたから、そういう意味では女形が生まれにくい時代です。ある時期に相当詰め込んだ修行をしなければ、技量、品格が揃い、 お客様が認めてくださる女形にはなれないんですね。

明日また舞台に立つことだけを考えて

<坂東>
ただ、二十歳までは本当に体が弱かったですから、いつも「踊れなくなったらどうしよう」という思いがありました。そして舞台を終えると「ああ、きょうも終えることができた」と。だからとにかく「明日、また舞台に立つ」。そのことだけを考えてやってきました。それはいまも変わらないです。

――遠い未来の目標ではなく、明日の舞台だけを考えて。

<坂東>
はい。特に私は女形としては大柄だと言われてきましたので、小さく見えるように舞台に立ってきました。これが結構な負担がかかっているようで、体のメンテナソスをしてすぐに休まなければ、 とても翌日起き上がれない。

だから舞台が終われば真っすぐ家に帰っていました。よく「玉三郎さんは寄り道もせずに芸道に励まれ・・・・・・」とか言われますが、別にこれも美談でも何でもなく(笑)、必要に迫られてのことです。他の方のように舞台の後に寄り道したりすることができない体だったんです。その若い時習慣がいまも続いているだけなんです。

――全神経を一場一場に注いでこられたのですね。

<坂東>
この一幕、必死で舞台に立つ、その繰り返しで今日まできました。もちろん、それはこれからも続きますが、冷静に見れば肉体的にはあと10年持たないでしょう。 その見極めはしっかりしないといけないと思っています。

――有名な6代目尾上菊五郎は「まあの世だ足らぬ踊りおどりてまで」という言葉を残していますが、そういう心境ではない?

<坂東>
「まだ足らぬ」という心境は大いにあります。芸道には終わりはありませんから。

ただ、「踊りおどりて あの世まで」という感覚は私にはないんですね。6代目さん(菊五郎)はいまの私の年齢の年に、舞台の最中の眼底出血が元で亡くなったといせわれます。六十四歳でしたからまだまだ踊れるという感覚を持っていらしたのでしょう。

しかし、私はこれから先、お客後様の前で踊ったら失礼な時が来るんです。一人の人間の人生としては、意識がしっかりとしている限り無限に前進していきたいと思いますが、俳優としては肉体的にいずれ限界がきます。そのギリギリのせめぎ合いです。だから私の場合は・・・・・・「まだ足らぬもがきもがきて あの世まで」という心境ですね(笑)。

――舞台で主役を務めるというこことはそれだけきついということでしいすね。

<坂東>
はい。あとはどれだけまで自分の体を騙せるかです。

――でも、その苦の中に楽しみがある?

<坂東>
いや、楽しみはないです(笑)。 人生って修行なんです。それぞれが天からいろいろな課題が与えられていますが、それは全然楽なものではない。

よく「苦楽」といいますが、そんなちょうどよく50パーセントずつではないです。たぶん分量としては「苦楽苦」。楽があるとすれば一割か二割です。ただ、幸いなことに苦も楽も定着するものではありません。一瞬一瞬刻々と変わっていきます。苦しみの中にフッと楽しみがあったり、楽しみの中に苦しみがあったり。

――それが人生の本質ですね。

<坂東>
私は苦を感じたくないの(笑)。 だから一所懸命になる。一所懸命になっている時って苦を忘れるんですよね。苦を忘れるために夢中になる。そうなれば夢の中ということです。


◇坂東玉三郎(ばんどう・たまさぶろう)
本名・守田伸一。昭和25年東京都生まれ。6歳から舞踊を習う。翌年 14代目守田勘彌の部屋子となり、坂東喜の字を名乗り初舞台。39年守田勘彌の芸養子となり、五代目坂東玉三郎を襲名。44年三島由紀夫の新作歌舞伎『椿説弓張月』の白縫姫に大抜擢され、一躍脚光を浴びる。以来、歌舞伎界の第一線で活躍し続け、本年玉三郎襲名50 周年を迎えた。平成23年第27回京都賞思想・芸術部門、24年重要無形文化財保持者に各個認定(人間国宝)。25年フランス芸術文化勲章コマンドゥール章、26年紫綬褒章受章。

各界一流プロフェッショナルの体験談を多数掲載、定期購読者数No.1(約11万8,000人)の総合月刊誌『致知』。人間力を高め、学び続ける習慣をお届けします。

1年間(全12冊)

定価14,400円

11,500

(税込/送料無料)

1冊あたり
約958円

(税込/送料無料)

人間力・仕事力を高める
記事をメルマガで受け取る

その他のメルマガご案内はこちら

『致知』には毎号、あなたの人間力を高める記事が掲載されています。
まだお読みでない方は、こちらからお申し込みください。

※お気軽に1年購読 11,500円(1冊あたり958円/税・送料込み)
※おトクな3年購読 31,000円(1冊あたり861円/税・送料込み)

人間学の月刊誌 致知とは

閉じる