2025年06月10日
「そんなの関係ねぇ!」「はい、おっぱっぴー」の芸で一世を風靡し、子どもを中心に絶大な人気を誇った小島よしおさん。ブレイク後は一発屋と揶揄され、「消える芸人ランキング」で1位に選ばれるなど厳しい状況にあった小島さんですが、そんな中、ふと手にした1冊の本が背中を押してくれたと言います。芸人になるきっかけのエピソードも踏まえ、語っていただきました。
(本記事は『致知』2025年6月号 特集「読書立国」より一部を抜粋・編集したものです)
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前に進む力をくれた雑草の生存戦略
<小島>
大学では教育学部に学んだのですが、教師になりたいわけではなく、はっきりした将来像は描けていませんでした。
ところが、たまたま参加したあるサークルのお花見会で、現在お笑いコンビ「かもめんたる」として活躍する岩崎う大さんと出会い、意気投合。岩崎さんが所属するお笑いサークルに入会することになったのです。
先に触れたように、子供の頃から周りを楽しませることが好きだった私はお笑いに熱中。在学中の2001年、サークルから選ばれた5人でコントグループを結成し、プロの世界に入りました。
とはいえ、プロの世界はやはり厳しく、実力不足を痛感する日々でした。特にネタづくりを他のメンバーに頼り切っていたことで、芸を自分で考えることができなかったのは致命的でした。コントグループに所属することにより、何とかやっていけていたのです。
その中で2006年、大学卒業と共にコントグループが解散することになり、26歳の私はピン芸人として1人で活動することになりました。当然、自分で考えたお笑いネタを披露しても全まったくうけません。周りからも「おまえには無理だ」と言われ続けました。
もうだめかもしれない――諦あきらめかけた私を支えてくれたのは、心ある先輩方でした。毎日のように食事会に誘ってくださり、お笑いのイロハを叩き込んでくださったのです。そこから海パン姿で「そんなの関係ねぇ!」「はい、おっぱっぴー」を連呼する芸が生まれ、ブレークへと繋つながったのでした。
そしてもう一つ、私の進むべき道を示してくれたのがまさに読書でした。ブレーク後も、一発屋と揶揄やゆされ、某雑誌の「消える芸人ランキング」で3年連続1位に選ばれるなど、厳しい状況は変わりませんでした。どうしようかと悩む中、私は本屋でふと1冊の本を手にします。植物学者・稲垣栄洋さんの『弱者の戦略』です。
同書には、地球上で生き残ってきたのは強者ではなく、むしろ雑草のような弱者である。雑草は弱いからこそ、ライバルのいないところに根を張って生き延びてきた、と書かれていました。その頃、私は先輩のアドバイスで子供向けのお笑いライブに取り組みはじめていたのですが、逞たくましく生きる雑草の姿が、お笑いの世界で何とか生き残ろうとする自分に重なったのです。そして当時あまり他の芸人が取り組んでいなかった子供向けライブこそ、自分の生きる道だと大いに背中を押され、全身全霊で向き合うようになったのです。
このような活動の継続が、後のYouTubeチャンネル「小島よしおのおっぱっぴー小学校」に繋がったことは先に触れた通りです。
(本記事は『致知』2025年6月号 特集「読書立国」より一部を抜粋・編集したものです)
業界きっての読書家としても知られる小島よしおさんは、現在16万8,000人を超えるYouTubeチャンネル「小島よしおのおっぱっぴー小学校」の運営や学習書の出版を通して子供たちの教育に情熱を傾けておられます。なぜ人は学ぶのか──。小島氏が実践から掴んだ学ぶ楽しさ、「読書の力」についてお話しいただきました。
◇小島よしお(こじま・よしお)
昭和55年沖縄県生まれ。早稲田大学教育学部在学中に5人組コントグループ「WAGE」のメンバーとして芸人デビュー。平成18年よりピン芸人として活動を始め、19年「そんなの関係ねぇ!」「おっぱっぴー」の芸でブレイク。令和2年4月からYouTubeチャンネル「小島よしおのおっぱっぴー小学校」で子供の学習を支援する動画を公開。『小島よしおのボクといっしょに考えよう』(朝日新聞出版)など著書多数。
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