2023年11月17日
国民教育の師父・森信三師に「超凡破格の教育者」と称された徳永康起氏。貧しい生徒、悪事を犯した生徒にも分け隔てなく接する氏の言動には、「人を育てる極意」が詰まっています。徳永氏から複写ハガキを教わったというハガキ道伝道者・坂田道信氏に、“伝説の教師”の人となりを表すエピソードを語っていただきました。 ◎各界一流プロフェッショナルの体験談を多数掲載、定期購読者数No.1(約11万8,000人)の総合月刊誌『致知』。人間力を高め、学び続ける習慣をお届けします。
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徳永先生に導かれた子供たち
〈坂田〉
ある日の工作の時間に、「先生、買ったばかりのナイフがなくなりました」と1人の子が騒ぎ出したことがありました。徳永先生が皆を校庭に出して調べると、ある男の子の机の中にありました。
その子は、いつも家で出来のいいお兄さんと比べられて叱られていたんだよな。だから、親にナイフを買ってほしいと言えなくて、他の子のナイフを盗んだんです。
その子の気持ちがよく分かっていた徳永先生は、すぐ裏門から文房具屋に行って、なくなったナイフと同じものを買ってきて、盗られた子の机の中に入れました。
そして皆を教室に戻すと、盗られた子は「先生、ありました」と喜んだ。徳永先生は、盗った子には一言も注意しませんでした。その子は目に涙を溜めて徳永先生を見ていたと書かれています。
やがて太平洋戦争が始まり、その子は特攻隊として出撃することになりました。明日は出撃という時、ほとんどの隊員は両親に宛てて遺書を書くけども、その子は徳永先生宛に遺書を書いたそうです。
「先生はあの時、僕をかばって許してくださいました。本当にありがとうございました。先生、僕のような子供がいたら、どうぞ助けてやってください。本当にありがとうございました。さようなら」
そして少年はニューギニアの空に散りました。徳永先生はこう書いておられます。
「涙というのは下を向いて流すものだと思っていたが、上を向いても涙が流れるのを知った。これほどありがたいことはない」と。
徳永先生は、2万3,000通のハガキを書いて昭和54年に67歳で亡くなりました。
その2万3,000通のハガキは、森先生のお弟子さんの寺田一清先生によって、『徳永康起遺文集』という本にまとめられました。名著です。
森先生は、明治に教育法が制定されて以来、最高の教師が徳永康起先生だとおっしゃっていました。私はその徳永先生に複写ハガキを教えてもろうたんだよなぁ。
◉『致知』2023年6月号 特集「わが人生の詩」◉
追悼・特別講話〝ハガキ道に生きる〟
坂田道信(ハガキ道伝道者)
↓ 記事の内容はこちら!
◆その人の実力は友達の数
◆自分の生業を通じて人格を磨いていく
◆複写ハガキを教わった徳永康起先生
◆徳永先生に導かれた子供たち
◆ちょっとの差が大きな差になる
◆これからは自分自身のネットワークをつくる時代
◆相手の欠点を注意しない
◆人生は失敗の量失敗が教えてくれる
◆『致知』と共に歩み『致知』に育てられた
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◇坂田道信(さかた・みちのぶ)
昭和15年広島県生まれ。県立向原高校を卒業し、農業の傍ら大工見習いとなる。46年森信三師と出会い複写ハガキを始める。ハガキによるネットワークを確立し、講演などで全国を飛び回る一方、食への関心を深め、自宅を開放した半断食、坐禅断食の会や料理教室を開催。令和5年逝去。著書に『ハガキ道に生きる』『この道を行く』(共に致知出版社)などがある。