2024年08月24日
同じ昭和7年に生まれ、片や経営者、片や作家として異なる道を歩んできた稲盛和夫さんと五木寛之さん。活躍する分野は違えど、ともに生と死に真摯に向き合ってきたお二人に、日常生活の中で自分を磨き高める秘訣について語っていただきました。
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教えと実践は重なっていなければならない
〈稲盛〉
白隠禅師は『坐禅和讃』の中で、坐禅をして悟りを開くことも大事だけれども、お布施をしたり念仏を唱えたり懺悔をしたり、日常生活の中でそういう諸善行に勤めることも悟りに近づくもとなんだと説いていますね。
六波羅蜜という仏の教えがありますね。布施、持戒、忍辱、精進、禅定、智慧、これを実践するだけでいいと私は思っているのです。つまり布施は、人様のために一所懸命奉仕をすること。持戒は、人間としてやってはならないこと、人様が不愉快に思うことをしないこと。
忍辱は、人生における様々な困難を耐え忍ぶこと。精進は、一所懸命働くこと。禅定は心を静かに保つこと。そういうことを地道に続けていけば、魂が磨かれ、心がきれいになり、智慧という悟りの境地にまで達することができるということです。
いまお話しになった新しい平成の仏典を通じて、せめてそういうことを多くの人が理解するようになれば、と思います。
〈五木〉
おっしゃる通りだと思います。そういうものは道徳であって、仏教というのはもっと高遠なものを求めるんだと考えられがちですが、僕はやっぱり教えと実践は重なっていなければいけないと思いますね。ブッダの生涯そのものがそうでした。
いまお話しになった布施の中には、「無財の七施」(眼施、和顔施、言辞施、身施、心施、床座施、房舎施の七つの施し)というのがあって、僕は大好きなんですけれども、眼施、つまり優しい眼差しで相手をじっと見つめるということも一つの大きな布施ですから。
和顔施、通りすがりにニッコリ笑って、相手の心を春風が吹いたような気持ちにしてあげることだって大きな布施でしょう。
そういうことをお坊さんが分かりやすく語って広く理解されるようになり、様々な分野に導入されていけば、世の中も随分変わってくると思います。
湿式社会から乾式社会へ
〈稲盛〉
(中略)われわれの時代に比べて、いまみたいに豊かで、花よ蝶よと大切に育てられ、ちっとも苦労しない子どもというのは、本当は幸せではないかもしれないという気がしますね。
〈五木〉
いまの子どもたちの目というのは光っていないですね。何かぼうっとした、倦怠感に満ちた表情を見るたびに、僕は本当にいやな気持ちになって、なんとかイキイキしたものを取り戻す方法はないかと思うのです。
戦後の焼け跡に引き揚げてきた時、上野の地下道にはシラミだらけの子どもがいて、ドラム缶のお風呂に入ったり、良家の子女がガード下でお客さんの袖を引かなきゃいけないようなありさまでした。しかし、その中でも日本人にはものすごくエネルギーがあったような気がするのです。
〈稲盛〉
確かにありました。
〈五木〉
翻って、いまのこの豊かな中で年間約3万2千人もの人が自殺をしている。戦争中も戦後も、戦災で亡くなる人や餓死する人はいたけれども、自ら命を捨てるようなことはなかったと思うんですね。いったいこれはどうなっているのか。いまの日本人に何が失われたのか。
小学生がスクールバスで送り迎えされて幸せかといえば、必ずしもそうではない。僕らは下駄履きで二里三里と歩いて学校に通ったけれど、それでもイキイキしていた。いまの若い人や子どもたちは、何か死んでいるような目をしていると思う時があるんです。
〈稲盛〉
本当にそうですね。
〈五木〉
数年前の『中央公論』に、東大の鈴木博之さんという建築工学の先生が、戦後の日本の建築工学の発展は「湿式工法」から「乾式工法」への大転換にあったと書かれています。
昔は、家を建てている前を通りかかりますと、鉄板の上にセメントの粉をわっとあけ、そこへ砂利と砂を入れてバケツで水を入れてこね回しておりました。壁土を練るとか漆喰を作るとか、水を多量に使って家を建てていたんですね。
それが50年の間に、コンクリートは工場で造って持ってくるようになり、壁土を使わないでベニヤ板にビニールの壁紙を貼るようになり、さらにアルミサッシ、プラスチック、軽金属、ガラスなどを使って、一滴の水も使わずに一軒の家が建つようになった。それを「乾式工法」というのだそうです。
僕は、乾式へ大転換をしたのは建築だけでなく、教育にしても、医療にしても、あらゆる分野でそれが当てはまると思うのです。僕たちはいま、完全な乾式社会の中に住むようになった。一滴の水分も、さっき言った情なんていう水分の存在しないところで生まれ育つようになった。そうなると、心の中まで変わってくるのは当然だと思うんです。
水分を含んでいるものは重いけれども、乾いたものは軽い。だから、乾式の社会は軽い社会であって、その中で心が乾けば、命が軽くなるということにもつながってくる。困った時に簡単に自分の命を放り出す、あるいは他人の命を奪う。こういうことも、心が乾いているということからくるのでしょう。
ですから僕は、そういうすべてが乾燥しきって水分がないところへ、オアシスの水を注ぐ必要がある、日本人の渇ききった心に井戸を掘って、水分を含んだみずみずしい心を取り戻す必要があるのではないかと思うんです。
そのためには、やっぱり先ほど申し上げた、「情報」の「情」というものの意味を、もう一度しっかり考えること。笑うことだけではなく悲しむこと、泣くこと、そうした戦後放り出してきたいろんなものを再検討してみる必要があるのではないか、と思っているのです。
〈稲盛〉
五木さんは何かに、人間は悲しい時に悲しい歌を歌うんだ、悲しい時に勇ましい歌を歌っても励まされないということを書いていらっしゃいましたが、私も確かにそう思いますね。
私は、仕事がうまくいかない時、よく一人になって淋しい歌を歌ったものです。そうすると、心が慰められ、もう一回頑張ってみようという思いがふつふつと湧き上がってきたからです。ああいうメランコリーな情感というのが、魂に潤いを与え、新たな挑戦を促す起爆剤になるということは、実感としてよく分かりますね。
(本記事は月刊『致知』2004年8月号 特集「何のために生きるのか」より一部抜粋したものです)
◎致知最新4月号「人生の四季をどう生きるか」に五木さんがご登場!
◇五木寛之(いつき・ひろゆき)
昭和7年福岡県生まれ。25年早稲田大学文学部露文科中退後、放送作家などを経て41年『蒼ざめた馬を見よ』で直木賞を受賞。以後、『青春の門』『朱鷺の墓』『戒厳令の夜』など数々のミリオンセラーを生む。56年より休筆、京都の龍谷大学で仏教史を学び、60年から執筆を再開。小説のほか、音楽、美術、歴史、仏教など多岐にわたる文明批評的活動が注目されている。
◇稲盛和夫(いなもり・かずお)
昭和7年鹿児島県生まれ。鹿児島大学工学部卒業。34年京都セラミック(現・京セラ)を設立。社長、会長を経て、平成9年より名誉会長。昭和59年には第二電電(現・KDDI)を設立、会長に就任、平成13年より最高顧問。22年には日本航空会長に就任し、27年より名誉顧問。昭和59年に稲盛財団を設立し、「京都賞」を創設。毎年、人類社会の進歩発展に功績のあった方々を顕彰している。また、若手経営者のための経営塾「盛和塾」の塾長として、後進の育成に心血を注ぐ。著書に『人生と経営』『「成功」と「失敗」の法則』『成功の要諦』(いずれも致知出版社)など。