人生の苦しみをどう乗り越えるか 山川宗玄×鈴木秀子 

禅の修行道場の中でも一際厳しいことで知られる岐阜県の臨済宗正眼寺。その住職を務める山川宗玄老師と、カトリック信仰に生き多くの人の苦悩に耳を傾けてきた鈴木秀子さんに、人生で直面する様々な逆境や苦しみを乗り越えるヒントを伺いました。

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僧堂に入って出会った試練

〈山川〉 
私がこの道場に入門した時、34人の先輩雲水がいて私は35番目でした。例えば風呂に入るのは35番目で、しかも誰よりも早く出なくてはいけない。先ほど夜坐の話をしましたが、これも誰より遅く出て行って一番最後に戻らなくてはいけない。開枕で布団を敷いた禅堂に戻るのが、だいたい夜中の1時とか1時半です。それで起こされるのが3時半。

〈鈴木〉 
では、眠るのは2時間程度。人間には睡眠不足が一番堪えるっていいますけど、毎日がそういう生活だったのですね。

〈山川〉 
自分ではまだ若く体力には自信を持っておりました。しかし、いつしか、身心ともにボロボロになり免疫力も落ちて、小さな傷でもすぐに化膿してしまう。当時、月に7回は托鉢に出るのですが、気がつくと歩きながら寝ている。道から逸れてボトッと田んぼに落ちて目が覚める、ということが何度もありましたね。しかも、私は学生時代の援農で背骨や腰を痛めておりましたから、肉体面での苦痛も大きかったのです。

僧堂に入って1か月半、まだ修行の「し」の字も分からない頃でしたが、「このままでは死ぬかもしれない」と思うようになっていました。「せっかく僧堂に入ったのだから3年は故郷に帰らずに頑張るぞ」と思う一方で「そんなこと、とてもじゃないが無理だな」という弱い気持ちがないまぜになる。だからといって逃げ去るのは絶対に嫌でした。

「生かされている」という真実

〈鈴木〉 
それで、どうされました?

〈山川〉 
お恥ずかしい話なのですが、この矛盾、つまり修行から解放される方法は「修行半ばでこの人は挫折した」と皆から思ってもらえることだ、という結論に達しました。それにはこの修行中に突然バタッと倒れて救急車で運ばれるのが一番いい、と何も分からない頭で考えたのです(笑)。

そうなると、一刻も早く倒れなければならない。となれば毎日の修行は厳しいが、さらに負荷をかけて厳しくすれば、早い時期に倒れてくれるのではないか。そこで坐禅も作務も托鉢も身を粉にしてとことん頑張りました。予定では数日、長くても1週間で見事に倒れ、誰かに介助されて救急車で運ばれるという筋書きでした。修行とは全く違う方向ですが、本人は必死でした。人間に残る最後の欲望は休みたいということだと実感したのもこの頃です。

〈鈴木〉 
倒れられたのですか。

〈山川〉 
ギリギリだとは自分でも感じているのですが、倒れないんです。面白いことに。

〈鈴木〉 
人間の限界を押し広げていかれたのでしょうか。

〈山川〉 
自分の思う限界は限界ではなかったのかもしれませんが、いずれにしてもギリギリのところで踏みとどまっていたと思います。そうなると、不思議なもので余計なことを考えなくなるのです。「倒れたい」という気持ちと「倒れないな。不思議だな」という実感。

そして、ある満月の晩でした。皆が寝に帰った後、いつものように一人で夜坐をしていました。ボーン、ボーンという時計の音で「あっ、2時だ」と分かる。それまでの私なら、「いま禅堂に戻っても1時間半しか休めない」と思っていたと思います。倒れたいと願っているはずなのに、面白いものでそんなことを考えてしまう。だが、その日はなぜか「1時間半しか」ではなく「1時間半も休ませていただけるのか」という言葉が心の奥底からフッと浮かんできたのです。その途端、ガラガラガラと世の中が変わっていくような感触を得たのです。「自分は変わった」と思いました。

〈鈴木〉 
生死のギリギリまで追い込んだご自身を、いっぺんのうちに変化させた出来事でしたね。

〈山川〉 
どうして変わったのかは自分でも上手く説明できません。たぶんそのように仏様から導いていただいたのでしょう。ただ、倒れなかった理由は分かった気がしましたね。

〈鈴木〉 
どういうことですか。

〈山川〉 
簡単に申しますと「生きているのではない、生かされているのだ」ということ。それが言葉ではなく実感として分かったのです。生きよう生きようと肩肘張っている小さな自分を超えたところに、自分が生かされている存在だという紛れもない真実があった、といいますか。
そして、これは「生かされている」のですから、「死ぬことはない」ともなります。

私は倒れようと思って精いっぱい頑張ったわけです。それは全くの見当違いだったのですが、そのお陰で「しか」という心の深層の不平不満から少し解放されて、「も」という安心の世界に、それこそちょっと入れたのだと思いますね。

生きていく上ではいろいろな出来事に遭遇します。これはキリスト教や儒教にもあるようですが、天はその人の担える試練しか与えない、という教えは本当だと思います。十分に耐えられるから苦しみながらも生きていられる。もし耐えられなければ、そこで死んでいるはずです。

苦しい状況に遭遇したら、自分はそれだけ大きな人間だと考えて黙って受け入れて前を向いて歩いていく。これが禅の発想ですね。


(本記事は『致知』2015年5月号 特集「人生心得帖」より一部を抜粋・編集したものです。)

◎『致知』2023年3月号 特集「一心万変に応ず」では、文学博士・鈴木秀子さんとともに、JFEホールディングス名誉顧問・數土文夫さん、臨済宗円覚寺派管長・横田南嶺さんという弊誌お馴染みの三氏が鼎談を披露。変化の激しいいまのこの時代、どのような心構えで臨んでいったらよいのか――その人間学に根ざした人生や仕事の叡智を示していただきました。本記事の詳細はこちら

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◇鈴木秀子(すずき・ひでこ)
東京大学大学院人文科学研究科博士課程修了。聖心女子大学教授を経て、現在国際文学療法学会会長、聖心会会員。日本で初めてエニアグラムを紹介し、第一人者として各地でワークショップなどを行う。著書に『幸せになるキーワード』(致知出版社)『死にゆく者からの言葉』(文藝春秋)『愛と癒しのコミュニオン』『あなたは生まれたときから完璧な存在なのです』(ともに文春新書)など多数。 

◇山川宗玄(やまかわ・そうげん)
昭和24年東京都生まれ。49年野火止平林僧堂の白水敬山老師について得度。同年正眼僧堂に入門。平成6年正眼寺住職、正眼僧堂師家、正眼短期大学学長。著書に『生きる』『無心の一歩を歩む』『無門関提唱』(いずれも春秋社)など。

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