世界の夜景を美しく彩る照明デザイナー・石井幹子さんが活躍し続ける理由

平成元年、観光スポットとしてまだ人気が高くなかった東京タワーの照明を手掛け、一躍人気スポットに変えた石井幹子さん。その後、東京タワーの夜景が見えるというだけで港区内の地価が上がったといいます。いまや日本だけでなく、世界の夜景を美しく彩る石井さんの仕事力の原点とは? 筑波大学名誉教授・村上和雄先生との対談をお届けします。(写真右が石井さん、左が村上先生)

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ラスベガスに蜃気楼を見て

〈村上〉
照明に関して僕が思い出すのは、ラスベガスですね。50年くらい前のことですが、アメリカにおりました時に、車で西部を旅行していたところ、砂漠の中にパッと竜宮城に来たのではないかと見まがうような、光に包まれた街が浮かび上がってきたんですよ。

これがラスベガスかと気持ちが高ぶりましてね。勢い込んでスピードを上げたら、警察に捕まりました(笑)。

〈石井〉
私が初めてラスベガスに行ったのは1970年でしたけど、砂漠の中に忽然と大電飾都市が現れた時は、まるで蜃気楼を見ているかのようでした。

でも、それ以上に感動したのは、当時はまだ白熱電球でしたけど、ものすごい数の電球があるのに、どれ一つ切れていない。後で聞いたところによると、昼間にメンテナンスしていたようですが、まぁすごいところだと思いました。

〈村上〉
ちなみに石井先生が照明の勉強をされたのは、アメリカではなくてヨーロッパでしたね。

〈石井〉
そうです。もともとは東京藝術大学でプロダクトデザインを勉強していまして、当時は日本の産業がどんどん発展していた時代ですから、将来は家電製品とか車のデザインを手掛ける工業デザイナーになりたいと思っていました。

大学卒業後は、小さなデザイン事務所に勤めて、インテリアからプロダクトのデザインまでいろいろとやらせていただいていたのですが、ある時、たまたま照明器具のデザインをするという機会が巡ってきたんですよ。

早速デザインに取り掛かって、試作品を上から吊して明かりを灯した瞬間、本当にびっくりしましてね。というのも、他のプロダクトは電気を通しても形が変わるわけではありません。ところが照明器具の場合、そこに明かりが灯ることで照明器具自体の形や色が浮かび上がってくるとともに、一定の空間をその明かりが支配するわけです。

〈村上〉
石井先生はそこに深く感動されたわけですね。

〈石井〉
それまで光なんていうのは空気と同じように、ほとんど意識したことがなかったけど、その日を境に光というものに目覚めましたね。もっと勉強したい、と。

ところが当時日本では照明というのは電気工学の一分野で、しかも光源の開発とか照度の計算といったことしか学べません。もっと光というものをデザインとして捉えることはできないかと思っていましたら、たまたま北欧のデザインをいっぱい集めた立派な本がありましてね。とても綺麗な照明器具がたくさん載っている。

そうだ、北欧は夜が長いから、きっといい照明があるに違いない。そう思ったのが、北欧に行こうと決めたきっかけです。

束の間の喜び

〈村上〉
そのまま向こうで仕事をしようとは思わなかったのですか。

〈石井〉
やはり私はそこの国の人間ではなかったので、永住しようというつもりは全くありませんでした。それで日本に帰ってきてフリーランスで仕事を始めたわけですが、私は運がよかったなと思うのは、そのちょうど2年後が大阪万博だったんです。

あの頃は菊竹清訓(きよのり)先生をはじめ黒川紀章(きしょう)さんなど錚々たる建築家たちが、何か新しいことをやりたいと、皆さん本当に一所懸命でした。そこにヨーロッパから照明の勉強をして帰ってきた人がいるというので注目していただいて、何人もの建築家の方と一緒にお仕事をすることができました。

〈村上〉
戻ってきてすぐに、よいスタートが切れたわけだ。

〈石井〉
ええ。そのまま仕事のほうも軌道に乗るかなと思っていましたら、間もなく石油ショックに見舞われて、照明なんて余計なものはとにかく消せ消せと(笑)。例えば、少し前にデザインしたホテルのシャンデリアの照明をどこまでなら消せますか、みたいな話しかなくなって、あの当時は本当に辛かったですね。

すべては神の思し召し

〈石井〉
でも、その時に私は悟ったんです。たとえ日本に仕事がなくたって、世界のどこかには唸るほど仕事があるんだって。というのも、ある日のこと、世界貿易センタービルを設計した日系人建築家のミノル・ヤマサキ先生から電話がありまして、10日以内にあなたの作品を持ってデトロイトのオフィスに来いって言うんですよ。

びっくりしましたけど、すぐに作品をまとめてデトロイト近郊のトロイにある事務所を訪ねると、先生に促されてすぐにプロジェクターでバーッと作品を映し出しました。そうしたら先生が頷かれて、いま隣の部屋で会議中だから入ってくれと案内されたところから始まったのが、サウジアラビアの迎賓館の仕事でした。

〈村上〉
石井先生はその建築家の試験を見事にパスされたわけだ。それにしても大きな仕事ですね。

〈石井〉
それはもう豪華な迎賓館でして、設計はアメリカ、現場はサウジアラビア、そして建設はドイツの大手建設会社という具合で、その中にあって照明はほとんど私一人で引き受けました。

〈村上〉
たった一人で。

〈石井〉
もう夜に寝る暇もないくらい忙しくて、アメリカとサウジアラビア、日本とをしょっちゅう行ったり来たりでした。その後も海外の仕事をいくつか経験させていただくうちに、日本もようやく石油ショックから立ち直ってきたことで、再び照明の仕事ができる環境が整ってきたんです。

最初にいただいた依頼は、東京駅のレンガ駅舎をライトアップしてくださいというものでした。それを皮切りに、先ほどお話ししました東京タワーなど、国内でもたくさんの仕事をさせていただけるようになりました。


〈村上〉
これまでにどれくらいの仕事をしてこられたのですか。

〈石井〉
そうですね、1,500は超えていると思います。いま(掲載当時)もだいたい並行して20~30くらいはやっています。

〈村上〉
よくこんがらがりませんね。

〈石井〉
一つひとつの仕事のピークがずれていますから、段取りよくやればそれほど大変なことではありません。むしろデザイナーにとって大事なのは体力と気力ですので、この二つが続く限りはやっていこうと思っています。

それと仕事を進めていく上で困難はつきものですけど、何があってもこれは神様の思し召しだと思うようにしてきました。何か悪いことが起こった時に、これは何かのお計らいなんだと。

というのも、友人なんかを見ていると、結構平等にいろんなことが計られているように思うんです。例えば、若い頃にすごく恵まれて素晴らしい活動をされていたのに、晩年になって寂しい思いをされる方もいれば、その逆の方もいる。それはもう十人十色ですけど、それぞれに何か与えられているものがあるんじゃないでしょうか。

〈村上〉
石井先生が長年活躍されているのは、そういう気持ちが仕事にも反映されているからなんでしょうね、きっと。

〈石井〉
それは分かりませんけど、毎日寝る前には「きょう一日ありがとうございました」という気持ちで手を合わせています。別にこれといった信仰があるわけでもないんですけど、先生がおっしゃっているサムシンググレートというか、何か大きな力が働いているんじゃないかという気はずっとしていました。

それから「継続は力なり」「一念岩をも通す」という言葉にあるように、やはり長く続けていくことっていうのが大事ですよね。


(本記事は月刊『致知』2017年8月号 連載「生命のメッセージ」より一部を抜粋・編集したものです)


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◇石井幹子(いしい・もとこ)
昭和13年東京生まれ。東京藝術大学美術学部卒業。フィンランド、ドイツの照明デザイン事務所勤務後、石井幹子デザイン事務所設立。平成12年紫綬褒章受章。日本国際照明デザイナーズ協会代表理事、アジア照明デザイナー協会名誉会長。作品集に『光時空』(求龍堂)、著書に『光が照らす 照明デザインの仕事』(岩波新書)など。

◇村上和雄(むらかみ・かずお)
昭和11年奈良県生まれ。38年京都大学大学院博士課程修了。53年筑波大学教授。平成11年より現職。23年瑞宝中綬章受章。著書に『スイッチ・オンの生き方』『人を幸せにする魂と遺伝子の法則』、共著に『遺伝子と宇宙子』(いずれも致知出版社)などがある。令和3年4月逝去。

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