2021年07月27日
厳選した素材を使用した、打ちたて・茹でたての本格讃岐うどんを提供する「丸亀製麺」。現在、国内約850店舗、海外にも約230店舗を展開し、コロナ禍でも客足が途絶えることがない人気チェーンです。コロナ禍でも攻めの姿勢を緩めない創業者である粟田貴也さんに、危機の時の経営者のあり方、経営者としての原点をお話しいただきました。
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社員と「危機感」を共有する
(――新型コロナウイルスの感染拡大により、とりわけ外食産業は大きな影響を受けていますが、御社が展開する讃岐うどん専門店の「丸亀製麺」は、いち早く業績を回復させて話題になりました。)
〈粟田〉
このコロナ禍はとにかく全世界的な状況ですから、まず何より現場の社員、お客様の健康を第一に考えました。5月上旬からはCMの内容を、店内の消毒・換気といった感染症対策をしっかり実施していることをお伝えする内容に切り替えました。これがお客様の安心に繋がったのだと思います。
ただ、3月頃までは売り上げも堅調だったのですが、やはり緊急事態宣言が出された4月、5月はお客様がぐんと減って、非常に厳しい状況に立たされました。もしもの場合に備え、金融機関とも資金面について相談をしました。
5月末に緊急事態宣言が解除されたことで、少しずつお客様が戻ってきてくださり、何とか先が見えるようになった、暗闇から少し抜け出せたという感じですね。現在も、まだ危機を乗り切ったといえる状況ではとてもありません。
(――未曽有の危機に直面する中で、経営者として特に大事にしていること、心構えなどはありますか。)
〈粟田〉
社員に対しては、まず「現状を共有する」ことが何より大事だと思ってきました。
単に「大丈夫だ」と安堵を装っていても仕方がないですから、現状の厳しさを社員に隠さず共有して、先ほどのCMではないですが、これからどうしていくのか、その対策や方向性を打ち出し、現場とも擦り合わせをする。これは経営者としてしっかりやってきたつもりです。
(――社員と現状を共有し、進むべき方向性をしっかり定めると。)
〈粟田〉
それに、私たちはこれまでにも何度も経営のピンチを経験して、その度に業態を変える、変化を遂げてここまで歩んできたんですね。ですから、今回のコロナ禍でも、我が社は間違いなく何らかの変化を遂げ、ピンチをチャンスと捉え、必ずこの危機を乗り越えられるはずだという信念は常に持って経営に当たってきました。
後で詳しく話しますけど、例えば、焼き鳥店の業態に力を入れていた2003年頃は「鳥インフルエンザ」が大流行し、まさに絶望の極致、目の前が真っ暗な状況でした。
それでもどうすれば乗り越えられるだろうかと、諦めずに一所懸命、無我夢中で仕事に取り組んでいったことで、結果的に焼き鳥からうどん、現在の丸亀製麺の業態に大きく方向性を変え、活路を見出すことができたんです。
そういう意味では、我が社の社員の柔軟性というか、機動力、瞬発力、新しいことにトライする精神というのは素晴らしいなと。それがなかったら、我が社はとっくになくなっていると思います。
(――環境の変化を恐れず柔軟に対応していく。それが会社の発展・永続の鍵を握っているのですね。)
〈粟田〉
実際、現在もこれまで一切やったことのなかった「うどんのテイクアウト」に全社一丸となってトライしているところです。コロナ禍で世の中は変わるんだ、だったら自分たちもそれに合わせて価値観を変えていこうよって。
これはコロナ禍をやり過ごすための一時的な施策のように見えるかもしれません。しかし、私はコロナ禍に関係なく、我が社が商品のお持ち帰りも含めた新しい業態へと変化を遂げている、そういうふうに前向きに捉えています。
やっぱり、ピンチの時だけに限らず、常に高い目標を掲げ、全社員で知恵を絞り、無我夢中で目の前の課題に取り組み、新しいことにチャレンジしていく。その結果として予期せぬ財産が生まれ、会社の新たな成長がまたそこから始まっていくと思うんです。
経営者としての原点
(ーー粟田さんが経営の道に進まれたいきさつをお話しください。)
〈粟田〉
転機になったのは学生時代のアルバイト経験です。最初は建設現場や工場でアルバイトをしていたのですが、一定時間辛抱してその対価をいただいていました。
ところが、喫茶店でウエイターのアルバイトをした時に、お客さんが「これおいしいね!」って喜んでくださり、その方々とコミュニケーションを取ることで常連になっていただけたんですよ。社会経験もない学生の自分が、周囲に働きかけて結果を変えることができた。つまり、自分の存在感を確認することができたわけです。
そうした体験から「脇役でもその場その場で主役になれる。飲食業は素晴らしい仕事だ。これを自分の仕事にしよう」「仕事にする以上は小さくても自分の店を持ちたい」という感情、はち切れんばかりの夢が芽生えたんです。それが20歳くらいの時だったかな。
(――ああ、20歳で夢を。)
〈粟田〉
ただ、私は小学六年生の時に警察官だった父親を亡くし、母子家庭で育ちましてね。生活は決して楽ではなく、大学も奨学金で夜間部に通っていたんです。自分のお店を持つなんてことはほとんど不可能なように思えました。
でもそうした時、ナポレオン・ヒルの『成功哲学』という一冊の本に出逢うんです。それは世の中で成功した人たちの共通点をまとめた本なのですが、読めば読むほどシンプルなんですね。偉大な成功者に共通する思考回路は、自分自身が夢や目標を強く思い願うこと。そしてそれを絶対に諦めないこと、ただそれだけなんです。
『成功哲学』を読んで、まず自分の夢や目標を信じることができるかどうかが、一つの大きな壁のような気がしました。ですから、世の中の隅っこでもがいているこんな自分でも、夢・大志を持ち、それを信じて強く願えば人生を変えることができる、とにかく自分のお店を持つという夢を無心に信じようと決めたんです。ここが私の人生のスタートラインですね。
(本記事は月刊『致知』2021年2月号 特集「自靖自献(じせいじけん)」より一部抜粋・編集したものです) ◉《期間限定の特典付きキャンペーン開催中》お申し込みくださった方に、『小さな幸福論』プレゼント!各界一流の方々の珠玉の体験談を多数掲載。総合月刊誌『致知』はあなたの人間力を高める、学び続ける習慣をお届けします。 ▼詳しくはバナーから!
●『致知』2021年2月号にて、粟田さんには
存分に経営に懸ける思い、経営の神髄を5ページにわたるインタビューで語っていただきました●
◇粟田貴也(あわた・たかや)
昭和36年兵庫県生まれ。神戸市外国語大学中退。60年焼き鳥居酒屋「トリドール三番館」を創業。平成12年「丸亀製麺」を立ち上げ、18年に東京証券取引所マザーズ市場に上場、20年に東京証券取引所第一部に上場。令和2年「第3回日本サービス大賞」(主催:公益財団法人日本生産性本部サービス産業生産性協議会)、外食業界では初となる「ポーター賞」(主催:一橋ビジネススクール国際企業戦略専攻)を受賞。