2020年06月20日
力強さと繊細さを兼ね備えた謡と演技で人々を魅了する能楽師・九世観世銕之丞さん。江戸後期から続く銕之丞家の当主、演能団体・銕仙会の棟梁として日本の能楽会を担ってきた銕之丞さんですが、若い頃は能をやめてしまおうとまで思い詰めたことがあったそうです。そんな銕之丞さんの転機となったのが、父・八世観世銕之亟静雪(人間国宝)の鞄持ちを経験したことだったといます。
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葛藤と悩みの日々
(――観世さんがこれまで能楽師として、どのような道を歩んできたのか、お話しいただけますか。)
(観世)
最初は子方の役を中心に取り組むのですが、子供の頃は飴と鞭のようなもので、上手に稽古や舞台ができれば、「よくできた」「お菓子をあげる」とご褒美をもらい、うまくいかなければ「だめじゃないか!」「反省しなさい!」と頭ごなしに叱られる。父(八世観世銕之亟静雪、人間国宝)は本当に怖い人でよく手が飛んできました。
ただ、私には、能楽の家に生まれたからには一門の人物にならなければいけない、恥を掻かないように努力しようという意識が全くなかったんですね。父が怖いからちょっと我慢して稽古する。そのような状態が長く続きました。
(――現在のご活躍からは想像できません。)
(観世)
もちろん、小学校高学年くらいになると、子役で舞台に出た時に、自分の演技で周囲の反応が変わってくることが少しずつ分かってきて、能楽の面白さを感じたこともありました。でも、やはり舞台で長時間座れば足が痛くなったり、眠くなったりしますから、それが当時の私にとっては負担で仕方がなかった。
そして中学生くらいからは子役がつかなくなり、大人の稽古に切り替わる。また、囃子の稽古や地謡、後見にもつくようになると、いろんなことを自主的に覚えなければならなくなる。その中で学校の勉強も忙しくなりますし、友達の誘いも多くなってきて、現実的に稽古の時間を確保するのがどんどん難しくなっていくわけです。
そうなると、本番の舞台までに覚えられないことが溜まってきます。地謡に出ても、覚えていないので後ろの人に合わせてしょぼしょぼ声を出すだけ。当然、「調子が外れている!」と怒られます。
(――まさに悪循環ですね。)
(観世)
ですから、この頃は、才能と実力を兼ね備えた父や伯父(観世寿夫)がいなくなった後、果たしてこの銕仙会という一座を自分が支えていけるのかとても不安でした。才能もないし、好きでもないし、このまま能楽を続けるべきなのか、やめてしまったほうがいいんじゃないかと、あらゆることに消極的になり、目の前のことから逃げ回ってばかりいました。
父の鞄持ちが教えてくれたこと
(――その苦しい状況をどのように乗り越えていかれたのですか。)
(観世)
転機が訪れたのは1978年、私が22歳の時でした。一座を支えていた伯父の寿夫が、53歳の若さで突然亡くなってしまったんです。銕仙会は大きな団体ではありませんから、トップが一人欠けるだけで人手が不足します。それで私も無理矢理に実戦配備となり、いろんな仕事がどんどん来るようになったんですね。
また、父も自分の仕事に加えて伯父の代役をしなければならなくなりました。稽古だ、申し合わせ(リハーサル)だなんだと早朝に出掛け、舞台を務め、関係者とお付き合いをして深夜に家に戻ってくる。それから次の日の勉強をし、少し仮眠を取ったら再び家を出ていく……。
(――すさまじい激務です。)
(観世)
こんな生活をしていたら父は死んでしまうんじゃないか、もし父がいなくなったら、長男の自分がこの一座を支え、家族の面倒も見ていかなくてはいけない。でもいまの生活能力のない自分にはとてもそんなことはできない。
そう考えた時、これは何とかしなければいけないと、ようやく真剣になりましてね。とにかくまずは父の助けになろうと思い、スケジュールを調べて電車の切符をとったり、宿を予約したり、鞄持ちを始めました。すると、それまで怖いばかりで決してよい関係にはなかった父が、「なぜ機嫌が悪くなるのか」「なぜ難しいことを言うのか」「何をしてほしいのか」、分かるようになっていったんです。
(――お父様と呼吸が合っていった。)
(観世)
同時に、父について回ることによって、いろいろな面から父を支援してくれている人たち、バックステージの人たちがいるからこそ、能舞台が成り立っている。だから、「皆にこういうふうな接し方をすればいいんだ」ということも次第に分かっていきました。
その頃からですよ、楽屋で自分の居場所のようなものができ、能楽にも一所懸命向き合えるようになったのは。父や伯父と比べるのではなくて、「下手でもいい、変な声が出てもいいから数を重ねて稽古をするんだ」と気持ちが切り替わったんです。そうすると不思議なもので、周りの私を見る目もいい方向に変わっていきました。
(本記事は『致知』2020年5月号 特集「先達に学ぶ」から一部抜粋・編集したものです。)
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◇観世銕之丞(かんぜ・てつのじょう)
昭和31年、八世観世銕之亟静雪(人間国宝)の長男として東京に生れる。本名は暁夫。伯父・観世寿夫、および父に師事。4歳で初舞台、8歳で「岩船」の初シテを舞う。平成14年、九世観世銕之丞を襲名。平成20年度(第65回)「日本芸術院賞」、23年「紫綬褒章」受章。重要無形文化財総合指定保持者。公益社団法人銕仙会代表理事。公益社団法人能楽協会理事長。能楽をテーマにしたマンガ『花よりも花の如く』(著者・成田美名子)監修。