2020年05月03日
池波正太郎や山本健吉、土門拳など、各界一流の食通たちの舌を唸らせ、昨年10月にはてんぷら職人として初となる「現代の名工」に選出された「てんぷら 近藤」店主・近藤文夫氏。72歳になるいまなお、人々を感動で笑顔にする最高のてんぷらを求め、現場に立ち続ける近藤氏に、人生の要諦、心の支えにしてきた言葉を語っていただきました。
「夢心」を胸にてんぷらの一道を歩む
〈近藤〉
当時の山の上ホテルには、文化人がよくいらっしゃっていましてね。その中で、特に親しく付き合ったのが、池波正太郎さん、山本健吉さん、草野心平さん、それから写真家の土門拳さん。そうした方々が亡くなる最期まで私のてんぷらを食べに来てくださった。
ある時、池波さんにこういうことを言われました。「絶対に天狗になるな」と。天狗になったらそこで仕事が止まっちゃうよと。だから私は、これまで天狗になった覚えは一度もない。天狗にならずに努力を続ければ、自然と道ができるんです。
それから、私が26、7歳の頃、土門さんに「味」と一文字だけ書かれた色紙をいただきました。それまでの私は、単においしいものをつくるのが味だと思っていた。でも土門さんの色紙を見ていると、それは大きな間違いだと分かった。味は口に未来の未と書くでしょう? しかも土門さんの「味」は「口」が小さくて「未」が大きい。つまり、料理はただおいしいだけじゃだめで、未来にずっと残っていく〝感動〟がないとだめだと気づかされたんです。
以来、季節に合わない素材は絶対に出さないとか、守るべき部分をきちっと守りながら、お客さんが心から喜んで感動するものをお出ししたいという思いで、てんぷらを揚げるようになりました。
私が人生の節目、節目でいろんな方から心の支えになる言葉をいただいてきたように、言葉というのは人間の一生を左右するんです。
それで、いま私がいつも心に留めているのは、「夢心」という言葉。何歳になっても夢を持って、心からおいしいものをつくり続けていく。やっぱり、前へ進むには夢がなくちゃいけない。
だから私は、72歳のいまも夢を追い続け、毎日朝の仕込みから夜遅くまで調理場、お客さんの前に立っているんですよ。私のてんぷらはいつも80点、そこにお客さんの笑顔の20点が加わって初めて百点になる。これからも「夢心」の言葉を胸に、その終わりのないてんぷらの道を歩み続けて、一人でも多くの人を笑顔にしていきたいと思っています。
(本記事は『致知』2020年2月号「心に残る言葉」から一部抜粋・編集したものです。)
◇近藤文夫(こんどう・ふみお)
昭和22年東京都生まれ。41年高校卒業後に「山の上ホテル」に入社し、「てんぷらと和食 山の上」に配属。23歳で料理長に就任。以後、21年間料理長を務め、平成3年に独立、銀座に「てんぷら近藤」を開店。同店は「ミシュランガイド東京」で、11年連続で二つ星に輝く。令和元年卓越した技能を持つ「現代の名工」に、てんぷら職人として初選出。著書に『天ぷらの全仕事 「てんぷら近藤」の技と味』(柴田書店)などがある。