【WEB限定連載】義功和尚の修行入門——体当たりで掴んだ仏の教え〈第43回〉難波に漂う雑多な雰囲気

小林義功和尚は、禅宗である臨済宗の僧堂で8年半、真言宗の護摩の道場で5年間それぞれ修行を積み、その後、平成5年から2年間、日本全国を托鉢行脚されました。四国八十八ヶ所巡礼を終え、いよいよ淡路島と明石と難波を経由し高野山に向かいます。

遺骨で造られる仏像

「一心寺という寺が大阪にあるから行ったらいい」

「ふ~ん」

「舎利(遺骨)を集めて仏像にしてるんだよ」

「何に? 焼いた骨で仏像か。仏像を~。そんな寺があるんだ」

「粉にして固めるそうだ。凄い参拝者が集まるんだ」

江國寺の住職からそんな話を耳にした。

広い道路にはクルマが絶え間なく往来する。その舗装された道路に沿って土手がありその上に一心寺(天王寺区)がある。大きい。彼岸の参拝か。それにしても大変な人だ。長い列が何処までも続いている。

舎利の仏像も見た。ただ、阿修羅(あしゅら)や弥勒菩薩(みろくぼさつ)といった国宝、美術品ということではないので、私はご冥福を祈って合掌するばかりだ。

ただ、遺族にとって、死者の霊が御仏(みほとけ)に抱かれている仏像。それは嬉しいこと、有り難いことではないか。それにしても宗教心がないといっても、あるのだ。

葬式の様子が、これからはいろいろに変化する。それは予想される。

ここは仏とは対極の俗世

難波に出た。四国八十八ヶ所を終えたら、最後は高野山(和歌山県)参りである。

この難波で南海電車に乗れば簡単だ。極楽橋駅まで行き、ケーブルカーに乗り換える。登れば高野山駅だ。ほぼ2時間で行ける。楽なものだ。

しかし、こちらは修行僧、行脚である。南海電鉄の2階の改札口まで行って引き返し、構内を一巡した。乗るわけにはいかない。

この構内とこれに接続した高島屋はモダンで高級感溢れる都市ビルである。しかし、私のような墨染の衣を着て網代笠(あじろがさ)と錫杖(しゃくじょう)を手にした托鉢(たくはつ)僧には、違和感がある。どうも馴染めない。早々に退散した。

難波駅を出て、右手の細い路地に入った。ここには大小の店が所狭しと並んでいる。早速、托鉢を始めた。店でお経を上げれば御主人の顔が見える。話もする。それが嬉しい。

そこから、アーケード街に移った。両側に商店が並ぶ。立ち食い蕎麦、カレーショップ、アクセサリー店、寿司屋、御菓子屋、バッグ屋と。その雑多な雰囲気に人々の庶民生活が溢れている。

右に折れるとパチンコ屋、映画館、ラーメン屋、ホテル。そこを抜けた。すると劇場があった。

〈えっ、ここにお笑い。あの花月(なんばグランド花月)〉

目が点になった。知らない土地で思わぬ発見をして、ハッとした。しかも、その広場には、漫才師〈大木こだま・ひびきさん〉がいた。

ブルーのスーツに純白のズボン。糸を腕に巻きつけゴム風船を頭上でゆらゆらさせていた。しかし、如何したことか……。有名人ならファンが取り巻く。

〈そのファンがいない……〉

スタッフは2人いたか。静かなものだ。誰も来ない。集まって来そうなものだが、と不思議に思った。しかし、これが日常風景らしい。この地域では珍しくはないらしい。

お笑いといえば、行脚も終えて海老名(神奈川県)のお堂で5年、6年した頃。

「和尚さん。これを」と段ボールを置いて行った。ご縁の女性だ。夜になって蓋を開けるとカセットが詰まっている。

〈何だ。これは?〉

取り出して点検すると落語の古今亭志ん生、浪曲の広沢虎造などがドカッと入っていた。私は出家して以来、落語や浪曲などとは一切無縁の生活をしていた。それがいきなり落語、浪曲だ。仏道修行者とは一線を画す。

私は昔を思い出した。落語、漫才、浪曲。好きでラジオで聞いていた。持って来てくれた女性には霊感がある。私が好きだという本心を見抜いていたのか、それとも仏とは対極の俗世の泥沼を見よと示唆されたか。

〈う~ん〉

呻る思いであった。お堂にはテレビはない。ラジオだけである。それから、私は気晴らしに寝ながら良く聴いた。聴けばやはり面白い。好きなものは何回も繰り返し聴いた。

その面白さの秘密は何か考えた。世間の常識、固定観念をひっくり返すことか。通常なら口が裂けても言わない。そこをズバリ指摘する。その小気味良さか。

当然、どたばたが付き纏う。しかし、言いたいことを言ってくれた。自分が言えないことをズバリ言う。だから、拍手喝采。痛快なのだ。それが面白い。

吉本興行の芸人は面白ければ何でもやる。その芸人根性が凄まじい。善いも悪いもごちゃ混ぜか。競馬、競輪、ボートだと、札束をもってのめり込む。儲けりゃじゃんじゃん浪費する。

浮気や借金、離婚ありと。くっついたり離れたり。そこまでやるか。やれないことをジャンジャンやる。やってしまう。ちくしょう、悔しい。泣いたり笑ったり。得意になったり悔やんだり。また、義理とか人情。助けられたり助けたりと。

そうしたハチャメチャな人生体験。それを肥やしにして舞台に立つ。自分の恥を曝して客の前では大爆笑。どうやら難波にはそうした人生ドラマがわんさか詰まっている。また、しぶとく生きる。人間のずるさ、賢さ、温もり。また人生を生きる智恵がそこには詰まっている。

つづく

           〈第44回の配信は10/2(水) 12:00の予定です〉

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小林義功
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こばやし・ぎこう――昭和20年神奈川県生まれ。42年中央大学卒業。52年日本獣医畜産大学卒業。55年得度出家。臨済宗祥福僧堂に8年半、真言宗鹿児島最福寺に5年在籍。その間高野山専修学院卒業、伝法灌頂を受く。平成5年より2年間、全国行脚を行う。現在大谷観音堂で行と托鉢を実践。法話会にて仏教のあり方を説く。その活動はNHKテレビ『こころの時代』などで放映される。著書に『人生に活かす禅 この一語に力あり』(致知出版社)がある。

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