2019年07月19日
がん闘病と不妊治療を乗り越え、いま「女性が抱える特有の悩み、生きづらさ」を解決する活動に尽力しているライフサカス代表取締役の西部沙緒里さん。西部さんが自身の体験と共に語る、生きづらさ、働きづらさを感じることなく、誰もが美しい人生を咲かせ生きるヒントとは。
強い思いは現実を動かす
(西部)
私は2002年に早稲田大学商学部を卒業後、博報堂に入社。同社でマーケティングや営業、人材開発、法務などを担当する傍ら、社外でも団体を立ち上げるなど、恵まれた環境の中で、とても充実した日々を送っていました。
ところが、33歳で結婚後そろそろ子供、と考え始めた矢先。ふと胸にしこりがあることに気づき、検査で乳がんを宣告されたのです。2014年、37歳の時でした。
宣告された時には、「まさか自分が」という驚き、死の恐怖とともに、女性であることが喪失するような複雑な感情が沸き上がりました。そして、2回の手術と闘病生活の峠を越えた私に、追い打ちをかけるように突きつけられたのが“不妊”でした。がん治療などの影響もあって、「妊娠できる確率は10%以下でしょう」と医師から言われたのです。
それから、がんの療養をしながら不妊治療にも向き合うことになったのですが、当時はまだ情報が少なく、治療費は高額。会社にも相談しづらい状況で、夫の支えがあったとはいえ、ものすごい孤独感や生きづらさに苦しみました。後に事業として取り組むこととなる「サイレント・ダイバーシティ」の人知れぬ苦しみを、まさに当事者として痛感する日々でした。
結果的には子供を授かることができたのですが、この時に様々な困難・課題に直面したことで、「自分自身が経験したからこそできることがある。がんや不妊など、女性が抱える特有の悩み、生きづらさを解決できる仕事に残りの人生を注ごう」という思いが芽生えてきたのです。ここまで強い思いを抱いたのは人生で初めてのことでした。
不思議なもので、そうした強い思いは目の前の現実を動かしました。それから、次々に応援してくれる方や志を同じくする仲間と出逢い、2016年にライフサカスを創業しました。一緒に創業したメンバーも、同じくがん闘病や不妊治療の経験者で、彼ら彼女らがいなければこの起業は実現できなかったと思います。
まず取り掛かったのはウェブメディア『UMU』の制作でした。『UMU』は、妊娠・出産・不妊といった「産む」ことにまつわる様々な選択や葛藤、体験を女性たちに実名で語ってもらい、紹介するサイトです。それによって、秘められてきた経験が可視化され、女性が一人で抱えがちだった悩みをサポートしやすい社会が実現できるのではないかと考えたのです。
実際、『UMU』を運営する中で、女性はもとより若い男性やご年配の方など、幅広い層から「体験談を読んで勇気づけられた」「救われた」という声をいただき、どれだけ多くの人が、「産む」にまつわる悩みや支援の難しさに苦悶してきたかを実感しました。
そして『UMU』と並行して、企業や学校、自治体などに向けた女性の健康と働き方、がん・不妊治療の両立支援などをテーマにした研修・参加型ワークショップ、講演活動にも取り組んでいきました。
さらに現在、不妊治療と仕事のスケジュール調整や、状態の周期比較、自分の治療の経過・健康状態をパートナーと手軽に共有できる不妊治療専用サポートアプリの企画開発にも挑戦しています。
不妊治療では、仮に男性に原因があったとしても、病院に通って心理的・身体的にも負担の大きな治療を受けるのは女性であることがほとんどです。アプリが完成すればその負担や苦しみをパートナーと共有し、協力して不妊治療をやり遂げる支えになるはずだという思いがあります。
苦しみの中からこそ美しい人生は花開く
(西部)
一連の経験を経て、いま私が講演や研修でお伝えしているのは、「サイレント・ダイバーシティ」への理解と「ヘルス・リテラシー」の大切さです。「ダイバーシティ」といえば、性別や人種など目に見える違いによって生じる多様性のことを思い浮かべるかと思います。
一方で、私たちが「サイレント・ダイバーシティ」と呼ぶのは、本人や家族の病気や不調、介護など、ライフステージで直面する心身両面の変化をいいます。本人にも想定外のことが多く、語りにくくて見えにくい一方、現実には就業困難や、働きづらさを抱えてしまうものです。
そして、当時の私がそうだったように、この「サイレント・ダイバーシティ」の問題に最も直面しやすいのが女性です。例えば、比較的最新の統計で、女性のがん患者数は30代、40代ともに男性の約2・5倍です。仕事にやりがいを感じ、成長していく年代に女性は大きな健康リスクを抱えているのです。しかも、働く女性が婦人科疾患になることによる経済損失は、6兆円とも試算されています。
また、日本では他の先進国と比べ、健康が働く人の生産性を大きく左右すること、健康に対する意識「ヘルス・リテラシー」が驚くほど低いと言われています。ですから、これからの日本社会、企業が発展していくためには、「サイレント・ダイバーシティ」への理解と支援を進め、一人ひとりが「ヘルス・リテラシー」を備えていくことが重要な課題になってくるはずです。
当社の社名「ライフサカス(LIFE CIRCUS)」は、「ライフを咲かす」と「サーカスのようにカラフル、パワフルに」の2つの意味を掛け合わせて名づけました。人は時に深い絶望に直面することがありますが、闇の中にこそ光があると思うのです。これからも働く女性を応援することで、誰もが生きづらさ、働きづらさを感じることなく、互いに支え合い、美しい人生を咲かせていける社会の実現に力を尽くしていきたいと思います。
(本記事は月刊誌『致知』2019年7月号「命は吾より作す」から一部抜粋・編集したものです。『致知』にはあなたの人間力・仕事力を高める記事が満載です! 『致知』の詳細・ご購読はこちら)
◇西部沙緒里(にしべ・さおり)=ライフサカス代表取締役)
2002年早稲田大学商学部卒業後、博報堂に入社。2014年乳がんを宣告。乳がん、不妊治療の闘病の経験から、2016年にライフサカスを創業し、妊娠・出産・不妊といった「産む」ことにまつわる様々な選択や葛藤、体験を女性たちに実名で語ってもらい、紹介するメディアサイト『UMU』(http://umumedia.jp/)を制作。現在は、『UMU』と並行して、企業や学校、自治体などに向けた女性の健康と働き方、がん・不妊治療の両立支援などをテーマにした研修・参加型ワークショップ、講演活動、不妊治療専用サポートアプリの企画開発などに取り組んでいる。