挑戦の先に成長がある——YKK元社長・吉田忠裕氏が強調する20代の心構え

ファスナーの市場で圧倒的なシェアを誇るYKK。創業者でカリスマ経営者と言われた吉田忠雄さんの後を継ぎ、同社をさらに飛躍させた吉田忠裕さんは、20代で大切なことは「一歩踏み出す」ことと「挑戦する」ことだと言います。

単純に乗せられて乗ってみる

「アメリカへ行け」。幼い頃より父に度々言われていたこのひと言が、私の20代の人生を豊穣(ほうじょう)の時に導いた端緒と言っても過言ではありません。

単純で素直な性格だったことに加え、当時のアメリカがキラキラと輝いて見えたこともあり、私は1969年、慶應義塾大学を卒業すると単身アメリカに渡りました。その3年間の得難き学びと経験が後のビジネス人生に大いに役立ちました。

かつて私がそうだったように、“単純に乗せられて乗ってみる”ことが20代の時期には大事だと思います。乗った後で、「思ったほどよくないな」とか「何か違うな」と感じれば、そこからまた軌道修正していけばよいでしょう。

最も忌むべきは、変に利口になって、何も行動せずに分析や批判ばかりすること。そうではなくてまずはとにかく一歩を踏み出す。挑戦する。この姿勢の積み重ねの先に成長があり、素晴らしい人生があるのです。

留学時代の経験が糧となった

学生生活も終わりに差し掛かってきた頃、冒頭に述べたとおり、卒業後はアメリカに留学することを決意。

ニューヨークに知り合いの弁護士がいたため、当初はニューヨーク大学のビジネススクールに通っていましたが、そこで教えているのはマネーゲーム、要するにどうやってお金を倍々にするか、利益を出していくかというテクニックのことばかり。

私はその学風に強い違和感を覚え、翌年、ノースウエスタン大学のビジネススクール(ケロッグ校)に転学しました。

夏休みにサマージョブの制度を使って、実際にアメリカの企業で3か月ずつ就業経験を積めたこともまた僥倖(ぎょうこう)でした。

1年目はデュポンという世界的な化学製品メーカーで、日本向けのプロモーションビデオの制作などに従事し、2年目はアメリカン・キャンという世界最大手の総合容器メーカーのマーケティング部門で働きました。

そういう貴重な3年間を経て吉田工業(現・YKK)に入社したのは1972年、25歳の時でした。

「善の巡環」という考え方

いま20代の只中を生きている皆さんは、教育制度も充実していますし、科学技術も発達しているので、やろうと思えば何でもできる環境が整っています。

一方、我われの時代はここまで豊かではなく、何かにつけて苦労も多かったのですが、その半面、時間との闘いの中で情熱や気迫を仕事にぶつけていくことで、非常にメンタルが鍛えられました。

「『善の巡環』他人の利益を図らずして自らの繁栄はない」
これは創業者・吉田忠雄の経営哲学の根幹をなし、いまも「YKK精神」と呼んで全社員が継承している考え方です。

自分一人が勝者になって喜ぶのではなく、全員が勝者になる。敗者をつくらない。近江商人の「三方よし」にも通ずるかもしれません。

勝ち負けだけの世界に生きているうちは、到底大器になれません。自分だけが勝とうと思って一所懸命努力している人と、皆を勝たせようと思って一所懸命努力している人では、同じ一所懸命でもその違いは切実に感じるもの。周囲の人がどちらのほうを応援したくなるかは自明の理でしょう。

いかにして全員が勝者となり、全員が幸せを感じられる社会を築いていくかという大きなテーマを立て、利他の心を持って行動していけば、よりよい未来が開けていくと確信しています。

(本記事は月刊『致知』2018年5月号「二十代をどう生きるか」から抜粋・編集したものです。あなたの人生や経営、仕事の糧になる教え、ヒントが見つかる月刊『致知』の詳細・購読はこちら)

◇吉田忠裕(よしだ・ただひろ)
昭和22年富山県生まれ。44年慶應義塾大学法学部卒業。47年ノースウエスタン大学経営大学院(ケロッグ)でMBA取得、同年吉田工業(現・YKK)入社。60年副社長、平成2年YKKアーキテクチュラルプロダクツ(現・YKK AP)社長を兼任。5年YKK社長就任。14年ミッション経営大賞を受賞。23年会長兼CEO、30年より取締役。著書に『YKKの流儀』(PHP研究所)など。

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