年間80万着を売る鎌倉シャツ・創業の原点——商人には徳がなければならない

メイド・イン・ジャパンのシャツづくりに情熱を燃やしてきたメーカーズシャツ鎌倉会長の貞末良雄さん。そのシャツづくりの原点はどこになったのでしょうか。その歩みからはビジネスの神髄を教えられます。

※対談のお相手は、タビオ会長の越智直正さんです。

徳に基づく商人道

〈貞末〉
実家が商家で9人きょうだいだったんですが、子供の頃から鉄屑を売ったりするのが上手くて、父から「お前が一番商才がある」とおだてられていました。そういう背景もあってか、大学を出ていったん会社の研究室に入りましたが、こんなことでは世の中に貢献できない、自分が生まれた意義を発揮できないと思い、商人になろうと決意したんです。

その時、商売で一生食べていくには人間力しかないと考えて、それまでの学歴を全部棄てて丁稚奉公しようと決めたんです。問屋を何軒回っても断られましたが、たまたま父が特約店をやっていたご縁で、当時アイビールックを提唱して一世を風靡していたファッション界のカリスマ・石津謙介のヴァンヂャケットに入れてもらったんです。24歳の時でした。

〈越智〉
会社の様子はどうでしたか。

〈貞末〉
社員もお洒落な人ばかりでしてね。当時の私はバンカラで着るものに無頓着だったものですから、営業には出せないというんで、倉庫に回されました(笑)。6年間物流の仕事をやったんです。

ただ、そのおかげでものの流れがよく勉強でき、商売というのはただ売ったり買ったりだけじゃないというのが分かりました。倉庫には嘘がつけないし、倉庫が一番正しいことを学べたのは大きかったですね。おかげさまでヴァンでは統括本部長にまでなりました。

〈越智〉
裏方の倉庫に配属されたことが、逆に幸いしたわけですな。

〈貞末〉 
ところがその後ヴァンが1978年に潰れましてね。会社を移るんですが、行く会社、行く会社、みんな潰れて、食うや食わずの生活を余儀なくされました。

家族を養わなければなりませんから必死で働きましたが、結局5つもの会社で倒産の憂き目に遭って、気がついたらもう53歳になっていました。

このまま同じことを繰り返しても生きてきた甲斐がない。自分が生きてきた価値ってなんだろう、自分が世の中に貢献できることってなんだろうと随分考えました。それで、5つもの倒産を通じて学んだことを元に、絶対潰さない会社をつくってやろうと決意したんです。一緒に働いてくれる人たちを不幸にしない会社、仕入れ先を大切にする会社をつくろうと。

それは結局父の教えを実践することでもあったんです。

〈越智〉
あぁ、お父上の教えを。

〈貞末〉
父は常々こう言っていました。「商人は士農工商の一番下にいるんだから何をやってもお金のためにやっていると思われて蔑まれる。だから品格と矜持をきっちり持て。武士より高い志を持って商人をやれ。そして人に喜ばれたら商売は繁盛する」と。
私はその父の教えを元に、創業の時から「徳に基づく商人道」を追求してきたんです。

もう一人、創業のきっかけを与えてくれたのが石津謙介でした。ヴァンが潰れて15年経った頃、私は石津に呼ばれてこう言われました。

「私の門下生は3000人もいる。なぜ誰も私の意志を継いで行動しないのだね」
と。

それで私がやりましょうと応えたんです。日本の紳士服業界に一石を投じることを決意して、妻と二人、鎌倉のコンビニの2階でシャツ屋を始めたわけです。男が一番お洒落できるのがシャツだからなんですが、上着やスラックスをつくる資金がなかったというのが実情でした。

お客様が店をつくってくれる

 

〈越智〉
それにしても、入った会社が次々と潰れていく中で、チャンスを掴むまでよく気持ちを切らさずに耐え抜かれましたな。

〈貞末〉
苦しい時に支えになったのは、父がよく言っていた「苦しい時は神様がくれた試練だから甘んじて受けろ」という言葉でした。自分はまだ商人に成り切れてないことを自覚し、勝機を窺いながら、知識・5感を磨く努力を続けました。ですから、決して心は貧乏ではありませんでしたよ。

ただ創業に至ったものの、最初は人もない、ものもない、カネもない、ないないづくしの状態でした。それでも皆様が喜んでくださることをやれば、お客様に与えた利益の分け前をいただけるに違いないという確信はありました。ですから、最初から利益を望んで商売はしまい。とにかくお客様に喜んでいただける商売をしようと考えて、4900円のシャツを売り出したのです。

いまの世の中にあるのは高すぎる。自分の懐で買えるのは5000円までだと考えて、その値段内で考えられる限りの高品質のシャツをご提供しようと考えたわけです。

生産者に思いを伝え、中間流通を極限まで短縮するSPA(製造小売)を採用してなんとか実現した値段でしたが、当時は材料を大量に買い付ける力がないためどうしても売り値より仕入れ値のほうが高くなる。しかし品質のよいものを提供し続けることによってお客様は必ず増える。家内に給料を払えるようにするため、年間10万着売ろうというのがスタートした時の決意でした。

〈越智〉 
それまでよく持ち堪えましたね。

〈貞末〉
至誠天に通ずで、会社を始めて2年目くらいにお客様から、どうか潰れないでくださいというお手紙をたくさんいただくようになりました。こんな品質のよい商品をこんな値段で売って、儲かるはずがないと心配してくださっているんです。私はそれを拝読して、ようやく分かってくださる方が生まれたなと。こういうお客様の数が増えていけばいいのだと確信を得ました。

〈越智〉
飛躍のきっかけになるようなことはあったのですか。

〈貞末〉
家内が店の写真を撮っていろんな雑誌に投稿したら、ある雑誌で紹介していただき、それを見たお客様がわんさと来てくださいました。普通はそれが一段落すると潮が引いたように誰も来なくなるんですが、私どもの商品は中身がありましたから引かなかったんです。連日2階に上る階段が抜けるくらいお客様が来てくださるようになりました。

おかげさまで21年経ったいまでは、全国25か所にお店を構え、年間80万着を売るまでになりましたが、自分にそこまでの意志があったわけではないんです。ただお客様に奉仕して、奉仕して、奉仕したら、お客様がお店をつくってくださるんですよ。大きな商業施設ができると、近所のお客様がうちの店を入れてくれと投書してくださるんです。

(本記事は月刊『致知』2014年3月号特集「自分の城は自分で守る」から一部抜粋・編集したものです。人生、仕事のヒントが見つかる。月刊『致知』の詳細・購読はこちら

越智直正(おち・なおまさ)

昭和14年愛媛県生まれ。中学卒業とともに大阪の靴下問屋に丁稚奉公。43年独立、靴下卸売会社ダン(現・タビオ)を創業。丁稚時代から読み始めた中国古典の教えをもとに、モラルある商売の道を追求。靴下業界でも有数の企業に育て上げた。著書に『男児志を立つ』『仕事に生かす「孫子」』(ともに致知出版社)などがある。

貞末良雄(さだすえ・よしお)

昭和15年山口県生まれ。千葉工業大学卒業。アパレルメーカー・ヴァンヂャケット等を経て、平成5年メーカーズシャツ鎌倉を設立。徳に基づく商人道を標榜し、革新的な流通システムにより低価格ながら最高品質の国産シャツの開発・販売に成功。24年には紳士服業界最高峰のニューヨーク・マディソンアベニューに出店。

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