「私は日本という女性と結婚した」——ドナルド・キーンさんが教えてくれたこと

世界に日本の文化と文学、精神性を広めてくださった日本文学研究者のドナルド・キーンさんがお亡くなりになりました。ご冥福をお祈りし、弊誌にご登場いただいた際のインタビューの一部をご紹介します。

日本が誇る精神文化

――日本文化を世界に知らしめるという意味でも、大変大きな業績を残してこられましたね。

〈キーン〉
自己宣伝は嫌いですが、私の『日本文学選集』が出るまで、アーサー・ウェイリー訳の『源氏物語』をはじめ、ごく少数の日本文学しか世界には紹介されていませんでした。日本語を知らない先生が英訳で教えることすらできなかったんです。

しかし、いまや世界は日本文学を無視できなくなりました。世界の文学を紹介する場合、そこに日本文学を含まざるを得ないわけですから。

私は長年、日本文学を翻訳したり紹介してきましたが、その努力が実ったと思うと感無量です。

――日本文学の研究を続けて、日本の心とはどのようなものだとお感じですか。

〈キーン〉
大変難しい質問ですが、例えばこういうことが言えると思います。私は『明治天皇』という本を書きました。これは私の本で一番よく読まれたものですが、同じ頃、別の出版社から「日本の心をテーマに書いてほしい」と依頼され、『足利義政 日本美の発見』という本を出しました。
 
なぜ義政なのか? 現在の日本文化に一番影響を与えたのが500年以上前の室町時代の東山文化だと考えるからです。応仁の乱による京の壊滅に無関心だった義政に対する歴史的な評価は最低です。しかし彼の趣味に基づいた東山文化は日本人の心の形成に多大な影響を与えています。
 
例えば禅仏教の思想を背景とした枯山水の庭、書院といったものであり、そこから派生した茶の湯や水墨画、華道、連歌俳諧、精進料理などです。侘、寂という日本独自の美意識もそこから生まれました。

そして古いものと新しいもの、儚さと永遠といった相矛盾するものを抱え込みながら、日本文化は豊かになりました。それは近代化やグローバリゼーションの波の中でも変わることがありませんでした。

この精神文化こそ、日本が世界に誇る永久に価値あるものだと私は思います。

私は日本と結婚した

――89年の人生を振り返って、先生は人生に大切なことはなんだと思われますか。

〈キーン〉
これもいろいろな捉え方ができるでしょうが、私の場合はやはり有意義な仕事をすることでしょうね。もちろん、人に対して親切であるとか、人を助けるということは人生で大切でしょうが、先ほど言ったように私は自分の仕事をとおして外国人の日本に対する理解が深くなったことが一番の誇りであり、喜びなんです。
 
この世の中に立派な学者は何人もいらっしゃいますが、人生を振り返って、日本文学のおかげで充実した一生を送らせてもらったという感謝の思いを強くしています。

――これから執筆予定の本もたくさんあるそうですね。

〈キーン〉
ええ。まだまだ続きます。現在雑誌に発表している正岡子規はまもなく完了する予定ですが、新たに江戸時代の発明家で人形浄瑠璃まで残した平賀源内の研究をしてみないかという提案を受けました。源内については以前、別の本を出したこともありますが、大変面白い人物です。私は彼の劇的な生き方から日本人の独創性を伝えたいと思っています。
 
新しい研究に取り組もうと思ったら、テーマを問わず、まず自分の視点を明確にして多くの書籍を読み込まなくてはいけません。この作業段階でかなり手間暇を要するでしょう。
 
私の著作集のほうもおかげで出版準備が進んでいます。仲のいい編集者とゲラを見ながら「この表現はこれでいいか」「年数で正しいか」と一言一句確認する作業もまた大きな楽しみです。まさに生涯修業ですよ(笑)。

――充実した一日一日を過ごしていらっしゃる。

〈キーン〉
ありがたいことに私はいまとても幸せです。今年4月、56年間の教授生活を終え、日本に帰る時は確かに少し寂しかったです。親しんだハドソン川は見えないし、大好きなメトロポリタン・オペラにも行けない(笑)。

しかし、そういうことより私にとっては日本に永住する喜びのほうがずっと勝っているんです。

あるいは日本に永住してこれから先、大きな地震やテロが起きるかもしれません。しかし不安ばかり抱いていても前に進めないし、逆にこの優秀な日本民族は、大震災という試練を乗り越えてもっと立派になると確信しています。

私が結婚したのは「日本」という素晴らしい女性です。ですから命をまっとうするまでこの国とともに歩んでいく覚悟です。

(本記事は月刊『致知』2012年1月号 特集「生涯修業」から一部抜粋・編集したものです。いまの時代に求められるのは「人間力」――人生や仕事、人材育成のヒントが見つかる!月刊『致知』の詳細・ご購読はこちら

ドナルド・キーン(Donald L. Keene)
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1922年アメリカ・ニューヨーク生まれ。コロンビア大学、同大学院、ケンブリッジ大学を経て、53年京都大学大学院に留学。コロンビア大学教授、名誉教授を経て2011年退官。現在日本国籍取得に向けた手続きを進めている。日本に関する著作(日本語、英語)の範囲は近松門左衛門から現代文学まで幅広い。文化功労者。勲二等旭日重光章。菊池寛賞、読売文学賞など受賞多数。08年文化勲章。

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