ネガティブをポジティブに変えた松岡修造メソッド

日本一熱い男として知られる松岡修造さんは若い頃、怠け者で消極的だったといいます。そんな自分をどのようにしてポジティブへと変えていったのでしょうか――。

才能のなさと悔しさをバネに

「日本一熱い男」の異名を取るスポーツキャスターの松岡修造さん。超ポジティブな名言の数々に心を鼓舞された経験を持っている方も多いことでしょう。しかし、そんな松岡修造さんもかつては怠け者で消極的だったといいます。

 松岡さんは1967年、東宝第11代社長の松岡功さんと、元宝塚歌劇団の星組男役スターだった千波静さんとの間に3人きょうだいの次男として生まれました。父方の曾祖父は何と、阪急電鉄や宝塚歌劇団などを経営する阪急東宝グループ創始者の小林一三です。親族にも実業家が数多くいました。

 そんな家系に育った松岡さんがテニスの道に入ったのは、小学校2年生の時。お姉さんがテニスをしているのを見て、面白そうだと思ってラケットを握ったことがきっかけでした。その後、小学校5年生から、1歳上のお兄さんと共に本格的にテニスを始めます。

 温厚で礼儀正しく、体格もよいお兄さんとは対照的に、当時の松岡さんは太っていて、身長も低く、才能に恵まれませんでした。その悔しさをバネに、慶應義塾幼稚舎から中等部に進学すると、どんどんテニスにのめり込み、学校が終わってからは名門テニスクラブの桜田倶楽部で練習に励み、家に帰るのはいつも夜11時頃だったといいます。

 テニス漬けの日々を送ったことで、中学2年生の時に全国大会で優勝。もっと強くなりたいとの思いで、高校2年生の時、テニスの強豪として知られる福岡県の柳川高校に転校し、そこで鬼の指導者・田島幹夫監督のもと、厳しい練習に明け暮れました。

 部員はみんな丸坊主で、軍隊さながらの規律、厳しい上下関係があり、ミスをすればラケットで頭をゴツンと叩かれる。いまではあり得ないような超スパルタ指導ですが、松岡さんはそこへ自ら望んで行ったため、毎日の猛特訓が楽しくて仕方なかったと述懐しています。

 その後、ボブ・ブレットさんという、世界一の選手を3人も育てた名コーチとの出会いがあり、それが機縁となってプロに転向しました。

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人生を変えた「魔法の言葉」

プロテニスプレーヤー時代、松岡さんは度重なる怪我に苦しみます。プロ3年目、21歳の時、初めて世界ランキングトップ100の壁を破り、勢いに乗っていた矢先に、両膝に痛みを感じ、翌年の春に手術をします。

夏に復帰したものの、悉く初戦負け。ランキングは一気に445位まで下がり、何もかも絶望的に思い、自分を悲劇の主人公のように考えてしまうどん底を味わいます。

それでもリハビリに耐え、翌年1月の全豪オープン予選での勝利を機に復調し、ランキングも100番台まで戻すことができました。しかし、その年の秋、勝てば100位以内に入るという大事な試合で、靭帯を断裂する大怪我を負ってしまいます。

翌年に復帰を果たすと、今度はすぐにランキング100位以内に返り咲きましたが、その翌年、死に至ることもあるウイルス性の病気に侵され、3か月の療養を余儀なくされます。高熱が続き、体がだるく、トイレに行くだけでフラフラになる。3度目の試練に襲われました。

復帰後、しばらくは苦しい戦いが続きましたが、3年後の1995年、27歳の時に日本人男子として62年ぶりとなるウィンブルドンベスト8に進出し、その翌年には長年の夢だったウィンブルドンセンターコートでの試合を実現させることができたのです。

この話を受けて、「度重なる試練をどう乗り越えられましたか?」との質問が発せられると、松岡さんはこう答えました。

「根本的に僕は物事の捉え方が消極的なんです。たぶん世間の人は逆だと思っているでしょうけど(笑)。だから、何でこんなに頑張っているのに、こうなっちゃうんだ……と思うことがすごく多かった。それを前向きな捉え方に変えるために、様々なメンタルトレーニングを取り入れたんですが、一番よかったのは中村天風先生の「絶対積極」の思想ですね」

松岡さんは、ちょうどウィンブルドンベスト8に入った年に中村天風先生の本を読み、講話テープを聴き始めたといいます。中村天風先生が1日の始まりに唱える言葉があり、それを自分なりにアレンジしたという言葉がこちら。

「独立決断/自分はけが、病気は絶対しません/怒らず、恐れず、悲しまず/正直、親切、愉快に/力と勇気と信念を持って/自己に対する責務を果たし/愛と平和とを失わざる今日一日/厳かに生きていくことを誓います」

 「これを朝起きた時と夜寝る時の1日2回、鏡の前で毎日声に出して言い続け、試合に復帰した姿や優勝した姿をイメージしていったことで、自分の本当の力を生み出せるようになったんです」

松岡さんが実体験を通じて掴んだ思考法に学び、私たちも人生のあらゆる艱難辛苦を乗り越えていきたいものです。

 

【松岡さんも『致知』を愛読しています】

◇松岡修造さんのメッセージ◇

僕と『致知』との出会いは1995年、ウィンブルドンベスト8に入った年だ。『致知』は僕に世界で戦うために必要な“精神”を教えてくれた。そして今『致知』から学んだことを応援という形でたくさんの人達の心に響く言葉として、これからも伝え続けたい。

☆本記事は月刊『致知』2018年7月号特集「人間の花」より、松岡修造さんと道場六三郎さんの対談記事「人間の花を咲かせる生き方」を一部、抜粋したものです。

☆対談/松岡修造さん×道場六三郎さんの読みどころ

・人を育てる叱り方のコツ

・錦織圭選手に言い続けたこと

・「あの夢が私を強くさせてくれた」――高梨沙羅選手

・「幸せを捨てて、幸せを得たオリンピック」――羽生結弦選手

・「自分に克つ方法を徹底的に研究しよう」――小平奈緒選手

・世界の頂点に立つ選手に共通するもの

・鴨居と障子に見る修業のあり方

・人間の花をどう咲かせるか

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