日本の三大随想『方丈記』の味わい方——芥川賞作家・三木卓

「行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとどまることなし」。中学校の国語の時間に教わったお馴染みの鴨長明『方丈記』冒頭の一文です。この短い随筆を自分の歩みと照らし合わせながら、半世紀以上読んできた人がいます。芥川賞作家の三木卓さんです。戦後、大陸からの引き揚げ体験を持つ三木さんは、この古典をどのように味わってこられたのでしょうか。

敗戦と肉親の死

三木さんは幼少期を過ごした中国大陸での出来事を、いまもありありと記憶されています。日本への引き揚げがいかに困難を極めていたのか。その壮絶な体験を聞いてみましょう。

「僕の一家は『満洲日日新聞』の記者だった父に連れられて、1937年満洲国に渡った。僕は2歳だった。1945年8月、日ソ中立条約をやぶってソ連軍が侵攻して来た。満洲国は関東軍の守りを失って無政府状態となり、街の至るところで強盗や強姦が相次ぎ、夜になると、拳銃や自動小銃の発射音が響き渡っていた。

そういう大混乱の最中に、父は発疹チフスで死んだ。母と祖父母、僕たち兄弟を大陸に残して、2週間という短い闘病の末に他界してしまった。
 
僕は小学4年生だったが、この時抱いた喪失感と『僕たち家族はどうなるのだろう』という恐怖を忘れることができない。

気丈な母が着物などを売って一家は何とか糊口を凌ぎ、日本に引き揚げることができたが、僕たち兄弟は残留孤児になっていたとしても決して不思議ではなかった。
 
帰国の途中、今度は祖母が腹の病気で死んだ。祖母は日蓮宗の熱心な信者で、驚いたことに死後、そのリュックを開くと白装束と手甲、脚絆(きゃはん)が入っていた。万一のことを考えて常に持ち歩いていたのである。僕たちは広い野原に薪を組んで白装束の祖母を乗せ、重油を掛けて焼いた。
 
僕自身も、数え年4歳でポリオ(小児麻痺)に罹って左足が不自由になり、腸チフスや敗血症、ジフテリアなどで幾度か死にかけた経験がある」
 
そのような人生体験を、三木さんは長明のそれと重ね合わせます。

「長明は19歳の時に京都・下鴨神社の禰宜だった父親を亡くしている。長明は権力争いにより禰宜(ねぎ)職を嗣ぐこともままならず、そのあたりから世の不条理を嘆くようになった。長明が生きたのは平安から鎌倉に移る時代の移行期である。

平清盛による福原遷都の様子を細かく見て記録した長明は、時代の激動ぶりを肌で感じていたに違いない。その時期に、頼りになるものがなかったことは長明にどれほど大きな精神的衝撃を与えたか。僕はそのことを思わずにはいられない。
 
世をすねた長明はその後、人を遠ざけ、隠棲に近い生活を送るようになる。

“この30数年というものは、暮らしにくい世の中をじっと堪え、苦労した年月だった。その間いくども、うまくいかなくなるという事態に出会い、自分は運のない人間だと悟った”と『方丈記』(訳)で述べている。若い頃の彼の屈折した性格がよく表現された一文である」

若い人たちには近代文学を

三木さんは、最近気になることがあるそうです。それは若者たちの気楽な生き方です。「英語ができればいい」「いい学校に進学できたらいい」、そういう意識で生きている若者に、ぜひ近代文学を読んでほしいというのが三木さんの思いです。

「最近気になることがある。この頃の若者や子供たちの多くはずいぶん気楽に生きているように見える。“英語ができればいい” “いい学校に進学できたらいい”というような意識で日々を送っているみたいだ。いわば社会が大雑把に定めた小さな枠の中だけで安心しているような気がして仕方がない。
 
だが、実際にはもっと大きくて深い現実というものがあって、その中で可能性を実現しようと思って人間は生きていかなければならない。

かつての日本人の少年時代は、その枠を越えたところで遮二無二厳しい社会と向き合わなくてはいけなかった。みんな人によっていろいろであってもそうやって生きることで、いまの社会をつくり上げてきた。
 
近代文学は、日本人に新しい意識をもたらすことによって誕生した。江戸時代の空気が抜けきれない明治期において、漱石も鴎外も物事を偏見なく深く正確に捉える近代人としての意識を示し、あれだけの名作を残した。彼らがどのようにして近代精神を確立していったのか興味は尽きないが、そこにそれまでにあった小さな枠を越えようとする強い好奇心や興味があったことは間違いない。
 
僕は、『方丈記』を別にすれば、あまり古典を読んだことのない人間だから大きな顔はできないが、例えば漱石の『門』『それから』『吾輩は猫である』といった百年前の作品を読むことを薦めたい。

近代文学の息吹に触れることできっと何か感じるものがあるはずだ。そして、その近代精神は、『方丈記』で長明が見、体験したものにも通じるものである」

(本記事は月刊『致知』2018年12月号 特集「古典力入門」の「『方丈記』と我が人生の原点」から一部抜粋・編集したものです。詳細はこちら

◇三木卓(みき・たく)
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昭和10年東京生まれ。出版社勤務などを経て詩人としてデビュー。以後小説を中心に書くようになる。『鶸』で芥川賞受賞、『小噺集』で芸術選奨を受賞した他、小説に『震える舌』『路地』『裸足と貝殻』、詩集に『東京午前三時』『わがキディ・ランド』などがある。『方丈記』への思いを述べたエッセイに『私の方丈記』(河出書房新社)。平成11年紫綬褒章受章、19年日本芸術院恩賜賞。

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