【専門家に訊く】北方領土を取り戻すために——近くて遠い国、ロシアにどう向き合うか

安倍首相とロシアのプーチン大統領との北方領土交渉が厳しい局面を迎えています。近くて遠い国、ロシアと日本はどう向き合っていけばよいのか。ロシアの安全保障政策に精通する小泉悠さんに伺いました。

ロシアは独自の道を歩み始めた

〈小泉〉
クリミア併合を含め、ウクライナを巡る軍事危機はロシアと西側諸国の関係を大きく後退させました。ロシアの著名な政治学者であるドリトミー・トレーニンは、「ウクライナを巡る軍事的危機はどこかで収まるだろう。しかし、もはやロシアがアメリカやEUなどをモデルとして、西側諸国の後を追う世界には戻らないだろう」と述べています。そのような情勢の中で、ロシアにとって大きな存在となってきているのが中国です。
 
ロシアも中国もユーラシアの巨大国家であり、上からの強大な権力がなければ国を維持できないという共通点があります。ロシアの表面積は冥王星と同程度の約1700万平方キロメートルあり、その中に200もの民族が暮らしています。そのような国家を統治していくのは並大抵ではありません。
 
おそらくロシアは、独裁的な政治体制と市場経済を組み合わせて発展してきた中国を目指すべき国家モデルとして、ロシア独自の道を歩んでいこうとしているのではないかと思います。共通した国家観という点では、今後ロシアと中国がお互いをパートナーとして協力していく契機は十分にある。
 
ただし、様々な面でロシアと中国の勢力圏が重なり合っていることは知っておく必要があります。
 
例えば、中国が進めている「シルクロード構想」は、ロシアからすれば、中国が中央アジアに進出してくることを意味するため心中穏やかではありません。一方、国内にチベットやウイグルなど独立問題を抱える中国も、グルジア戦争やクリミア併合などの際にロシアを支持しませんでした。お互いに核心的な部分にまで踏み込んだ付き合いはしていないのです。
 
日本人は「パートナー」と聞くと、日米同盟のような強固な関係をイメージしますが、ロシアや中国のいう「パートナー」とは、利益になる限りでお付き合いしますよ、というような非常にドライな関係を意味しています。ロシアと向き合う上では、その点も理解しておかなくてはなりません。

◎あの著名人も致知を読んでいます

プーチン大統領が目指すロシア

次に視点を変えて、事実上、10年以上ロシアの最高権力者の地位にあるウラジーミル・プーチン大統領に焦点を当て、ロシアの行動原理について考えてみましょう。
 
プーチン大統領の執務室の壁には、ロシアの近代化に大きな役割を果たしたピョートル大帝(在位1682~1725年)の肖像画が掲げられているといいます。おそらくプーチン大統領には、西側諸国に比べて遅れているロシアを早く近代化しなければならないという強い使命感があるのです。
 
また、これは私の推測になりますが、もう一人プーチン大統領の頭の中にいる人物がいます。それは、第一次ロシア革命の際に首相として革命運動を弾圧したピョートル・ストルイピンです。ストルイピンは反体制派を片っ端から捕まえ、縛り首にしました。プーチン大統領には自分はストルイピンのような非常時のリーダーだという意識もあるように思います。
 
というのも、2000年にプーチン氏が大統領に就任した時のロシアは、連邦中の知事は中央政府の言うことに耳を傾けず、チェチェンは武装闘争に訴えるという、まさに滅茶苦茶といってよい状況でした。そのような危機的な状況に際して、プーチン大統領が「ソ連崩壊に続き、ロシアの崩壊もあり得る」という危機感を抱いたことは想像に難くありません。
 
そうした個人的な経験もあって、プーチン大統領はいまある価値秩序が崩壊するのを極度に恐れており、非常手段を使ってでも国家体制を引き締めなければならないという思いを持っています。
 
実際、初期プーチン政権は、モスクワの中央政府を頂点にしてロシア連邦をピラミッド型にがちっと固め直す、「垂直型権力構造」という言葉をよく使っていました。
 
そのようなプーチン大統領の強権路線のもと、役人や警察官はビシバシと鍛え直され、行政サービスや治安は改善し、国民生活はみるみるよくなっていきました。
 
しかし、リーマン・ショックを境に状況は一変します。経済が急激に悪化すると、ネットやメディア規制など、まるでソ連時代のような行き過ぎた締め付けが行われるようになりました。それが国民の我慢できる範囲を超えつつあるというのがロシアの現状です。

ロシアは世界における大国でなければならない

もう一つ、ロシアの行動原理を理解する上で欠かせないのが、「ロシアは〝世界的大国〟であらねばならない」という考え方です。
 
2015年12月、ロシアは安全保障政策の指針である「国家安全保障戦略」を6年ぶりに改訂しました。その中で「最重要の国際問題に関するロシアの役割が高まっている」などと、世界的大国としての復活を宣言しています。
 
ソ連崩壊後、ロシア国内では目指すべき国家像を巡り様々な議論が行われてきましたが、この「世界的大国であらねばならない」という一点だけはぶれていません。
 
そのような考え方は、ロシアの歴史と密接な関わりを持っています。ロシアは、歴史的に様々な民族、国家によって侵略を受け続けてきました。そのため、外敵から国家を守るためには強くなければならない、国境の外に自国の影響が及ぶ「勢力圏」がなければならない、大国であり続け国際秩序に自国の主張を反映させなければならない、という意識が強迫観念のように身についているのです。
 
おそらく、ロシアは国家や国境線について西側諸国と同じような捉え方をしていないのではないかと思います。その時の国力や外敵の影響力によって、国家の勢力範囲や国境線が伸びたり、縮んだりする。ロシアの識者の話を聞いていると「ウクライナの主権はどこまで認められるか」といった話を当然のようにしています。おそらくロシアは小国の主権は大国が決めると考えているのでしょう。
 
それは日本との関係においても同様です。ロシアは、アメリカに主権を制限された国として日本を見ており、日本と取り決めをしても、アメリカがノーといえば物事は進まないのだろうと侮っている節があります。いま注目を浴びる北方領土交渉においても、日本がアメリカに対して自立性を持っていることを示せなければ、ロシアと対等な交渉はできません。
 
特に安全保障面で不信感が強いロシアは、北方領土を返還することで、それがアメリカに軍事利用されることを懸念しています。

ロシアの姿勢を見る限り、「四島一括返還」では領土交渉は動かないでしょう。最大限譲っても歯舞・色丹の「二島」だとロシアは考えています。ロシアは第二次世界大戦の結果、正当に領土を取得したと考えており、何の負い目も感じていません。そもそも日本とは認識の出発点から違うのです。
 
ただ、いまが領土問題を動かす好機であるのは間違いありません。リーマン・ショックや原油価格の下落で経済が落ち込み、EUなどとの関係もうまくいっていないロシアは、アジア諸国に歩み寄っていかざるを得ない状況にあるからです。また、人口流出が止まらない極東への投資を呼び込めなければ、国境を接する中国に取り込まれてしまうという危機感も強い。
 
日本にとっても北極圏ルートの確保、エネルギー供給、中国への牽制など、ロシアが占める地政学的位置には大きなものがあり、ロシアと関係を深めることは国益に適います。また、旧ソ連の恐ろしい印象が根強くありますが、豪華絢爛な古都サンクトペテルブルクなど、文化的にも魅力ある国です。
 
これまで見てきたとおり、ロシアに甘い考えは通用しません。お互いの国益に適う関係を築いていけるかどうかは、ロシアの行動原理をしっかり把握し、日本が最後まで〝したたかに〟向き合い続けられるかどうかに懸かっています。

(本記事は『致知』2017年1月号 特集「青雲の志」より一部を抜粋・編集したものです。各界のリーダーたちがご愛読!『致知』には人生や経営、教養を高める記事が満載です!詳しくはこちら

小泉悠(こいずみ・ゆう)
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昭和57年千葉県生まれ。早稲田大学社会学部卒業、同政治学研究科修士課程修了。外務省国際情報統括官組織で専門分析員としてロシアの軍事情勢分析に従事。平成22年ロシア科学アカデミー世界経済国際関係研究所(IMEMO RAN)客員研究員。帰国後は公益財団法人未来工学研究所の客員研究員としてロシアの安全保障政策を中心に各種プロジェクトに携わっている。近著に『軍事大国ロシア』(作品社)『プーチンの国家戦略』(東京堂出版)などがある。

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