業界トップの靴下屋をつくった男の原点——丁稚少年を導いた『孫子』の教え

中学校卒業後、丁稚奉公先で先哲たちの教えを貪り読み、独立を経て製造・卸・販売で業界トップの靴下屋・タビオをつくり上げた越智直正さん。その原点にあった古典との出逢いから、青天の霹靂のごとく訪れた独立の瞬間、それを支えた『孫子』の教えを語っていただきました。(※対談のお相手は、松下幸之助商学院元学院長の北山顕一さんです)

自分を救うために古典を読んだ

〈越智〉
僕は自分を救うために古典を読んだんです。現状から脱するためにね。勉強だとか、自分を創るとか、全然思っていなかった。

いかにこの丁稚生活から脱出するか。それだけでした。

〈北山〉
越智さんは中学卒業後に大阪に丁稚奉公に来られたんですよね。しかし、丁稚をされている方が古典を学ぶというのは、あまり聞いたことがない。

〈越智〉
僕は卒業式の前、3月の上旬には大阪の奉公先に向かうことになっていました。郷里の愛媛を発つ前、中学の職員室に挨拶に行くと、国語の先生が「直正、おまえこれまで勉強してこなかったんだから、大阪に行ったら勉強せいよ」と。「何を勉強するんですか」と聞いたら「中国の古典を読め。漢字ばかりで最初は分からないかもしれないが、『読書百遍意自ずから通ず』と言うだろう。何度も読めばそのうち体が覚える」と。

でも、そんなことはすっかり忘れて大阪の靴下屋に奉公に来ました。そうしたら、1週間で「防波堤」という名前が付きましたわ。

〈北山〉
どういう意味ですか?

〈越智〉
何か問題が起きたら、全部僕が先頭に立たされてド突かれる。都会のやつらはうまいこと言って、いつの間にか後ろに回るんですよ。だから防波堤(笑)。僕が2階で仕事をしていても、1階で起きた問題が僕のせいになる。

まずもって言葉が違いますから、格好のいじめの対象でした。まだ15歳でしたけれど、ここでは人間として通用しないと思いました。これは惨めでしたよ。

そんな時、先輩が夜店に行くのについていったら、筵を敷いた古本屋があった。そこで中学の先生の言葉を思い出したんです。

〈北山〉
「古典を読め」という。

〈越智〉
はい。「中国の古典という本はありますか」と聞いたら、店主が棒で『孫子』を指した。僕、頭にきましてね。孫や子が読むような本を紹介して、このおっちゃんまで俺のことバカにしているのかと(笑)。でも、他の本に比べて安かったからそれを買って帰ったわけです。そうしてページをめくってみたら原文と書き下し文しかない。

〈北山〉
現代語訳がなかった。

〈越智〉
そうなんです。会社に漢和辞典がありましたから、いちいち引いて読んでいきました。そうしたら意外と分かるものです。学者のように正確な意味は分からないですよ。だけど、自分の日常に必要な意味は分かる。古典とはそういうふうに書いてくれているものなのでしょう。

☆逆境を乗り越える力、時局を捉え、進退を計る力――「四書五経」に学ぶ人間力

丁稚生活の中で自分を解放できる時間

〈北山〉
しかし、丁稚のお仕事は長時間で重労働といいますでしょう? よく合間を縫って『孫子』を読まれましたね。

〈越智〉
夜、トイレに行くふりをして1階で読んでいたら見つかりましてね、ド突き倒されました。

でも、執念というものは通じるものです。僕はその時、懐中電灯と大きな分厚い布を買ってきて、布団の中でやり出したんです。クーラーもない時代、真夏でしたけれどね、そうやって読み続けていたら1週間もしないうちに、部屋長が「1時間なら下で読んでもいいぞ」と。皆が寝た後ですから、1時間いいということは、何時間でもいいということでしょう。

たぶん、そこまでやらなかったら、部屋長も許さなかったと思う。六畳一間に6人で寝る団体生活ですから。

〈北山〉
越智少年の情熱にほだされたのですね。

〈越智〉
独立後、うちの会社が軌道に乗った後、部屋長にお会いしたことがありました。部屋長もその時のことを覚えていて、「越智君がそうなる(会社が成功する)のは当たり前だよ」と言ってくれましたね。

〈北山〉
おそらく、その部屋長は当時から越智さんが日中の仕事も必死にされているのを知っていたのでしょう。その上で睡眠時間を削ってまで読みたいと。これが昼間いい加減に仕事をしていたら許されませんよ。

〈越智〉
丁稚の仕事はね、必死でやらなかったらこなせません。

朝は5時55分に目覚ましが鳴って、2回で止めて起きなければならない。3回鳴ったら精神注入棒という竹の棒でバーンと。これ、1度くらったら明くる日から絶対に1回で飛び起きます。

それで起きたら戦場ですよ。炊飯器のスイッチ入れ、店の支度をして、先輩が起きてきたら部屋の布団を片付けて部屋の掃除。ちゃぶ台を出してごはんをよそって、準備をする。

皆が食べ終わったら自分が食べるのですが、その頃には仕事が始まっていて、配送用の藁やら何やらバンバン飛び交う中、それがごはんに入らないよう背中を丸めてかき込む。まあ、およそ人間のうちには入らない生活です。

しかし、そういう生活だから本を読んだのです。読むと本の世界に没頭できる。現実の生活から解放される唯一の時間でした。

〈北山〉
そうやって『孫子』を読み込んで、厳しい丁稚生活は変化しましたか。

〈越智〉
3年後には『孫子』を全文諳んじられるようになったのですが、相変わらずド突かれまくる(笑)。これにものすごく矛盾を感じました。

で、ある時、気づきました。『孫子』は、将の戦い方を語りながら、将になる方法が書いていない。これは大きな欠陥だと思った。それから将になるために『史記』や『論語』へと入っていきました。

でも、実を言うと最初に『論語』を読んだ時、こんな世間知らずがいるのかと思って、バカにしていたんですよ。こんなきれいごとばかり言っていたら、世の中渡っていけないよと。だから『論語』の良さが沁みてきたのは、40歳を過ぎたあたりでしょうね。

急転直下の独立の時、助けに来てくれた『孫子』

〈北山〉
越智さんは古典の言葉を金科玉条としていないから、本当の意味でその教えを自分のものにできるのでしょう。

〈越智〉
どんな立派な知識でも実践で使えないと意味がないですからね。だから僕は使えない勉強は一切しない。

『孫子』が一番効いたのは独立した時です。

丁稚奉公10年で暖簾分けの約束でしたが、既に13年が過ぎていました。大将の弟さんが店を出すというので、僕が計画書をつくったんです。それを弟さんに説明する時、彼が「越智君は独立を望んでいたな」と。「はい。10年で暖簾分けのお約束でしたが、13年になりました。一所懸命やりますので、あと5年くらいでどうでしょうか」と答えたら、「待っていろ」と言って部屋を出て行きました。すると、大将がものすごい剣幕で怒鳴り込んできました。

〈北山〉
なぜですか?

〈越智〉
「おまえ、恩を仇で返す気か。弟はおまえが頼りで独立するのに、抜けたら会社が傾くだろう。それを乗っ取る気か」と言うんです。説明しようにも聞く耳を持ってもらえない。

それで「いますぐ出て行け」と。ついては、僕と親しかった部下2人も一緒に連れて行けと言う。もう、慌てましたよ。独立の準備なんて何もしていませんから。退職金なし、預金は13万円、そのうえ部下2人の面倒も見なければならない。こんなムチャなことがあるのかと混乱していた時、『孫子』の一節がバーンと聞こえてきた。

「故に、これを経るに五事を以てし、これを校ぶるに計を以てして、その情を索む。一に曰く、道。二に曰く、天。三に曰く、地。四に曰く、将。五に曰く、法」
(戦の見通しを立てるために、5つの条件について比較検討しなければならない。1つ目は道、2つ目は天、3つ目は地、4つ目は将、5つ目は法である)

道とは道理、大義名分。天は時。地は場所、将はリーダー。法とは組織運営のためのルールや資金のことです。

僕には独立する道理があるし、まさにいまそのタイミングですよね。場所はどこでも好きなところで始めればいいんだし、将たる自分は仲間がついていくと信頼してくれているじゃないか。ないのは、お金だけ。五事のうちほとんど揃っているじゃないか。それならいける、と思った。これは大きかったですね。

(本記事は『致知』2011年10月号 特集「人物を創る」より一部を抜粋・編集したものです。『致知』には人間力・仕事力を高める記事が満載!詳しくはこちら

越智直正
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おち・なおまさ――昭和14年愛媛県生まれ。中学校卒業後、大阪の靴下問屋に丁稚奉公へ。43年独立、靴下卸売業ダン(現タビオ)を創業。全国に「靴下屋」を展開、平成12年大阪証券取引所2部に靴下専業企業として初の上場を果たす。14年英国ロンドンに海外初となる店舗を開店。靴下の製造・卸・小売で業界トップ。20年会長就任。著書に『男児志を立つ』(致知出版社)。

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