2018年10月01日
月刊『致知』をテキストにした勉強会「社内木鶏会」。導入企業からは、「社長の思いが社員に伝わるようになった」「社風がよくなった」「業績が上がった」などという声が多く寄せられています。
昨年、社内木鶏企業同士では初となる協働事業をスタートさせた、「くりーむパン」の八天堂社長・森光孝雅さんと社会福祉法人かずさ萬燈会理事長・渡邉元貴さんに、社内木鶏会導入の経緯とその効果を語り合っていただきました。
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社長と社員のベクトルが揃ってくる
(森光)
渡邉さんは社内木鶏会を導入して、もう10年近くになりますか。
(渡邉)
ええ。導入したのは2011年です。当時、会社の規模が大きくなるにつれ、社員一人ひとりの顔と名前が一致しないような状況になりましてね、労働争議が起こりかけたんですよ。しかもそれを主導していたのが会社を創業した時のオープニングスタッフの一人で、私は人生で最も辛い苦しみを味わいました。
その中で、社員と共有する時間をもっと持たなくてはいけないと、かねて購読していた『致知』に真剣に向き合うようになり、不退転の決意で社内木鶏会を導入したのです。
(森光)
社内木鶏会によって社内はどのように変わっていきましたか。
(渡邉)
『致知』を読み、感想文を発表して、お互いのよいところを美点凝視で褒め合う。その繰り返しによって、職員同士励まし合い、切磋琢磨し合う社風が醸成されていきましたね。また、先頭に立って反発していたオープニングスタッフとも、社内木鶏会に学んでいく中で、お互いに理解し合えるようになりました。
(森光)
私も社内木鶏会を導入した2010年頃というのは、新商品のくりーむパンが売れ始めた時で、店舗を広げすぎて人員が追いつかず、開いた店舗を閉じなければならないという状況でした。それでとにかく人を集めるわけですが、どうしようもない人材もたくさん入ってきましてね、現場は毎日荒れまくりですよ。
(渡邉)
大変な状況でしたね。
(森光)
そうした中で、知人の紹介から「第一回社内木鶏全国大会in大阪」に参加し、「皆で『致知』に一流の方々の生き方を学べば、社員同士同じ価値観を共有でき、よい社風づくりになるはずだ」と、その場で社内木鶏会の導入を決めたのです。
確かに最初は導入に反発する社員もいました。しかし「霧の中を行けば覚えざるに衣しめる」という道元の言葉のように、会を重ねていくことで、1人から2人、3人と『致知』の学びを共有できる社員が増えていき、いまではかつての荒れた社風は全くなくなりました。これは間違いなく社内木鶏会のおかげですよ。
社内木鶏会というのは本当に社長と社員が一致団結できる、ベクトルを合わせられる他にない勉強会だと思っています。『致知』には、様々な分野の方々がバランスよく登場されていますから、社員それぞれが自分に合った記事を読み、学びと勇気を得られるわけです。しかも、その学びが、単なるテクニック論ではないということが大切な点です。
(渡邉)
私も、社内木鶏会は売り上げを上げようとか、そういうテクニックを得るために導入しても長続きしないと思っています。『致知』に学ぶことで、社員一人ひとりがどう生きるべきかと自分の人生をきちっと受け入れて、主体性を発揮して生きられるようになる。その結果として業績がついてくるのです。
(森光)
おっしゃる通りですね。私は会社というのは社会の公器だと思ってきました。ですから、これからも『致知』、社内木鶏会に学んで社風を高め、パン事業はもちろん、渡邉さんとの障がい者の方の支援事業を通じて、協働の精神、人と人が支え合って生きていく社会の実現のお役に立っていきたいと思っています。
(渡邉)
社会福祉法人の事業は、まさにそのまま社会の公器であり、社員教育をしっかりして、事業を通じて世の中をよくしていく役割が与えられているわけです。これからも『致知』、社内木鶏会で志、価値観を同じくする森光さんとともに、この木更津から日本をよくしていく、1人でも多くの人に感動を与えて、よりよく生きるとはどういうことなのかを伝えていければと願っています。
(※本記事は『致知』2018年10月号に掲載された「社内木鶏会で我が社はこう変わった」を抜粋・編集したものです。社長の想いが伝わる、会社の社風がよくなる、社内木鶏会の詳細・導入はこちらから)
◇森光孝雅
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昭和39年広島県生まれ。パン職人修業を経て、平成2年祖父が創業した八天堂に入社。12年より現職。
◇渡邉元貴
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昭和38年千葉県生まれ。民間企業勤務などを経て、平成6年社会福祉法人かずさ萬燈会を創業。