2018年09月22日
アジアで100年に1人の逸材と評され、オペラの本場ヨーロッパで力強くも美しい歌声を響かせたベー・チェチョルさん。甲状腺がんに侵され手術で一度は声を失うも、声帯機能回復手術と懸命のリハビリを経て再びスポットライトの当たる舞台に返り咲きました。一音で人を驚嘆させるオペラ歌手から、一音で人の心を震わせる声楽家へと新たな天地を開いた歩みは、奇跡以外の何物でもありません。
突然閉ざされたトップクラスへの道
(オペラ歌手としてデビューされたのはおいくつですか。)
〈ベー〉
30歳になったばかりの時で、ハンガリーの歌劇場で初舞台を踏みました。そしてその5年後、2004年にはドイツで長い歴史を持つザールランド州立劇場と専属テノール歌手として契約を結ぶことができたんです。
ただ、そこに至るまでの道は決して楽なものではありませんでした。自分はヨーロッパの大舞台で歌うぞという大きなビジョンと、ある意味野心のようなものがなければ、オペラシーンで主役を張ることはできません。まして外国人で、しかもアジア人である私には、誰も簡単には舞台を与えてくれません。だから舞台に立つチャンスを与えられたら常に挑戦者として完璧なものを目指していかない限り、次の道は開かれないということはよく分かっていました。
(厳しい世界ですね。)
〈ベー〉
そうやって誰も私のことを知らないところから始めましたが、私は当時のヨーロッパオペラの主要メンバーになりつつありました。
オペラの世界ではテノール歌手というのは人材不足で、常に新しい人材が求められています。ですから当時はあと数年のうちにトップクラスに名を連ね、私の名前が世界に轟くであろうことが、現実味を持って、もう目の前で映像として見ることができるような感じでしたね。
ところが、それから僅か1年も経たないうちに状況は一変してしまいました。
最初に異変に気づいたのは2005年3月のことで、喉の辺りに何かゴロゴロするものを感じたんですよ。そしてその年の秋、オペラのリハーサルをやっている最中に突然高い声が出なくなりました。それまで風邪や、喉の調子が悪くて声が出なくなることはありましたが、そういう自覚が全くないのに声が出ないのはおかしいと思ってすぐに病院に行って調べたところ、がんが見つかりました。大きくなったがん細胞が神経を圧迫して声帯が動かなくなっていたことが分かりました。
(ではもうすぐに手術を。)
〈ベー〉
そうですね。甲状腺がんだったのですが、ドクターからはそんなに深刻でもないから心配しないでくださいと言われました。でも、場所が場所だけにもし手術で声を失うようなことがあれば、たとえ命があっても歌手としてはもう死んだことと同じになると。自分にとって声は命そのものですから、私は非常に心配でした。
(では、その心配が現実のものになってしまったと。)
〈ベー〉
術後、目を覚ましてすぐに何か話そうとしましたが声が出ませんでした。私は完全に声を失っていたのです。
内なる葛藤を乗り越えて
(そこからどのようにして再起を図られたのでしょうか。)
〈ベー〉
一般的に歌手というのはしょっちゅう耳鼻咽喉科に通う生き物なんですよ(笑)。ところが私は耳鼻咽喉科にお世話になったことがなかったので、どこにどんな先生がいるのか全く分からず、すべてが手探り状態でした。
ですからインターネットで調べるしかなかったわけですが、そこで目に飛び込んできたのが、イッシキのタイプⅠという手術方法でした。京都大学名誉教授の一色信彦先生が開発した手術です。ただ、それでも喋ることができるようになるというだけで、歌が歌えるようになるかどうかについては何の言及もありません。実際、一色先生も声楽家の手術は初めてだということでしたが、私は先生にすべてを託すことにしました。
手術は二段階あって、第一段階は声帯の隙間をなくす手術。そして第二段階は高い声が出せるようにと軟骨の位置を固定するもので、先生ご自身にとっても初めて挑戦された手術でした。手術は局部麻酔によって行われ、私の声の調子を見ながら進めていきました。おかげさまで4時間にわたる手術は無事に終わり、再び声が出るようになりました。
(大きな前進ですね。)
〈ベー〉
ただ、その当時は歌が歌えるような状態では全くなくて、術後しばらくしてからドイツのザールブリュッケンという森の中で毎日のように発声練習を繰り返しました。本当に薄紙を剥ぐように、少しずつよくなっていったという感じでしたね。
(再起への第一歩はどのように踏み出されたのですか。)
〈ベー〉
ドイツでは毎週日曜日になると、約50キロ離れた教会に車で通っていました。そこはドイツに暮らす韓国人が集まるところで、私は皆さんと一緒に賛美歌を歌っていました。ところがある時、信者さんの前で歌ってみたらどうかと勧められましてね。
最初は驚きましたよ。当時は自分のことを歌手だということを憚られるくらい、とにかく人前で歌えるような状態ではありませんでしたから。歌手というのは、視覚的にも聴覚的にも常に人に何かを与えられるようでなければならないと思っていたので、それができない自分が人前で歌うことにものすごく抵抗がありました。
でもその一方で何か行動を起こさなければという思いもありました。だから内なる葛藤を乗り越えるために、あの時は自分の中にグーッと力を込めて、歯を食いしばるようにして歌いました。
(いかがでしたか。)
〈ベー〉
歌う喜びと、思うように歌うことのできないもどかしさや悲しさの入り混じる、とても複雑な思いでした。
ただ、信者さんの多くは私の声が治るようにと、いつも真剣に祈りを捧げてくれていたんです。ですから、教会全体がえも言われぬような平安に包み込まれ、私はそれに守られて歌っている感じがしましたね。歌い終えた時には、自然と涙がこぼれ落ちてきました。
(本記事は『致知』最新号2015年6月号 特集「一天地を開く」より一部抜粋したものです。『致知』には人間力・仕事力を高める記事が満載!詳しくはこちら)
◇ベー・チェチョル
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1969年大韓民国の大邱生まれ。漢陽大学を卒業後、イタリアのヴェルディ音楽院を修了。ヨーロッパ各地の声楽コンクールで優勝を重ね、1999年オペラ歌手としてプロデビュー。2005年甲状腺がんに襲われ、手術で声を失う。その後、声帯機能回復手術を経て、2008年舞台復帰を果たす。医学の常識を超える驚異的な回復を遂げ、日韓両国を中心に演奏活動を展開している。その人生の軌跡を描いた映画『ザ・テノール 真実の物語』が2014年に公開された。