ドナルド・キーンの人生を変えた『源氏物語』

70年以上にわたり日本文学を研究し、親日家としても知られるドナルド・キーンさん。東日本大震災の後、多くの外国人が日本を離れる中、日本国籍を取得し日本人に大きな勇気と希望を与えたことでも、日本に対する深い愛情が窺えます。ここではキーンさんが日本文化に関心を抱くきっかけとなった『源氏物語』との出合いについて話されたインタビュー記事をご紹介します。

日本文化への目覚め

(日本文化との出合いはどのようにして訪れたのですか。)

〈キーン〉 
あれはたぶん11、2歳の頃だったと思います。子供向けの百科事典に3冊の別冊があって3つの国が紹介されていたんです。オランダとフランスと日本でした。日本の本には太鼓橋や和傘を差す和服姿の女性が描かれていました。そして、その本には大変短い詩が書かれてありました。後で知ったのですが、それが俳句だったんです。加賀千代女の「朝顔につるべ取られてもらい水」の意味が分かった時は1人で喜んでいましたけれども(笑)。
  
(その頃は、まさか日本文学を専攻するようになるとは思っていらっしゃらなかった。)

〈キーン〉
私の関心はフランス文学でした。それがいつ日本文学に変わったかは、いまもはっきり覚えています。1940年。私がコロンビア大学の学生の頃でしたが、ドイツ軍がノルウェー、デンマークなどを占領したんです。その後、毎晩のようにロンドンの空襲がありました。私は反戦主義者でしょう。毎日、新聞を見るのがいやで、何とか武器を持たずにドイツ軍を止めることはできないかと、そればかり考えていたんです。
 
その頃、何気なくニューヨークのタイムズスクエアの書店に入り、そこでたまたま手に取ったのがアーサー・ウェイリー訳の『源氏物語』でした。それまで私は日本は脅威的な軍事国家だと思っていました。しかし、この本にはどこか遠くの魅惑的な世界として日本が描き出されていました。いまのヨーロッパとは違う戦争のない世界、短歌という形をとおしてお互いの思いを伝え合う世界。その美しさに魅了されてしまったんです。

稲盛和夫氏、松岡修造氏らが『致知』に贈ったメッセージ

かけがえのない師との出逢い

(『源氏物語』との出合いは、人生を変えるほどのものだったとか。)

〈キーン〉 
はい。実はその少し前、大学のクラスで偶然隣の席になった中国人に毎日漢字を教えてもらっていました。いま思うと、漢字の世界に浸りたいと思ったのも戦争からの逃避だったのでしょう。漢字を学ぶことに特別な目的があったわけではなかったですから。
 
そして、41年の初め頃でした。私が図書館で勉強していると、知らないアメリカ人が「あなたは中国人学生と中華料理店で毎日食事をしているでしょう? きょうは夕食をご一緒しませんか」と話しかけてきたんです。聞いてみると、彼は数年日本に住んだことがあり、台湾で英語を教えた経験もありました。山中の静かな場所で日本語を学びたいと思って、一緒に勉強する仲間を探していたんです。

(先生も日本語を勉強したいと思っておられたのですか。)

〈キーン〉 
私は『源氏物語』に愛着を感じていましたが、それまで日本語を学びたいとは思っていませんでした。中国人の友達が日本に対してよい感情を持っていませんでしたから、彼を傷つけたくないと思ったんです。日本語を学ぶことについては少し躊躇しましたが、暑いニューヨークを離れて涼しい場所で日本語を勉強できるという話はあまりに魅力的で抵抗できなかった(笑)。
 
三人の生徒が日本人の家庭教師から指導を受けましたが、漢字を知っている分、私の進歩が最も早かったと思います。
  
(日本語の魅力に取りつかれたのですね。)

〈キーン〉 
私は大学に戻って日本語の勉強を始めました。角田柳作という大変立派な日本思想史の先生がいたのですが、当時、日本研究はまるで人気がなく、教室に来てみると学生は私1人でした。1人のために講義するのは気の毒だと辞退を申し出ると、先生は「いや、1人いれば十分です」と。
 
講義を始める前、先生は私のために黒板にびっしり漢文を書かれ、私は意味が分からないままそれを懸命に筆写しました。それに先生は私の質問に答えるために、日本の思想家に関する書物を山ほど抱えてこられるんです。
  
(そうですか。一人の学生のためだけに。)

〈キーン〉
私は角田先生が大好きでした。特に心を打たれたのは先生の情熱です。その姿勢は、私が後に学生相手に講義をする時の模範となりました。教師としてやるべきことは自分の情熱、学問に対する愛情そのものを学生に伝えることであって、本の中の事実をただ受け渡すことではありません。
 
私は近松も芭蕉も大好きですから、講義で語るうちに自分で興奮し、その興奮が学生に伝染するのを感じました。角田先生には、その姿勢を通して教育の原点を教えていただいたと思っています。

 
(本記事は月刊『致知』2012年1月号 特集「生涯修業」の「わが生涯の旅路 日本とともに生きて」より一部を抜粋・編集したものです。人間力・仕事力を高める記事が満載の『致知』、最新号はこちら

◇Donald L. Keene
━━━━━━━━━━━━━━━━
1922年アメリカ・ニューヨーク生まれ。コロンビア大学、同大学院、ケンブリッジ大学を経て、53年京都大学大学院に留学。コロンビア大学教授、名誉教授を経て2011年退官。日本に関する著作(日本語、英語)の範囲は近松門左衛門から現代文学まで幅広い。文化功労者。勲二等旭日重光章。菊池寛賞、読売文学賞など受賞多数。08年文化勲章。『明治天皇』(新潮社)『日本文学の歴史』『日本との出会い』(ともに中央公論社)など著書多数。

人間力・仕事力を高める記事をメルマガで受け取る

その他のメルマガご案内はこちら

『致知』には毎号、あなたの人間力を高める記事が掲載されています。
まだお読みでない方は、こちらからお申し込みください。

※お気軽に 1年購読 10,300円(1冊あたり858円/税・送料込み)
※おトクな3年購読 27,800円(1冊あたり772円/税・送料込み)

人間学の月刊誌 致知とは

閉じる