司馬遼太郎が『坂の上の雲』に記した明治人たちの気骨

今年は明治維新から150年の節目の年です。このタイミングで明治天皇のご生誕日である11月3日を「明治の日」とする動きもあるようです。維新に始まり、版籍奉還、西南戦争、憲法制定、日清戦争、日露戦争等々、明治という時代はまさに日本の激動期、大転換期であり、明治人はそれを力強く乗り越えることで近代国家の道を切りひらいていったのです。明治文化の研究で知られる文芸評論家・新保祐司さんのお話をもとに、明治人の気骨がどのようなものだったのか、改めて考えてみたいと思います。

明治という時代をつくったのは誰か

明治と聞いて西郷隆盛や大久保利通、乃木希典、東郷平八郎、伊藤博文などの人物を連想する人も多いことでしょう。彼らが中心となって国民をリードし、国を発展させていったというイメージを抱きがちですが、新保さんの見方は少し違います。傑出したリーダーの存在はもちろん大きいものがありましたが、同時に国民の意識もまた高かったというのです。

「明治の近代化は教科書に登場するような一部の政治家や文化人が成し遂げたイメージを抱きがちですが、現実には名もない無数の庶民の手によってなされていたことにも注目しなくてはいけません。
 
司馬遼太郎は『坂の上の雲』の中で“(日露戦争勝利という)その奇蹟の演出者たちは、数え方によっては数百万もおり、しぼれば数万人もいるであろう。しかし小説である以上、その代表者をえらばねばならない”と述べています。司馬もまた私と同じ思いで明治という時代を捉えていたのではないでしょうか。

司馬が言う“数百万”の人たちは“非凡なる凡人”と言い換えることができます。この言葉は、明治36年に発表された国木田独歩の名作『非凡なる凡人』から私が取った言葉ですが、明治人の人間観を象徴するようなくだりが、この短篇の中にあるので紹介したいと思います。 
 
この小説の主人公は桂正作という、横浜の電気技術の会社で技師として働く青年です。友人の“僕”はある時、桂青年をその仕事場に訪ねます。桂青年はちょうど器械に狂いが生じたのを修理しているところでした。その様子を見た“僕”はこう綴っています。

“桂の顔、様子! 彼は無人の地にいて、我を忘れ世界を忘れ、身も魂も、今その為しつゝある仕事に打ち込んでいる。僕は桂の容貌、かくまでに真面目なるを見たことがない。見ている中に、僕は一種の荘厳に打たれた。”

我を忘れて器械の修復作業に当たる“非凡なる凡人”は、“僕”に“一種の荘厳”を感じさせるだけのものを持っていました。と同時に、“非凡なる凡人”の働く姿に“一種の荘厳”さを感じ取る感性を明治の日本人は持っていたことにも驚きを禁じ得ません。これが司馬がいう“数百万”の人々であり、その人たちが明治という時代と精神を支えていたのです」

西洋音楽と対峙した瀧廉太郎の気概

新保さんは「明治人が内発力を湧き立たせた要因には、迫りくる外敵による危機の他に、猿と呼ばれて差別され、いたく誇りを傷つけられたことに対する雪辱を果たしたいという思いがあった」と指摘されています。そして、その代表例として瀧廉太郎を挙げられています。

「瀧廉太郎は明治34年、22歳の時に文部省外国留学生としてドイツの名門・ライプツィヒ音楽院に留学し、西洋音楽を学びます。ある時、瀧が世話になっていた下宿の管理人の女性が軽蔑の気持ちを込めて“瀧よ。おまえは遠いアジアから西洋音楽を学びに来ているけれども、一体どういう曲をつくっているんだね”と質問します。瀧はこの時、『荒城の月』を弾き、朗々と歌い上げました。『荒城の月』一曲で伝統ある西洋音楽と対峙したのです」

この誇り高き瀧の姿を受けて、新保さんは次のように述べられています。

「内村鑑三が『代表的日本人』を著し、西郷隆盛、上杉鷹山、二宮尊徳、中江藤樹、日蓮という5人の歴史上の人物の生き方を紹介したのも、新渡戸稲造が『武士道』を著してその誇り高い武士の姿を西洋人に紹介したのも、日本人が西洋と比していささかも劣ることのない道徳観を持っていることを、知らしめようとしたからに他なりません。その根底には西洋に対する奮発力、負けじ魂がありました。その精神は大東亜戦争終結まで日本人の中に生き続けることになります」

翻って現代の私たちはどうでしょうか。明治人が持っていたような気骨で時代や人生を切りひらいていると言えるでしょう。次に挙げる新保さんの言葉も拳々服膺したいものだと思います。

「しかし、日本人の間からこの力が消え去りました。しかし、日本から危機がなくなったわけではありません。危機は存在していても、鈍感なゆえに、あるいは直接的な危機を感じないがゆえに、それに気がついていないだけです。徐々に水温を上げていくと、中のカエルが自分で気づかないうちに死んでしまう茹でガエルの例を思い出さずにはいられません。
 
明治人は、外敵というショックで目覚め、果敢に立ち上がりましたが、姿の見えない思想や勢力にいつの間にか懐柔されてしまっている現在の日本の状況は、幕末よりもなお危険なのです」

(本記事は『致知』最新号2018年9月号 特集「内発力」より一部抜粋したものです。『致知』には人間力・仕事力を高める記事が満載!詳しくはこちら

◇新保祐司(しんぽ・ゆうじ)
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昭和28年宮城県生まれ。東京大学文学部卒業。『内村鑑三』(文藝春秋)で新世代の文芸批評家として注目される。文学だけでなく音楽など幅広い批評活動を展開。平成29年度第三十三回正論大賞を受賞。著書に『明治頌歌︱言葉による交響曲』(展転社) 『明治の光 内村鑑三』『「海道東征」とは何か』(ともに藤原書店)など多数。

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