「焼き場に立つ少年」にみる生死一如の姿【戦後75年:あの時代に生きた人々を思う②】

先の大戦から75年の節目となる本年、記憶や思い出を語り継ぎ、次の世代へと伝えていきたい――その思いを込めて、WEB chichiでは、あの時代を生きた方々、お一人おひとりの顔が見えるような、心に響く逸話を全3回にわたってお届けします。
第2回の本記事では、作家の青木新門氏と曹洞宗僧侶・中野東禅氏に、それぞれの戦争体験、そして悲しみとどう向き合うかを語り合っていただきました。

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忘れることのできない満洲の真っ赤な夕焼け

〈青木〉 
僕個人のことで恐縮なのですが、いまでも忘れられない光景があるんです。それは八歳の時に満洲で見た夕焼けの光景です。

〈中野〉 
ああ、先生は戦時中、満洲にいらっしゃった。

〈青木〉 
はい。引き揚げの時は、お袋と僕と妹と一緒に、いまの瀋陽の近くにある収容所におりました。お袋が発疹チフスに罹って隔離されると、僕と妹だけになりました。知らない大勢のおじさん、おばさんの間に2人挟まれましてね。翌朝、3歳になる妹を起こして背負おうとしたら、死んでいたんです。焼き場がある場所を知っていましたから、煙が出ている石炭の上に遺体を置いてきたのですが、その時に見た中国の広大な大地に沈んでいく真っ赤な夕日だけははっきりと目に焼きついています。

8歳の少年は戦争が悪いとか、親が悪いとか、国家が悪いとか、そんなことは全く考えないんですよ。ただ大きな悲しみに包まれた言葉にならない言葉。その感覚だけはよく分かりました。その感覚は70年経ったいまなお続いています。消えるものではありません。

〈中野〉 
そうでしたか。そういう悲しい体験がおありだったのですね。

〈青木〉 
幸い母とは合流し、無事に日本に戻ってくることはできました。その後、農地改革で家は没落し一家は離散。成績がよく神童と言われていた僕は定時制高校に通い、早稲田大学に進んだものの六〇年安保闘争で挫折し、恋人に振られ、事業は失敗しと、やることなすこと全部失敗しました。それも悲しみと言えば悲しみなのでしょうけれど、満洲での悲しみに及ぶものではありません。

それで40歳の時、僕はある1枚の写真と出合って、大変な衝撃を受けるんです。被爆後の長崎で死んだ弟を背負い、焼き場の前に立つ少年の写真です。撮影したのは最初に本土に上陸したアメリカ海兵隊の従軍カメラマンです。僕はいつもこの写真を手帳に挟んで持ち歩いているんですが、東禅先生もぜひ見ていただけたら……。

〈中野〉 
ピンと胸を張った少年がグッと唇を噛み締めながら前方を見つめている。ご自身の満洲での姿と少年の姿が重なったのですね。

〈青木〉 
僕たちはその頃、鬼畜米英と教育されてきました。そのアメリカ兵が近くでカメラを構えている。この少年も泣くに泣けないですよ。見てください。歯を食いしばって唇から血が出ているでしょう。この子も僕と同様、一家どころか一国を背負うくらいの覚悟で生きてきたはずです。死んだ弟と自分が一本の帯で繋がっている。これが生死一如の姿なのだと思います。

悲しみと一体になって生きる

〈中野〉 
その頃のことになると、私も思い出す話があります。私の父は反戦家の僧侶でしたが、戦争が始まったばかりの頃に母が亡くなり、戦後すぐに父が亡くなって、それからは兄弟で肩を寄せ合わせて生活するようになりました。

すぐに僧侶の見習いをやるようになったんですが、中学校の頃の担任の先生がたまたま僧侶でしたから、お経の読み方などいろいろなことを親切に教えてくださいました。学校から帰って育ての母に「きょうはお通夜があるから行ってきなさい」と言われて待っていると、日の暮れないうちに二人の親族の人が迎えに来てくれている。藁葺きの薄暗い納戸に小さな電球がぶら下がっていて、その下に痩せたお婆さんのご遺体が寝かされている。

お経を読んで芋の煮っ転がしか何かをいただいて「ご苦労様」と言われて外に出るんですが、真っ暗なのに帰りは誰も送ってはくれない。一人夜道を歩きながら、世の中の矛盾を肌で感じましたね。

火葬に立ち会う機会もありました。そこで分かったのは、手や足の骨はすっかり焼けて黒っぽい灰色になるのに、頭蓋骨は脳味噌が入っていて最後まで熱を持っているんですね。ものすごい高熱を帯びて潤んだピンク色をしている。絵の具では表現できないような、それは美しいピンク色です。私はそれを見ながら村人たちが来るのを待っていたのですが、その体験から「死んだ人は怖くない」と学びました。

〈青木〉 
東禅先生の仏教者としての原体験ですね。

〈中野〉 
その後、高校に進学しましたが、3千円の入学金が納められなくて1か月で退学し、印刷工場の見習い工員を2年間やりました。だから、漢和辞書を引くのはいまでもとても楽です。

そんな生活をしていた時、事務所から「きょうは新聞が発行できないから帰っていい」と言われました。ところが、次の日行ってみたら新聞が印刷されている。何でもビキニで水爆に被曝したマグロ漁船の第五福竜丸というのが帰ってきたと言うんですが、中卒の私には何のことか分からないんです。「新聞づくりの端くれなのに、新聞に書かれていることが分からないんじゃ話にならない」と思いはじめて、その印刷工場を辞める決断をしました。

もっと世の中が分かる人間になりたい、生身の人間の問題は仏教が教えてくれると思ったものですから、頭を剃って永平寺に行かせてもらうようになったんです。その経験のおかげで、何かあった時には決断するという習性がついたと思っています。

 つい昔のことを思い出して、いろいろと申し上げましたが、口にしない、愚痴を言わないだけで人間は皆、誰でもいろいろな悲しみを背負いながら生きている存在なんですね。「君看よ双眼の色、語らざれば愁なきに似たり」という言葉は、愚痴を言ったり人を責めたりしないで、自分が背負ったもの、心に秘めたものを静かに熟成させながら老いや死を楽しんでいく。そんな生き方を教えているように思います。悲しみにどんと腹を据え、悲しみと一体になるからこそ、人生を意味あるものにできるのではないでしょうか。

(本記事は月刊『致知』2019年11月号「語らざれば愁なきに似たり」から一部抜粋・編集したものです)

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◇青木新門(あおき・しんもん)
昭和12年富山県生まれ。早稲田大学中退後、富山市で飲食店を経営する傍ら文学を志す。48年冠婚葬祭会社(現オークス)に入社。専務取締役などを歴任。平成5年葬式の現場の体験を『納棺夫日記』(文春文庫)として著しベストセラーに。また20年に『納棺夫日記』が原典となった映画『おくりびと』が第81回アカデミー賞外国語映画賞を受賞。親鸞関係の著書に『親鸞探訪』(東本願寺出版)など。

◇中野東禅(なかの・とうぜん)
昭和14年静岡県生まれ。駒澤大学大学院修士課程修了。曹洞宗教化研修所修了。同所講師、大正大学講師、武蔵野大学講師、南無の会副総務、京都市竜宝寺住職などを歴任。現在可睡斎僧堂西堂。著書に『良寛 日本人のこころの言葉』(創元社)『「どん底目線」で生きる 良寛詩歌集』(NHK出版)『心が大きくなる坐禅のすすめ』(三笠書房)など多数。

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