親子で受けたい歴史の授業


☆ あなたの人間力を高める ☆
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致知出版社の「人間力メルマガ」 2016.8.25


第一次世界大戦を経てロシアから
独立したポーランド。

しかし、すぐにロシアとの戦争が勃発し、
極寒の地シベリアには多くの
ポーランド人の孤児がとり残されます。

その救済の乗り出したのが、
当時の日本赤十字社でした。

その顛末を描いた物語を、
キャンペーン対象書籍である
『子どもの心に光を灯す日本の偉人の物語』
から皆さんにお届けします。

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日本人が、古くから
大切にしてきたものの中に、
「惻隠(そくいん)の情」があります。

しばしば「思いやりの心」と
訳されますが、惻隠の情と
思いやりの心は、まったく
同じというわけではありません。

思いやりの心を持つことは、
もちろん大事ですが、
困っている人を見たら、
放っておけない、
つい手を差し伸べてしまった……。

そんな、やむにやまれぬ思い、
行動を伴う思いやりが、
「惻隠の情」なのです。

先人たちが大切に育んできた美徳を、
当時は、幼い子どもたちまで
共有していたんですね。


看護婦をしていた松澤フミさん
という若い女性は、腸チフスに
かかった子どものそばを、
片時も離れませんでした。

当時、腸チフスは、
罹ったら最後、十中八九、
死に至るといわれていました。


「この子は、もう助からない。
 それなら、せめて私の胸の中で
 死なせてあげたい」

と、フミさんはいっていたそうです。

彼女の献身的な看護を受け、
その子は奇跡的に回復しました。
でも……。松澤フミさんは、
このときの看病がもとで、
腸チフスに感染し、亡くなったのです。

また、こんなポーランド
の女の子の回想もあります。


「ひどい皮膚病にかかっていた私は、
 全身に薬を塗られ、
 ミイラのように白い布に包まれて、
 看護婦さんにベッドに運ばれました。

 その看護婦さんは、私をベッドに
 寝かせると、布から出ている
 私の鼻にキスをして、
 微笑んでくれました。

 私はこのキスで生きる勇気をもらい、
 知らず知らずのうちに
 泣き出していました」


日本に到着したとき、子どもたちは、
みな青白く痩せこけていました。

内臓の病気や皮膚病を患っていたり、
栄養失調になっていたり……。

そんな彼らが、ひと夏を日本で過ごし、
人々の愛情に包まれ、
まるで別人のように元気を
みなぎらせていったのです。


それは大変に喜ばしい
ことではありましたが、
しかし、それは同時に、
子どもたちが故国ポーランドに
帰る日が近づいていることを
意味していました。


「誰もが、このまま日本に
 いることを望んでいました。
 太陽が綺麗で、美しい夏があり、
 海があり、花が咲いている
 日本に……」


子どもたちは、そんなふうに
感じてくれていたそうです。

そして、お別れの日。

送られるポーランドの子どもたちも、
見送る日本人も、涙、涙、涙……。

765名に及ぶポーランドの
子どもたちは、故国ポーランドに
向けて、順次旅立っていきました。

子どもたちを送り届けた
日本船の船長は、毎晩、
ベッドを見て回り、
一人ひとり毛布を首まで掛けては、
子どもたちの頭を撫で、
熱が出ていないかどうかを
確かめたといいます。


「もしお父さんが生きていれば、
 お父さんの手は、きっとこんなに
 大きくて温かいんだろうなぁ」


と、薄眼を開けて、船長の巡回を
心待ちにしていた子どももいたそうです。

この子たちは、帰国後、
孤児院に収容され、それぞれの
人生をたくましく生き抜いて
いくことになります。

たったひと夏の経験でしたが、
日本人から受けた愛情が、
彼らの生きる力になったことでしょう。

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