2023年02月22日
イギリスの空港サービスリサーチ会社が実施する国際空港評価で、世界一清潔な空港に認定された羽田空港。その中で、異彩を放つ一人のプロフェッショナルがいます。新津春子さん、日本空港テクノ所属の環境マイスターです。中国残留孤児の二世として生まれたこともあり、新津さんは幼少期、中国でも日本でも残酷ないじめを受けたと語られます。そこからいかにして逆境を乗り越え、日本一の清掃員になったのでしょうか。
◉《期間限定の特典付きキャンペーン》お申し込みくださった方に、『小さな幸福論』プレゼント!各界一流の方々の珠玉の体験談を多数掲載。総合月刊誌『致知』はあなたの人間力を高める、学び続ける習慣をお届けします。
▼詳しくはバナーから!
中国残留孤児の二世として生まれて
私は1970年、中国瀋陽に生まれました。お父さんは1歳の時、旧満洲に取り残された日本人の残留孤児です。お父さんが残留孤児でなければ、一家で日本に来られなかったし、私の人生は全く違うものになっていたと思うんですけど、何ていうか……、当時のことを思い出すといまでもやり切れないんですよ。
あれは小学生の時でした。いつものように友達と楽しく学校生活を送っていたある日、私のお父さんが日本人だと明らかになると、その途端、クラスの一部の子から「日本鬼子」って言われて、いきなりいじめが始まったんです。
残留孤児の二世だからって何なの? 生まれてきちゃいけないの? って。そういうことばかり考えると、どんどんマイナスな感情に囚われてしまうんですね。
もともと内向的で大人しい性格だったので、いじめられるといつも泣きながら逃げて帰ってきていました。ところがある時、私の姿を見かねた叔父さんが、「何で逃げて帰ってきたんだ! やられたらやり返して来い」と言って、その場でいじめた子の家まで連れていってくれて、やり返してくれたんですね。それ以来、何を言われても気にならなくなって、その場で言い返せるようになりました。
「ブス」とか言ってくる子には、「何であなたに言われないといけないの? 私の顔は世界でただ一人の顔よ」って。その時から「私は選ばれてここに生まれてきたんだ」と思うようになったんです。
だから、叔父さんの言葉が非常に大きな転機になりました。それがなかったら、あのいじめには耐えられなかったですし、いま頃どっかで死んでいたと思います。
見返したいとの思いで 人一倍努力した
日本に来たのは17歳の時です。当時の中国はテレビがまだ白黒で、家には洗濯機も冷蔵庫もありませんでしたから、空港に降り立った時の衝撃はいまも忘れられません。
私たち家族は、国から住まい以外の支援を一切受けず、みんなで力を合わせて生活していこうと決め、私は都立高校に通いながら清掃会社でアルバイトを始めました。なぜ清掃の仕事だったかというと、当時は日本語が全く分からなかったので、言葉が通じなくてもできるという理由で選んだのです。
実はアルバイト先でも、酷い扱いを受けました。何か物がなくなると、「あなた中国人でしょ。日本人は人の物を盗らない」って私の目の前で言うの。私が「違います」って否定しても、なぜか給料を引かれている。
ゴミ回収作業時、机の前にあるゴミ箱に千円札が入っていて、机に座っている方にちゃんと渡したというのに、その私がなぜ人の物を盗るの?
「悪いことをしてない」って言うだけでは通用しないんだったら、普通の努力をしても意味がない。仕事を人一倍頑張って、あの人たちを見返してやろうと思ったんです。それからはもうマイナスの感情に囚われる余裕もないくらい、とにかく目いっぱい仕事に没頭していきました。
高校卒業後、音響機器メーカーに就職しましたが、そこで正社員として働きながらも清掃のアルバイトを続けていたんですよ。365日、ずっと清掃の仕事をしていました。
朝は5時半から2時間くらいゴミ回収や掃除機がけのアルバイトをし、日中は会社でヘッドホンの組み立てや点検をする。夕方6時頃に勤務が終わると、夜11時過ぎまでスポーツジムで鍛えて、ジムのお風呂に入ってから帰るんです。当時はお金がなくてお風呂つきのアパートには住めませんでしたからね。
で、土日ともなれば朝から晩まで清掃のアルバイトをする。睡眠時間は毎日4、5時間。それでも全然疲れを感じませんでした。
とにかく笑顔で コツコツ一所懸命やる
私たち空港の清掃員はお客様からいろんなことを頼まれるんです。だから、清掃とは関係ないことであっても、お客様から言われたことは断らないで全部やっていく。そういうことは意識しています。
断ること自体が自分には許せないというか、断ったらプロじゃないと思うんですね。もちろん私にはできないようなことも中にはあるわけですから、それを断らないでやるためにはどうすればいいかって考えて、やっぱり日々プラスアルファの努力を積み重ねる。
あと、清掃に関しては、赤ちゃんが床でハイハイしても大丈夫なくらい綺麗にしようって心掛けているんです。心を込めなければ綺麗にはできませんし、そこは妥協せずにやっています。どんな仕事でも心を込めてベストを尽くす。そうすることで、お客様は喜んでくれると思うの。
難しい言葉は分かりませんけれども、私としてはただ目の前の仕事をとにかく笑顔でコツコツ一所懸命やること。そして、日々目標を立てて、それに向かって努力して、達成して、また次の目標を立てる。そういうことを大切にして生きてきただけです。
(本記事は月刊『致知』2016年5月号 特集 「視座を高める」より一部を抜粋・編集したものです) ◉《期間限定の特典付きキャンペーン》お申し込みくださった方に、『小さな幸福論』プレゼント!各界一流の方々の珠玉の体験談を多数掲載。総合月刊誌『致知』はあなたの人間力を高める、学び続ける習慣をお届けします。 ▼詳しくはバナーから!
◇新津春子(にいつ・はるこ)
1970年中国瀋陽生まれ。17歳で渡日して以後、25年以上清掃の仕事を続ける。1997年全国ビルクリーニング技能競技会1位。現在、羽田空港国際線ターミナル、第1ターミナル、第2ターミナル清掃の実技指導者として活躍している。著書に『世界一清潔な空港の清掃人』(朝日新聞出版)などがある。