2018年03月09日
おそらくこの人物がいなければ、戦後の日本は
分断国家になっていたかもしれません。
その難局を見事に打ち破った一人の人物にスポットを当てます。
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岡田 幹彦(日本政策研究センター主任研究員)
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服部 剛(横浜市立公立中学校教諭)
※『致知』2018年4月号【最新号】
※特集「本気・本腰・本物」P22
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【服部】
それからもう一つ、樋口(ひぐち)中将の偉業として触れておきたいのが、
「占守島(しゅむしゅとう)の戦い」です。
【岡田】
これも本当に長く語り継がなくてはならない偉業ですね。
【服部】
第二次世界大戦が終戦を迎えた8月15日。
日本はあと武装解除し降伏するだけという状況の中、
日ソ中立条約を破棄して宣戦布告していたソ連が、
突如としてカムチャツカ半島から千島列島に侵入、攻撃してきたんですね。
スターリンは北海道まで占領しようとしていたといわれています。
それでその当時、北方の最高責任者である北部司令官だった樋口中将は、
千島列島の最北端に位置する占守島でソ連軍に断固反撃することを決断します。
抵抗すれば本国に帰れるはずの将兵たちを死なせてしまうかもしれないと、
非常に悩まれたと思うんですが、ここで戦わなければ日本の名誉が潰れる、
ソ連の行為は正義に反するとして戦いを決意したのです。
【岡田】
あぁ、名誉と正義のため。
【服部】
そして占守島の守備隊はものすごい激戦を繰り広げ、ソ連軍を撃退。
結局は、日本政府の指令で抵抗を止めざるをえなくなるんですが、
ソ連軍が千島列島の最初の一歩で躓いたことで
北海道を占領するというスターリンの野望も潰えるんですね。
というのも、ソ連軍がようやく国後島あたりまで来た頃には、
既にアメリカ軍が北海道に進駐していたからです。
ですから、樋口中将の決断がなければ、いま頃北海道はソ連領になり、
日本も朝鮮半島のような分断国家になっていたかもしれません。
樋口中将は日本を分断国家の危機から救ったといえます。
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生きた歴史の偉人たちに学ぶ月刊誌『致知』
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