2016年05月18日
日本経済界の重鎮・牛尾治朗さんの
若き日のエピソードです。
牛尾さんは、当時秘書として仕えられた
東京銀行の支店長からよく、
「おい牛尾君、飲みに行こう」
と声をかけられ、
酒の飲み方について
教えられたそうです。
────────[今日の注目の人]───
牛尾 治朗(ウシオ電機会長)
※『致知』2016年6月号【最新号】
※連載「巻頭の言葉」P4
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私は大学を出て東京銀行へ入行後、
程なく神戸支店へ配属となり、
当時支店長を務めておられた
木村喜八郎さんの秘書をしていた
時期があります。
(中略)
豪放磊落な木村さんは、
仕事の後でよく
「おい牛尾君、飲みに行こう」
と、有名なアカデミーというバーへ
私を連れて行き、
若手行員にはなかなか手の届かない
高級酒を振る舞い、
労をねぎらってくださいました。
当時はまだ外国に行く人は稀でしたが、
海外の勤務が長く、
欧米の事情に
精通しておられた木村さんは、
これはアメリカのダレス国務長官が
賓客に振る舞って喜ばれた
レミーマルタンという
ブランデーなんだよ、
などと蘊蓄を傾けながら、
「牛尾君、
くだらん酒をたくさん飲むより、
いい酒を飲めよ」
と繰り返しておられたのが、
いまでも大変印象に残っています。
私はその後、アメリカへ留学し、
帰国後にウシオ電機を創業したため、
あいにく木村さんと
ご一緒する機会はなくなりましたが、
その代わりにしばしば
酒席をともにさせていただいたのが、
その頃から教えを請うようになっていた
安岡正篤先生でした。
ある時、木村さんから言われたことを
思い出してお話しすると安岡先生は……、
※この時、安岡先生は牛尾さんに
酒をいただく上での
大切な心得を諭されます。
人間を深く洞察された安岡先生らしい
酒席の心得とは
どういうものだったのでしょうか。