2017年07月09日
奈良県で住宅建設会社を営む柴部崇さん。
父親から認められた幼少期の体験が
仕事の原点だといいます。
柴部さんのその体験とは?
───────「今日の注目の人」───
岩堀 美雪
(一般社団法人子どもの笑顔代表理事)
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柴部 崇(シバ・サンホーム社長)
※『致知』2017年8月号【最新号】
※特集「維新する」P28
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【柴部】
私の両親は駆け落ちをして
岡山から大阪にやって来たんです。
だけど、頼るところもなく、
日雇いのような仕事をしては
何とか食い繋いでいました。
十日間何も食べずに
二人で空腹に耐えた時も
あったと聞いています。
当時の大阪は
マンションや商店の建築ラッシュで、
住宅メーカーは大工を募集していました。
ある社長さんが無職の父に
「これでパンでも買って腹を満たして
明日から現場に来てくれ」
と言ってくださって、
その恩に報いるために
徹夜徹夜で働くんです。
だからでしょうか、父は
「人に温かいご飯を食べていただき、
自分は冷や飯で十分」
と当たり前のように考える人でした。
私が四歳の頃、
立て続けに元請けが倒産し、
厳しかった家計はさらに厳しくなり、
私たち家族は二年ほど
現場敷地の中に建てられた
仮設のプレハブ小屋で、
他の職人の家族と一緒に
寝泊まりしていたんですね。
母は毎日、大きな鍋で
皆の朝食をこしらえていました。
私は
「なんで僕たちには家がないんだろう」
と思う一方で、
他人の家を一所懸命につくる父が
とても格好よく見えていました。
その頃からですね、
家族皆が仲良く暮らせる、
温かい家をつくりたいと
思うようになったのは。
【岩堀】
柴部社長のまさに人生の原点ですね。
【柴部】
生まれ育ちがそんな環境でしたから、
遊び場は当然、工事現場です。
見様見真似で壁に釘を打ったり、
材料をノコギリで切ったり
やりたい放題で、
職人さんにいつも怒鳴られたものです(笑)。
だけど、父だけは
「崇、おまえは釘を打つのがうまいな」
と褒めてくれました。
私の頭を撫でてくれる
ゴツゴツしたタコだらけの
父の手の感覚は、
いまでもはっきりと覚えています。
※このような体験があったからか、
柴部さんの家造りに関する考え方は
実にユニークです。
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