2017年02月15日
車椅子利用者のファッションブランドを
立ち上げた長屋宏和さんは、もともと
F1ドライバーを目指すレーサーでした。
しかし、レース中の事故で、
車椅子生活となります。
辛い状況を乗り越えてきた
長屋さんの話を紹介します。
───────「今日の注目の人」───
☆ 逆境を乗り越えた先に見えたもの ☆
京谷 和幸
(車椅子バスケットボール
男子日本代表アシスタントコーチ)
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長屋宏和(ピロレーシング代表)
※『致知』2017年3月号【最新号】
※特集「艱難汝を玉にす」P54
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【京谷】
大事故だったのですね。
【長屋】
そうですね。
最初に目が覚めた時には、
何が起きたのか
全く分かりませんでしたし、
何回寝て起きても天井だけしか見えず、
体を動かそうにも動かない。
気管切開もされていたので、
喋ることもできません。
夢なんだろうな、これと思っては寝て、
また起きる。それを繰り返していたら、
母親が視界に入って、
「あら、やっと目を覚ましたわね」と。
そう言われても
どうして母親が
ここにいるのかも分からず、
早く仕事に行けば?
っていうのが
最初の印象でしたね。
レース中に事故を起こして
16時間の手術をしたこと、
事故から2週間が経っていることを
知らされたのは、
それから数日後でした。
(中略)
京谷さんと同じく、
自分にもレースしかなかったので、
それができない辛さ、
この先何ができるのか分からない
不安に襲われ、
これから自分が
生きていく意味はあるのか
とさえ思いましたね。
あったのは絶望だけで、
ただ、死にたいと思っても、
その体の状態では
自分を殺すことさえできません。
【京谷】
その絶望から、どうやって
立ち上がっていったのですか。
【長屋】
これもタイミングなんですよ。
その日の夜にたまたま
幼馴染みがお見舞いに来てくれて、
私は堪らず先生に宣告されたことを
そのままぶつけました。
すると幼馴染みは……、
※長屋さんを救った友人の一言とは
どういうものだったのでしょうか。
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