劣等生の少年が人に認められた瞬間


国内に四店舗、パリに一店舗の
フレンチレストランを経営する
名シェフの黒岩功さん。

しかし、小学生の頃は
体は弱い、
勉強もできない、
友達もいない、
体育もビリという
子供だったそうです。

その黒岩さんには
劣等感を克服するきっかけとなった
ある感動的なドラマがありました。

────────[今日の注目の人]───

★諦める一歩先に必ず宝がある★

黒岩 功(ル・クログループオーナーシェフ)

※『致知』2016年7月号【最新号】
※特集「腹中書あり」


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私が料理人を志したのは、
自分自身の生い立ちや
家庭環境と深く関わっています。


生まれつき小児喘息を持っており、
小学校に上がるまで
吸入器が欠かせませんでした。
呼吸をするのも苦しく、
体がものすごく弱かったのです。

小学校に上がっても
学校を休むことが多く、
勉強もできない、
友達もいない、
体育競技もすべてビリ
という有り様。

何もできない自分に
劣等感やコンプレックスを
抱くようになりました。


母親は商売人で、
父親は船乗りだったため、
一人で家にいる時間が長く、
食事は自分で
つくらなければなりません。

最初はインスタントラーメンを
つくって食べるだけでしたが、
次第にキャベツを包丁で切って
ラーメンの具に加えたり
するようになり、
料理が好きになっていきました。


転機が訪れたのは
小学校四年生の時です。

母親参観日に家庭科の授業があり、
そこで先生が


「誰かこのキャベツを
 切ってくれますか」


と聞きました。

私がすぐ「ハイ!」と挙手すると、
周りは誰も手を挙げていないばかりか、


「えっ、あの根暗な黒ちゃんが?」


と怪訝な目で見ています。

先生も驚いた様子でしたが、
皆の前に立ち、
いつもどおりキャベツを
千切りにしていきました。
 
すると、全員から


「黒ちゃん、すごい!」


と喝采を浴びたのです。
初めて人に認められた瞬間でした。

教室の後ろでは、
いつもは隅のほうで
隠れるようにしていた母親が
真ん中に立ち、涙を流して
喜んでいるではありませんか。……



※以来、黒岩さんは徐々に
 料理人という仕事に
 憬れを抱くようになります。

 しかし、その後の道のりは決して
 順調ではありませんでした。

 家庭不和、借金の取り立て、
 そして本場フランスでの苛酷な修業。

 黒岩さんは
 ポレオン・ヒルの言葉を支えに
 数々の試練を乗り越えていかれます。

 感動的な人生はぜひ誌面で。

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