2017年04月28日
明治期、警察署長の職をなげうち、
12年に及ぶ講演行脚をしながら
元寇の記念碑を建立した
湯地丈雄という人物がいました。
湯地丈雄について語る
三浦尚司さんの随想の
一部を紹介します。
───────「今日の注目の人」───
三浦 尚司(九州国際大学客員教授)
※『致知』2017年5月号
※連載「致知随想」P88
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湯地の人生を変える
出来事となったのは
明治期半ばの1886年に
発生した長崎事件です。
清国の軍艦が予告なく
長崎に入港した上、
勝手に上陸した
約500名の水兵の一部が
暴行や強奪を働き、事件を
鎮圧しようとした警察官が殉職、
多数の市民が犠牲になった
痛ましい事件です。
乱闘の惨状が残る
長崎市街を視察した時、
湯地は彼らの傍若無人なる振る舞いに
怒りが込み上げ、国防の
大切さを痛感すると同時に、
600年前の蒙古襲来の惨禍が
頭を過ぎりました。
元寇によって
多くの日本の将兵が犠牲になり、
妻子は虐殺され住処が焼かれました。
しかし、明治のその頃、
人々は清という大国の脅威を
恐れるばかりで、
鎌倉時代に国を挙げて
日本を守ったという
大切な教訓がすっかり
薄れていたのです。
「いますぐに奮い立って
日本国民を啓発し、
国防精神を高めなかったら、
かの元寇の惨禍よりもなお一層
恐るべき外患を受けて、
悔いを万世に残すようなことに
なりかねない」
元寇で最も大きな惨禍を被った
博多湾の海辺に立つと、
なおその思いを強くするのでした。
そして、この地に
元寇の惨禍を忘れず、
忠勇義烈な国民の
行動を顕彰するための
一大記念碑を建設しようと
自らに誓います。
1890年、警察署長を退職、
裸一貫の素浪人となった湯地は……
※元寇記念碑に命を懸けた湯地丈雄の
人生は、ぜひ誌面でお詠みください。