「大丈夫だぞ」を繰り返す父

戸城素子さんの人生体験は壮絶です。

13歳で家族で旧満州に渡り、
ソ連の侵攻、中国の国共内戦、
中国共産党の恐ろしい人民裁判まで
その実態を
目の当たりにしてこられました。

これからご紹介するのは、
旧満洲で学徒動員令を受けた戸城さんが、
防衛司令部でモールス信号の
解読などに当たっていた時の話です。

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★〝決して背を見せない〟
を貫いた一技術者の生涯★

戸城 素子

※『致知』2016年6月号【最新号】
※特集「関を越える」

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昭和二十年八月九日、
ソ連が日ソ中立条約を破り、
ソ満国境を越えて侵入してきたのです。

日本軍は条約を信じ、
国境警備や首府防衛のかなりの部隊を
南方戦線に転進させています。

通信室に入ってくるのは、
手薄になった満洲の草原を
怒濤のように押し寄せてくる
ソ連軍の情報ばかりでした。

十日には新京上空にソ連機が現れ、
爆弾を投下しました。

あちこちから黒煙が上がります。
学徒動員の女学生に帰宅命令が出て、
私が家に戻ったのは十一日でした。

夕方になって父も慌ただしく帰宅、
私たちは避難するのだと言います。
当日、新京在住日本男子一同に
白紙召集令状が配布されていたのです。

父と別れての避難です。

「よく分かりました」

母は落ち着いた様子で
避難の準備に取りかかりました。

我が家はいつもこうなのです。
父はどちらかと言えば単刀直入型。

それに対して母は泰然自若
というのかのんびりムード。

このバランスが微妙に働いて、
家族がその後の困難を乗り越える
一つの力になったと思います。

翌日、持てるだけの荷物を背負い、
新京駅から避難列車に乗り込みました。

父とは家の前で別れました。
家族一緒の時間を大切にしていた父は、
どんな気持ちだったでしょう。

一人ひとりの頭を撫で、

「大丈夫だぞ。大丈夫だぞ」

を繰り返していました。

あの姿は忘れることができません。

 
※お父様と離ればなれになり、
避難民となった戸城さんの一家には、
その後、様々な苦難が待ち受けています。
その内容はぜひ誌面でお読みください。