逸話に見る安岡正篤師 安岡先生の風韻

安岡先生は(息を引き取られた住友病院での)入院中、とても立派な態度であったそうです。
そのことを私は後日、偶然に知りました。

先生が亡くなられてしばらくして、私も、やはり新井(正明)さんの紹介で住友病院に入院したことがあるのです。
幸いにして二十日ほどで退院しましたが、私は時間があるとベッドの上で正座をしていました。
背中に持病のある私は、長時間ベッドに横になることができず、起きて座っていたのです。
そういう様子をたまたま見ていたのでしょう。
病院の清掃係の初老の女性があるとき私に「いつも正座をされていますね。とても感心して見ていますよ」と話しかけてきました。
続けて「この病院の新井理事長と深いご縁のある方だそうですね」と質問してきました。
「ええ。理事長のお父さんの時代から、よく存じ上げていますよ。先生が一緒でしたからね」
「その先生はどなたですか」
「安岡正篤先生という方です」
すると女性は「陽明学で有名な、あの安岡先生ですか」と、感慨深げな表情で聞き返しました。

詳しく聞いてみると、先生が入院中、部屋の清掃を任されたのが自分だったというのです。
もちろん、この女性も、当時その患者が誰なのかは一切聞かされてはいませんでした。
そして次のような先生の思い出を話してくれました。

最初に部屋に入った途端、ああ、この方は普通の人ではないと気づきました。
それから何度も先生のお部屋に足を運びましたが、いつも手を合わせて拝みたくなるような衝動にかられました。

あるとき、先生から「あなた、生活はどうですか」と声をかけていただいたので「お給料が少ないし、なかなか大変です」とお答えしたところ、「あなたの相はなかなかよろしい。晩年になるほど、よくなっていく。だから挫けずに、しっかりおやりなさい」と励ましてくださったのです。
そして先生は、丸を書いた紙を私にくださいました。
以来、私はその紙を肌身離さず持ち歩いています。

先生が亡くなられて初めて、あの方が有名な安岡先生だと知って驚きました。
いまでは自分の孫たちに「しっかり勉強して、ああいう立派な方になりなさい」と話してあげています。

この話を聞いて、私は先生の偉大さの源を知ったように感じました。
それは何も先生が総理大臣の指南番であったからではないし、豊富な古典の知識があったからでもない。
先生の何気ない仕草や表情、言葉から溢れる風格、風韻といったものが、他人になんらかの感動を与えていたのです。
それに気づいたとき、私の先生に対する尊敬の念は倍加したのであります。

(伊與田覺著『安岡正篤先生からの手紙』より)

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