2020年12月11日
先祖に「日本外交の祖」と呼ばれた元外相・陸奥宗光を持ち、自身もサウジアラビアやタイで特命全権大使を務めた岡崎久彦氏(1930~2014年)。外務省勤務時には初代情報調査局長として活躍されました。今回はそんな岡崎氏がサウジアラビア大使時代に語った「戦略的発想」の重要性と岡崎流の情勢判断法についてご紹介します。
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戦略論、軍事学を学ばない日本のインテリ
私は、長年、外務省で情報と安全保障の仕事に携わってきた。その間、折に触れ、戦略論について考えるようになったのだが、そこで気づいたのは、日本には戦略論、軍事学の講座を持つ大学が全くないということであった。
これは、先進諸国の中では日本だけに見られる特徴であった。その原因は、戦前は、戦略論を軍人に独占させ、一般人に許さなかったということに求められるのだが、以来、日本には、政治家、役人、言論人の誰も戦略論を学んだことがないという奇矯なインテリ社会が成立してしまうことになったのである。
それでは、戦後、日本の防衛を「肩代わり」してきたアメリカに、日本の防衛戦略研究を行っているかというと、それは全くないのである。アメリカにあるのは、あくまでアメリカの世界戦略における日本の位置の研究といったものでしかない。結局、日本の防衛戦略は、考えてみれば当然のことだが、日本自身が考えるほかはないのだ。
国家戦略とは情勢判断である
私が戦略論に手を染めるきっかけとなったのは、70年安保闘争であった。67、8年ごろから反体制勢力が、安保自動延長阻止を叫んで、全国の大学で全共闘運動が盛り上がった。
結局は69年の大学紛争後、収束に向かうのだが、60年の岸内閣総辞職を記憶している政界、財界、官界の体制派は、一種の危機感を抱き、闘争の発生と時を同じくして安保対策のために結束したのであった。
私は、当時、分析課長の職にあり、政治家の演説原稿の代筆などを随分やる羽目になった。安保擁護派の理論武装の黒子役を務めたわけだが、このとき以来、私は戦略論に思いを巡らすようになった。
72年のニクソン・ショックにより、日本の政治、経済、外交路線は大きな打撃を受ける。さらに日中国交正常化に続く中国ブームの中、「日本外交の中心は中国に置くべきだ」といった類の論がまかり通り、防衛論においても「非武装中立論」を、初めとする非現実的路線が、マスコミで幅をきかせるようになった。
こうした世の中の流れが、私にはどうしても腑に落ちなかった。私は、その腹ふくるる思いを論文にまとめ、友人知己に回覧してもらうようになった。最初は10部程度のものであったが、そのうち政策決定に影響を持つ人にも読まれるようになり、最後には50部ほどになったと記憶する。
やがて、そうしたものをまとめてみないかという話があって私の戦略論に関する初の著書『国家と情報』が世に出ることになり、その後も何冊か戦略論関係の本を上梓する機会を得ることができた。
これらの著書でも述べてきたことだが、国家戦略とはすなわち情勢判断であるといっても過言ではない。情勢判断は必ず政策に先行する。情勢判断が一つに決定すれば、政策上の決断はもはや必要ではない、道は一つしかないのだから。逆に言えば、決断とは情勢が見えないときに必要になるのだ。麻雀で相手の手牌が透けて見えれば振り込む人はいないのと同じことである。
岡崎流情勢判断
情勢判断のために必須なのが、情報専門家である。情報専門家を養うためにはどうすればよいか。まずトルコならトルコに関する情報を全部調べる、トルコという国の概要、政府要人の行き先、演説内容、トルコに対する各国の研究論文、とにかく全部調べる。半年もすると、全体の流れが読め、見えない筋が見えてくるようになるのである。
新聞などで北京ウォッチャーという言葉を見かけることがあるが、彼らは、毎日、こうして中国に関する情報を集めているのだ。必要な情報の9割方は公開情報から得られるといってもいいだろう。
先進諸国の外務省、情報機関は、こうした情報の専門家を多数抱えており、日々情勢判断を行っている。レーガン大統領の一日の執務は、まず国務省やCIAから出る情勢判断のブリーフィングを読むことから始まるのである。
情勢判断とはそれほど大切なものなのだ。にもかかわらず、日本の情報体制は、残念ながら立ち遅れているといわざるを得ない。外務省の人員は、主要国の半分から3分の1であり、それに比して仕事量はあまりに多い。
枢要な地位にある人が、情報分析のために時間を割くのは、なかなか大変であるというのが、現状だ。早いうちに情報専門機関を作っておくべきだったとも思うが、財政難の今日となっては難しい話である。といって、手をこまねいているだけではなく、外務省でも84年に情報調査局を設立し、情勢判断に本腰を入れ始めたところである。
この10年の間に戦略論や軍事学を講じる大学もいくつか現れた。世間も、戦略論、情勢判断の重要性に目を開きつつあるように思う。いずれにせよ、日本の防衛戦略を考えるのは私たち自身しかいないのである。より一層の情報体制の確立を望みたい。
(本記事は『致知』1988年9月号 特集 「リーダーの宗教観」より一部抜粋したものです)
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◇岡崎久彦(おかざき・ひさひこ)
昭和5年中国大連生まれ。27年東京大学法学部在学中に外交官試験に合格。外務省入省。調査企画部長などを経て59年駐サウジアラビア大使、63年駐タイ大使。平成4年外務省退官。著書に『明治の教訓・日本の気骨』(致知出版社)『陸奥宗光』(PHP研究所)『明治の外交力』(海竜社)『隣の国で考えたこと』(日本経済新聞社)など多数。平成26年死去。本原稿はサウジアラビア大使時代に書かれたもの。