【WEB限定連載】義功和尚の修行入門——体当たりで掴んだ仏の教え〈第33回〉雪蹊寺にて山本玄峰老師を思う

小林義功和尚は、禅宗である臨済宗の僧堂で8年半、真言宗の護摩の道場で5年間それぞれ修行を積み、その後、平成5年から2年間、日本全国を托鉢行脚されました。1ヶ月滞在した詩吟の先生宅を後にし、三十三番雪蹊寺に向かいます。

住職に拾われた玄峰老師

翌年1月21日、詩吟の先生の家を立った。ほぼ1ヶ月滞在した。
久しぶりの托鉢である。1軒目の家に立って声を張り上げた。やはり、恥ずかしい。が一旦、声を発するともう大丈夫。商店街でもそうだ。客が行き交いごった返していても、一度声を発すると度胸が据わるのか。うろたえることはない。

三十三番雪蹊寺に来た。簡素な寺、それが第一印象である。山門や本堂、境内を見ても、目立つものは一切ない。平凡といえば平凡だが、樹木に囲まれた閑静な寺だ。

ここに倒れて…。ここの住職に拾われた。それが山本玄峰老師である。老師は出生からして拾われている。和歌山県湯の峰の旅館で生まれ、盥(たらい)に寝かされ捨てられたのだ。

奇特な御夫婦がその御子を拾って引き取り自分の家を継がせた。ところが、眼病に罹って全盲になると家督を弟に譲った。この人生の最大の危機。ここからが凄まじい。

四国八十八ヶ寺を、多少は見えたのだろう。6回廻った。一説によると裸足で。自分の人生を切り開こうと、必死である。この四国参りに命を掛けたのか。しかし、それらしい験(げん)はなかった。

そして、7回目。力も尽きてこの雪蹊寺で倒れこの住職に救われた。というより拾われたか。その時の有名な問答がある。

玄峰「お坊さんになりたいのですが」

住職「そうなる人間だな」

玄峰「しかし、盲目同然。字もしらない。お経も読めない。こんな人間でもお坊さんになれるでしょうか」

住職「普通の坊さんにはなれんが、覚悟しだいで本当の坊さんになれる」

それ以後、各山を歴訪し、修行、修行に明け暮れた。外国にまで足を伸ばしたとか。そして、京都臨済宗妙心寺派管長に就任した。

昭和20年8月15日、天皇陛下による玉音放送があった。太平洋戦争に敗北し悲壮感に押し潰された日本国民に告ぐ重大な御言葉である。その文章に〈耐え難きを耐え、忍び難きを忍び〉という名文がある。これを進言したのが、この老師である。

また今日、象徴天皇制が定着しているが。その発案もこの老師である。そうした華々しい御活躍が目に付くが、この寺の雰囲気を見る時、質素、簡素、枯淡が玄峰老師その人ではなかったか。人生はそのようなものよと達観していたのではないか。

この老師の悟りとは、高僧に対して僭越ではあるが、全盲になるかという危機から、雪蹊寺住職に拾われ、それを契機として自分の人生は禅に生きる。禅だけが自分の人生であると決着した。徹したことでスポッと迷いが消えたのではないか。この出発点に立った時がすでに悟りではなかったか。

では、私はどうか。自分は僧侶以外に生きようがなかった。ここは決着している。が、僧侶としての自分に迷いを残している。どうやらこの差が歴然としている。

私は詩吟の先生宅で1ヶ月滞在した。居心地が良かった。お経を上げる。お加持をする。僧侶として大切にしてくれた。それは有難いことであった。また、詩吟の先生のお人柄もあるか。居候を養うに頓着しない。腹がドンと据わっているというか、安心感があった。行脚や修行の話の時には何ら不都合はない。

ところが話題が地元の人たちに転化していくと、もうギブアップ。付いて行けない。地元の話題に限らない。野球、サッカー、旅行など、そんな日常会話に参加できない。皆が盛り上がっていても、私だけは孤立している。どうやらここが私にとっての難問であるようだ。

お加持で舌の腫れが快癒

三十五番清滝寺、三十六番青龍寺と巡拝して、詩吟の先生の紹介でSさん宅に寄った。初対面であったが、すでに了解していたので、すぐに家の御祓いを済ませた。これでお役目も終ったと、お茶を頂いていたら、奥さんが舌が腫れて真っ赤だという。

「如何したんですか」

と尋ねても理由は定かではない。医者といっても夜である。そのまま放置するに忍びないので。

「お加持しましょうか」

と思わず口を突いて言ってしまった。自信があるわけではない。そこで真言を唱えながら頭と両肩に手をおいた。5分、7分といったところか。また、ご主人の体調も芳しくない。足が曲がらないというので同じようにお加持をして、その日は終った。

翌朝のことである。お加持のことが昨日から気になっていたので

「お早うございます。どうですか。舌は」

と声を掛けると

「すっかり直りましたよ。ほら」

といって舌を出した。

「白い…真っ赤なあの舌が」

お加持をした私がびっくりした。また、ご主人も自分で靴下が履けるようになったと大喜び。それはそれで結構なことではあるが、私にはさっぱり分からない。お加持と悟りとは違うようだが…。不思議なことがあるものだ。また1つの課題が出来た。 

つづく

〈第34回〉旅館探しの末、夜道を金光教会へ急ぐ

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小林義功
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こばやし・ぎこう――昭和20年神奈川県生まれ。42年中央大学卒業。52年日本獣医畜産大学卒業。55年得度出家。臨済宗祥福僧堂に8年半、真言宗鹿児島最福寺に5年在籍。その間高野山専修学院卒業、伝法灌頂を受く。平成5年より2年間、全国行脚を行う。現在大谷観音堂で行と托鉢を実践。法話会にて仏教のあり方を説く。その活動はNHKテレビ『こころの時代』などで放映される。著書に『人生に活かす禅 この一語に力あり』(致知出版社)がある。

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