2019年03月20日
小林義功和尚は、禅宗である臨済宗の僧堂で8年半、真言宗の護摩の道場で5年間それぞれ修行を積み、その後、平成5年から2年間、日本全国を托鉢行脚されました。
今回、義功和尚は思わぬ場所で真言宗の声明を披露し、歓待されることになります。
「お坊さんのお経を待って居たんよ」
薬王寺が徳島県最後の札所である。これからは高知県。その東端を海岸線に沿って下って行くとその突端が室戸岬である。そこに第二十四番札所 最御崎寺(ほつみさきじ)がある。そこまで何と80キロである。長い。2泊して東洋町に着いた。ほぼ50キロ。そこからさらに下って行く。
海岸線はきれいだ。太平洋の海は何処までも碧く、その果てに水平線が見える。大空が弧を描いてその海に没している。眼下には大きな岩と小さな岩。そこに注連縄(しめなわ)が掛かっている。夫婦岩だ。
波がザブーンと打ち上げ、その波が砕けてザワザワと海に返る。それを見ているだけで気持ちが和む。55号線には松の緑あり、ハラハラ散る枯葉あり。移り行く景色を見ながら夕方になった。
ロウソクの炎が道路の右手に見えた。女性が2人いる。私は神社、寺院、石仏を見ると、その前で般若心経一巻を上げていたので、すぐに道路を横断した。先方も、坊さんが来たので軽く頭を下げ、その石仏の由来から話しが始まった。そして
「師匠に神さんが下りていうには、“仏さんがあなたを待っちゅうきに”と言う。だけんど、どこへ行っていいのか分からなくて、それがここに行き着いたのよ。こちらが浪切り不動さんで塩と洗米でお払いして、こちらの御大師さんに小さいロウソクを50本たいて御供養していた」
という。
「それなら私が」
と言ってその石仏の前でお経をお唱えした。それが終った、ちょうどその時、最後の1本のロウソクが消えた。
「あっ、お坊さんのお経を待って居たんよ。良かった。良かった」
と大喜び。
「お泊りは?」
「いや、これからです」
と返答すると2人で何やら話している。すると、また、こんな人家のないところに・・・公衆電話があった。そのボックスに入って電話を済ますと、
「知り合いのところ知っちうきに、行かんかね」
と誘われクルマに乗った。何処を如何走ったか分からないが、1軒の家に着いた。玄関に金剛杖と網代笠を置き、部屋に荷物を下ろすと
「お風呂にどうぞ」
と湯船に浸かった。サッパリしてお借りした着物を羽織って出ると、一つの部屋に通された。男女10人ほどもいたか。そこに私も混じって座ると詩吟が始まった。
先ほどの女性は詩吟の会を主催している先生で、四国大会、全国大会に代表で出場している。この家のAさんもそのお弟子である。私も詩吟をさせられ、また、真言宗の声明をご披露した。大いに歓待された。やはりこの室戸には、お遍路さんを接待するという独特の文化が今日も息づいている。
その日はここで1泊し、翌日は昨夜お経を上げた石仏のところにクルマで送って頂いた。感謝、感謝である。何かドラマでも見ている気分である。
室戸岬の洞窟で御大師さまを偲ぶ
改めてそこから室戸岬の突端に向かう。天気もいい。途中大きな青年大師像を参拝。さらに南へ。そろそろ御大師さまが行をされた洞窟がある。どんなところか。とにかくこの目で見たい。一沙門(いちしゃもん/僧侶)から授かった虚空蔵求問持法をひたすら行じ、ある境地に没入したか。暁の明星が体内に飛び込んできた。そんな神秘体験があったという。興味は尽きない。ようやく道路右手にその洞窟を発見した。ここだ。
洞窟は2つ。右は注連縄が掛かり神さまを御祭りしている。左が御厨人窟(みくろどくつ)だ。入り口の高さは2・5メートルほど。幅は2メートルか。合掌礼拝して御宝号、南無大師遍照金剛を御唱えしながらゆっくりと洞窟を一巡した。
参拝客のお灯明がいくつも灯り中は明るく意外と広い。よくもこんな場所を見つけたものだ。それにしても奈良時代から平安時代に移行する桓武天皇の時代。天才といわれたその頭脳なら律令国家のエリートとして思う存分その才能を発揮することも可能。それをサラリと捨てた。そして、山岳修行に邁進。四国の山野を跋渉(ばっしょう)したかと思えば、この暗い洞窟で一人孤独な行に励む。
その堅固な意思と求道心。その底知れぬ情熱を駆り立てたものは何か。仏道である。仏道に魅了されたのだ。仏道とはそれほどのものか。ある感動が私を捉えた。超人というか一人の天才がここまでするか。それほどの凄まじい行を。そして、何かを掴んだ。
その感動を抱いたままに最御崎寺、津照寺と巡拝。そして55号線を第二十六番札所金剛頂寺へ向かった。55号線から右に折れ、ゆるやかな傾斜を上って行く。周辺は畑である。家もポツンポツンとあるばかり。雨だ。カッパをつけて歩いていたら前方から乗用車が下りてきた。そのクルマが止まると窓から首を出して
「寺で泊まるんですか」
という。
「そうしようかと」
「大丈夫かな」
と謎の言葉を残して走り去った。