2019年03月06日
小林義功和尚は、禅宗である臨済宗の僧堂で8年半、真言宗の護摩の道場で5年間それぞれ修行を積み、その後、平成5年から2年間、日本全国を托鉢行脚されました。今回も弘法大師のお導きによる四国路の旅が続きます。
「家もないし? 何処へ行くのか?」
龍山荘では昨夜、そして朝の食事のご接待を頂いた。ここはやはり修行者を大切にする気風が今も残っている。お礼を申し上げて出発した。托鉢しながら二十二番平等寺をお参りして先に進んだ。
星越トンネルを抜けたところに茶屋があった。まだ明るいが、そろそろ暗くなる頃か。ここで食べておこう。中に入ってワカメうどんを注文した。ワカメがいっぱい。うどんが見えない。食べ終わると小皿にピーナツ。そしてコーヒーだ。サービスがいい。話も弾んで
「これから泊まるのですか?」
というので
「どこかありますか」
と逆に問うと紙とエンピツを持ち出して地図を書き始めた。
「ここが薬王寺さん。ここです。橋本ドライブイン。ここは〈歩き遍路〉の方を無料で泊めているんです」
願ったり叶ったりと手に地図の紙を持って歩いた。夕日も落ちて暗くなる頃。ここら辺りかと探していると前方に人影がある。頭を下げながら
「お待ちしていました。どうぞ」
と言いながら大きなドライブインの脇から駐車場へ。その駐車場を横切るように歩いていく。
「家もないし? 何処へ行くのか?」
黙って付いて行った。すると、その駐車場の片隅に軽自動車(ステーションワゴン)がある。
「こちらでお休み下さい」
と一言。そして、立ち去った。
「軽自動車か・・・」
妙に納得した。ともかく宿泊できるのだから、有り難いと、リュック、金剛杖を入れ、行者足袋を脱いで潜り込んだ。布団がきちっと敷いてある。しかも、中は温かい。暖房が効いている。横になるとテレビまで下がっている。申し分ない。しばらくして、社長さんから声がかかる。
「温泉に行きましょう」
私が外に出るとお風呂道具を持って待っていた。
「弘法大師御縁の千羽という温泉があるんです」
冬には風呂、ましてや温泉となれば堪えられない。ゆっくり浸かって戻ると、
「食事ですからこちらへ」
とドライブインの店に案内して頂いた。きれいな店である。一段高くタタミが敷き詰められた一角がある。そこに座った。すると4本の足のついた立派お膳が運ばれてきた。天婦羅、刺身、茶碗蒸し等々。さらにお櫃(ひつ)。お代わりを何杯でもと。毎日がうどんだから、大変なご馳走である。
お膳を平らげ、ご飯は二杯。これが限界である。これも御大師さまの御蔭か。無条件で腹の底にジーンと染み渡った。すると、南無大師遍照金剛 南無大師遍照金剛 南無大師遍照金剛 と御宝号が次々湧き上がる。目を閉ざすと、御大師さまのお姿が浮かんでいる。
果物を頂いていると社長さんが来られて雑談をする。そのうちに、
「どうです。明日、薬王寺さんで托鉢されたら」
と勧められた。淡路島、生福寺の住職が
「断ってはいけませんよ。素直に受けるのですよ」
と諭された言葉が私を捉えていた。寺の門前で托鉢したことは一度もない。参拝客が多い・・・とはいえ、したことはない。実際、全国托鉢行脚をしても寺で托鉢したのはここだけである。
「分かりました。明日は薬王寺さんで」
人生何が起こるか分からない。社長さんの一言で予定が変わった。
薬王寺での托鉢
翌朝、薬王寺さんの事務所で許可を頂き仁王門から左に折れ、その突き当たりに立った。ただ立っているだけではと理趣経を唱えた。一巻が15分。1時間で4回である。やる以上は声を出す。出す以上は声を張り上げる。大きな声が出たらもはや羞恥心もない。一生懸命していれば自然喜捨する人も増える。
4時間ほどして軽自動車に戻った。1万5千円ほどあった。これもまたまた御大師さまの御蔭とそのまま横になって休んだ。
夜になって社長さんが来られたので御礼を申し上げ、その晩もお食事を頂いた。その時に、奥さんが亡くなられて、歩き遍路の方に宿泊のご接待をするようになった・・・。ついては、明日、私の家でご供養をお願いしたいと。
翌日はドライブしながらご供養して、その翌日。過分なご接待を頂いたお礼を申し上げ、ここを出発した。
禅の修行者のことを雲水と言う。雲の如く水の如くご縁の中を生きる。僧侶とはこうしたものかと貴重な体験をさせて頂いた。