2019年01月30日
小林義功和尚は、禅宗である臨済宗の僧堂で8年半、真言宗の護摩の道場で5年間それぞれ修行を積み、その後、平成5年から2年間、日本全国を托鉢行脚されました。今回、思ってもみない歓待に、和尚の胸は熱くなります。
20年ぶりの玉子丼
曹源寺さんを9時30分に出発。托鉢を始めた。食料品店に立つと、その店のおばさんからビニール袋を頂いた。中を見るとパンやおにぎりが沢山詰まっている。有難い。毎日がうどんだから、体調が気になる。おにぎりとは有難い。
また、しばらく進むと今度は蜜柑だ。それも30個。さらにまたおにぎり3個だ。ひもじい私を仏さまが見て恵んでくださったか。こんなにバタバタと喜捨を頂くとは。ところがこれで終らない。
一軒の食堂の前でお経を上げると、ガラーッと店のガラス戸が開いた。パリッとした作業服を着たお客さんが出て来て、
「どうぞ」
と店に誘われた。カウンター形式の食堂だ。そこに客が数人座っていた。網代笠を取りリュックを下ろし。錫杖を隅に立てかけて座ると
「何でもいいから好きなものを。注文して」
と促す。それでは・・・とメニューを上から見て行くと玉子丼があった。これだと注文した。私を誘った男性は隣の男性と仲間らしく話をしている。お茶を飲みながら待った。
「どうぞ」
とほかほかの玉子丼が来た。20年ぶりか。箸で玉子と玉葱。そして白米を混ぜる。そのトロッとした風味を舌にのせると旨い。絶品である。堪(こた)えられない。こんなに旨かったかと思いつつ、一口一口その味を噛みしめた。どんぶりが空になったところで、
「うちの喫茶店に寄ってくれないか」
とまた誘われた。
「はい。結構です」
と食事を終えて外に出ると、そこに軽自動車があった。それに乗り込んで、喫茶店にいった。店は休みか、誰もいない。が、きれいなお店だ。コーヒーとお菓子をテーブルにおいて勧められた。托鉢のお話など雑談で盛り上がっていたが、ふと御礼をかねて
「お経を上げましょうか」
と言ったら、お願いしますと頭を下げた。その笑顔を見た時、私を誘った理由が分かった。お経か。お経を上げて欲しかったのか。ならば、ここ岡山は瀬戸内海を挟んで南に四国である。弘法大師さんとのご縁も深い。そこで四国に向いて丁寧に礼拝し、御大師さんのご加護がこの店にあらんことを願ってお経を上げた。終わると大変喜んで頂いた。
それから店を後にした。が、その嬉しそうな顔が青空に浮かぶ。その笑顔を追いながら、私は行脚していた。
私を必要とする人は声を掛けて来る。声を掛けてきたら応ずればいい。それが雲水だ。禅宗に行雲流水という言葉がある。雲はぷかぷか空に浮かび、風にゆだねて移動する。水は川となって低きに流れ、岩があっても争わず、蛇行して海に向かう。天にまかせて托鉢をすれば、それでいい。それが修行だ。・・・それでいいのだ。何物かが腹の中に落ちた。何やら悟った気分になり気持ちが軽くなった。
「神仏は準備してくれていた」
国道2号線を歩いていたが、それも面白くない。途中から、海岸に近い県道に道を変えた。その町を托鉢していると立派な旅館があった。その玄関で托鉢してから宿泊代を聞くと高い。しかも、満室とのこと。
「他に旅館はありますか」
と尋ねると
「県道を日生(ひなせ)に向かう途中に○○旅館がありますよ」
と教えてくれた。どうやら他にはないらしい。まだ、夕方だし托鉢して行けば夜にはなるが、ちょうどいいか。そこで更にその町を托鉢しながら進んだ。冬の日暮れは早い。あっという間に周囲が暗くなった。街灯も少ないし人もいない。
それでもどのくらい歩いたか。ようやく、○○旅館に着いた。ところが、玄関のドアに手を掛けたが開かないのだ。良く見ると鍵が掛かっている。参ったな。如何する? 思案しながら周囲を見るとベルがある。駄目でもともと、そのベルを押した。すると別の玄関から返事があった。
「何か」
「泊めて頂きたいんですが?」
「食事は出来ませんよ」
「寝れればいいんです」
「そう、それならどうぞ」
中に入ると
「安くしておきますよ。朝は食べていきなさい」
そのさりげない一言であるが、温もりというか。そのおばあさんの優しさというか。私の心の深いところで何かに触れた。胸がぽっと熱くなる。風呂に入ってその夜はすぐに布団に寝た。
翌朝の食事の時のこと。そのおばあさんが、90歳になる先生の話をした。霊感があってね。母と一緒に行ったら、足があちこちと痛くなるのです。如何したのかと尋ねると、先生がお地蔵さんにお参りしなさい。助けてくれるからと云われて、お参りしたら取れたんですと。
「ほう、そのお地蔵さんはどこにありますか」
「すぐそこです」
「ならば、そこでお経を上げましょう」
というと大変喜ばれた。
出発の支度を整えて、案内してもらい、そのお堂に入った。ストーブをつけると狭いのですぐ暖かくなる。このおばあさんがそのお地蔵さんを大切にしている。その気持ちが私に伝わってくる。おろそかには出来ない。一生懸命お唱えすると、
「有難うございました」
と深々と頭を下げる。良かった。良かった。
そこから、ポツポツ托鉢しながら日生(ひなせ)に向かった。左に○○急便という看板が見えた。その会社を囲むように、私の背丈ほどの塀がある。その塀に沿って正門に出たが、人影がない。そのまま通過して進むとそこにお地蔵さんがあった。今朝のお地蔵さんとのご縁もあり、そこでまたお経を上げた。
終ると背後から声が掛かった。振り返ると制服を着た女性。事務員さんがそこに立っていた。
「社長がご接待をしたいと申しています。お出で下さい」
きちっと挨拶された。歩きながら話は続いた。
「あのお坊さんはお地蔵さんのところでお経を上げる。終ったら、お連れしなさい」
と。会社からお地蔵さんは見えないのに分かるのか? と思いつつ、付いて行くと会社の事務室に通され、恰幅のいい社長さんを紹介された。私は椅子に座った。机には黒い箱型のお弁当が用意されていた。
「昨日、貴方を見ましてね。もし宿泊出来なかったら、ここに泊まって頂こうと、夜10時までここで待機して見ていたんですよ」
と熱っぽく語る。
ほう、そうか。昨夜、旅館のベルを押さなければ、ここで泊まる・・・。そうなっていたのか。感動した。それが分からないから、不安になる。神仏はちゃんと準備をしていた。準備をしている神仏を信ずることが出来るか、出来ないか・・・その違いか・・・。
なるほど、行雲流水。これでいいのだ。雲になり、水になって旅をする。その旅の行き着くところ。そこに神があり仏がある。悟りはそこにある。心は燃えた。
行脚を終えた後のこと。この社長の奥さまともご縁があった。大変ご苦労をなされた。が、御大師さんの信仰が厚く、人生の山があり、また谷あった。その辛い思いを辛抱強く乗り越えてこられた。その心の支えとなったのはお大師さまである。現実の生活の中でその信仰が人生を支える大きな柱になっているのだ。