2018年11月07日
小林義功和尚は、禅宗である臨済宗の僧堂で8年半、真言宗の護摩の道場で5年間それぞれ修行を積み、その後、平成5年から2年間、日本全国を托鉢行脚されました。毎回ハラハラドキドキの当連載、今回は九州・島原での思い出です。
心に働く強烈なブレーキ
夕方、フェリーが島原港に着いた。客が下船し四散すると、周囲はひっそりと静まり返った。人の気配がない。たまたま通りがかったおじさんに声を掛けた。
「泊まるところはありませんか」
「あるよ。ユースホステルが」
と道を教えてくれた。近いらしい。
指示のままに最初の角を右に曲がると坂道がある。そこを上がって行くと左手に鉄筋コンクリートの建物があった。ここだ。ドアを開けて中に入り受付で尋ねた。
「素泊まりでお幾らですか?」
「3,000円です」
高くはない。ただ前日の宿泊代のショックがまだ後を引いていた。すんなりと即答が出来ない。出来るだけ安くという強烈なブレーキが心に働いている。そのまま黙ってしまった。その顔は無表情というか放心したというか。尋常ではない。しかも、網代笠と錫杖を持ち、古びた衣を無造作に着た修行僧だ・・・そのまま動かない。哀れと思ったか。
「他に安いところはいくらでもありますよ」
と救いの手を差し伸べて来た。その言葉で緊張がとれ表情が明るくなった。
「他にまだ安いところがあるのか」
喜んで外に出た。坂を下りて街道に出て左右をキョロキョロ見渡したが、街灯が白い光を放っているばかりだ。旅館があるというが? それらしい看板がどこにもない。参った。
姿を消した料理屋の主人
「面倒で追い払われたのか」
呆然とした。もはや夜である。辺りは暗い。人がいない。どうする・・・。前方を見ると割烹○○という料理屋があった。とにかく食事だと中に入った。明るく小綺麗で、何よりポカポカ暖たかい。客は私一人であった。経営者は20代の若い夫婦である。私はカウンターに据わり壁のメニューを見上げた。するとうどんの文字がある。これだ。うどんだけではとワカメをつけて注文した。出されたお茶を啜りながら、
「どこか安く泊まれるところがありませんか」
と問いかけると、そばにいた若主人が口を挟んだ。
「ユースホステルがそこにありますよ」
「あぁ―そこを断って出て来たので・・・」
「うーん」
若主人は絶句して天井を仰ぐと、調理場の裏口から姿を消した。
安いユースホステルを断ってきたのだから極まりが悪い。しかも、その安いユースホステルより安い旅館・・・これは難問である。といってまた戻るのも気が引ける。私は出されたうどんを食べ始めた。温かいうどんを一本づつゆっくり口に運びながら
「バタバタするな」
と自分を戒め腹を据えた。若奥さんは明るい人でしばらく気さくに話をした。30分も過ぎた頃か御主人が裏口から戻って来た。
「お坊さん、寝れればいいんでしょ」
声を弾ませる。
「ええ、もちろん。それで十分です」
「この先にね。〇〇〇センターというところがあるんですよ。温泉があって・・・、後は毛布で寝るだけなんですけど、そこは安いですよ。1,000円ですから」
無論、私に異存はない。異存どころではない有り難い。この時ハッと気が付いた。そうか! 裏口から出たのは店の仕事ではなく、旅館のことで出たのだ。グッと込み上げるものがあった。この窮地に、地獄に仏とはよくいったものだ。きわどいところを助かった。感謝の思いが胸の中で大きく広がった。
夜道は寒い。しかし、不安は解消した。さほど遠くはなかった。旧家を宿泊施設として改造したものか。ともかく寝る場所が確保出来て安堵した。割烹料理屋さんのご縁がなければ、今頃どこをさ迷っていることか。思うだけでゾッとした。その有り難さはたとえようがない。それを実体験させて頂いたことは私の貴重な宝となった。
翌朝、ここを出発しようとしたらこのセンターの女将さんが
「これをどうぞ」
とビニールの袋を差し出した。中を見るとおにぎりとパックの牛乳、それに茹で玉子が入っている。
「朝のお食事に」
これも嬉しかった。宿泊代1,000円で、さらに朝食。奥さんへの感謝の思いが溢れてくる。
道筋の店はまだ閉まったままだ。家も少ない。歩いていると昨夜からの出来事がテレビドラマのように頭に浮かんでくる。そのワンシーンがひとつひとつ私の心を熱くする。